彼氏彼女の憂鬱な日
オレの彼女は何とお月様が好きなのだ。彼女は夜空を見上げて、物思いに耽り、ため息を付く。そのため息は月が大きくなるにつれて大きくなる。最初は月が嫌いなのかと思っていたが、おそらくそうではない。嫌いなら、わざわざ見る必要がないじゃないか、ということに気づいたのだ。彼女の様子はまるで恋する乙女という感じで、魅力的だった。ただ、その姿が儚げで、その事実を確かめることで彼女が消えてしまいそうに思えるため、オレは彼女にそれを尋ねられていない。
しかし、狼男のオレにとって、彼女の月好きであるということがかなりの致命傷だった。月が半分くらいになった頃から体はむずむずし始め、満月の日なんて、朝から調子がおかしい。テンションの空回りっていう奴だ。そんな時のオレは、とにかく空気の読めない一人道化のような状態になっている。だから、独り立ちをしてからは、オオカミに戻らないためにネットカフェに籠り、毛布を頭から被り、人工的な光りを浴びて、月明かりを感じないように過ごすことに決めていた。あそこは、余程のことがない限り一人空間だから都合がいい。
それなのに、何故か今日に限って、十五夜の今日に限って彼女に呼び出されたのだ。オオカミになったオレの姿は恐ろしいに違いない。
多分…。
実際のところ分からないのだ。父親も狼男、母親も狼女。三人…いや、三匹が家の中で「うおぉー」と吠えていた時期もあったが、その姿を恐ろしいと言われたことはなかった。オレは父の姿を恐ろしいとも母の姿を恐ろしいとも思わなかったし、両親ともオレの姿を恐ろしいとは言わなかった。どちらかと言えば、大きくなっていくオレの姿を見て、嬉しそうに「大きくなったねぇ」とぺろぺろ顔を舐めるのだ。
実家では、とりあえず近所へのカモフラージュのためにハスキー犬を二匹飼っていたが、こいつらもオレ達のことを怖がったりしなかった。
だが、しかしだ。人間はどうだ?
世に出回っている狼男の登場シーンは叫ばれることが多い。そして、女性は逃げまどい、もしくは、気絶する。いやいや、あそこに出て来る狼男は、追いかけるからいけないのだ。人間世界に住むオレ達は、自分の体に起こっている変化を確かに感じている。だから、あんな間抜けな登場は絶対にしない。
いやいや、しかし、元はと言えば、狼を追いやり、人間の姿でないと生きていけなくした人間の方がずっと恐ろしいのではないだろうか。そうだ。だから、万が一彼女の前で狼の姿になったとしても、何も恐れることはないはずだ。
そうだ、だって、以前彼女を連れて実家へ遊びに行った時、彼女はハスキー犬二匹に全く動じなかった。むしろ、愛情いっぱいにその背を、そのあごの下を、撫でていたではないか。
そこまで勢いよく考えたオレは、そこで大きなため息を付いた。
「無理だ…」
がっくりと膝を折ったオレは、スマホに手を遣り、「ごめん、今日熱が高くて行けなくなった」と文字を打っていた。
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「何でよぅ」
私は無粋な画面に現れた文字に落胆そのものの言葉を落とした。今日に限ってどうして、高熱なの? いつもあんなに馬鹿みたいに元気じゃないのよ。でも、そうは言っても無理をさせてはいけない。私は棄てられるわけにはいかないのだ。今日、この怒りをぶつけてしまって、別れ話にでもなってしまったらいい訳も何もあったものじゃない。
「そっかぁ、残念。お大事にね」
絵文字を入れる気力さえ残っていなかった。
私は月星人なのだ。日本で言う「かぐや姫」と同じ。とりあえず、月を出て、地球という生命溢れた場所で育ちたいと願った私は、不妊治療に勤しんでいた母のお腹に宿った。そして、母の特徴をしっかりと吸収して、普通の容姿を得た。物語の様に絶世の美女では、両親に疑われてしまう。
「玉のような女の子ですよ」
父も母も喜んで私を覗き込んでいたものだ。あろうことか、この容姿で「美人になるなぁ」なんて呟く始末。そんな父母に呆れながらも、私はすくすく大きくなった。もちろん、人間の成長を心得ながら。
私はこの世界が大好きだった。かぐや姫が生きた時代よりもずっと自由で、ずっと、個が尊重されていた。何よりも、変化が目まぐるしくておもしろい。だから、私は待ってもらっていたのだ。というか、一生待ってもらうつもりで、彼を今日紹介しようとしたのに…。
「あぁ…。なんて言い訳しよう」
いや、言い訳などせずに、彼が高熱で倒れてしまって、と素直に言えばいいのではないだろうか。更に、かぐや姫とは違い、私はこの世に絶望したことはない。ただ、それだけが私にとって有利ではある。
月の世界は清浄である。それは確かだ。心穏やかに過ごすためには一番だろう。ただ、殺風景ともいえる。変わって、地球は不浄だ。戦争下でもないのに、人殺しは毎日のようにあるし、いじめや、罵り合いなんて、分刻み以上に起きている。だけど、私はそれに対して、不条理だ、この世の終わりだ、とは思わなかった。きっと月での生活がこんなところで生きているのだ。
月にはそんな人間はいない。罵ることもないし、いじめることもない。殺し合いなんて、まず起きない。何故か、それは他人に興味を持たないからだ。「個」が確立されていると言えば、そうなのかもしれないが…。彼らは常に完璧であり、地球で言う、才色兼備ばかりだった。要するに、他人を羨む必要がないのだ。
私はそこで大きなため息を付いた。
本日、十五夜。大きな月に負けないくらいの大きなため息だった。
そこが問題なのだ。完全なる個であるが故に、今回の私の事情なんて汲んでくれないのだろう。
「そうですか。では帰りましょう…なんて普通に言いそうだしなぁ」
私はがっくり頭を垂れて、来たるべき時間を待っていた。
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次の日、二人は目の下に隈を作りながら、にっこり微笑み合っていた。
「熱は大丈夫だった?」
彼女の方が彼氏を気遣う。
「うん。普段熱なんて出ないから、動けなくてさ…ごめんね」
彼氏も彼女にすまなそうに頭を垂れた。もちろん、動けなくなるかもしれないと彼に心配されていたのは彼女の方だ。
「なんか、君も寝不足みたいだけど、大丈夫?」
「うん。まぁ、両親と喧嘩しちゃって、胸糞悪くて眠れなかったの」
もちろん、彼女の言う両親は地球の、ではない。
「いつも仲良しそうなのに、珍しいね」
疲れたように彼女が笑った。
「普段はね」
そして、二人は決意する。来年こそは。
それから、同時にため息を付いて、二人は誤魔化すように「ははは」と笑った。
今夜は十五夜だなぁと思いながら、満月に曰くつきの二人の悩み事を書いてみました。思いつきで書いたので読みづらかったかもしれませんが、最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。