De-Intellectualization (知性化解体) シリーズ
愛こそすべて
「綺麗な夜景ね」
友人が催したパーティーで、ベランダに出ていた私の横に来た女性が言った。
初夏で、そろそろ夜でも冷えきらなくなっていた。
実を言うと、夜景が綺麗だと思ったことはない。ただギラつく、嫌な光だとしか思ったことはない。うつむいていたから、夜景を見ていると思ったのだろうか。
「いや。この光は消えるんだ」
そう呟き、私は黒い空を見上げた。
「消えるんだ」
もう一度呟いた。
「そうなったら、星空が綺麗でしょうね」
女性は言った。
「いや、この星空も消えるんだ」
「ふうん」
興味があるのかないのか。女性はそう言った。
「ずうっと未来。宇宙は消えるんだ」
「そうなの? どれくらい未来?」
「さぁ。何十兆年か、もっと先かな」
女性は声を挙げて笑った。
「恐くないのか?」
私は女性を見て言った。濃い化粧をしていた。真っ赤な口紅。正直、気味が悪い。
「そんな先のことなんて」
そう言い、女性はクスリと笑った。
私は空に顔を戻した。
「そうか。じゃぁ、もっと近くを見てみるか。輝く星々はなくなる」
「それは何千年先の話?」
冗談を聞いているような声だ。
「十兆年というところかな」
女性は声を挙げて笑った。
「ねぇ、もっと面白いことはないの?」
私は見えない天の川を見上げた。
「そうだな。これはどうだ? 二兆年くらいの未来には、他の銀河は見えなくなる」
「素敵。他にも銀河ってあったのね」
「それとも、もっとずっと近い、数百億年先には宇宙が消えるかもしれないがね」
「見えなくなるの? それとも消えるの?」
「さぁ、どっちかな。」
女性はまた笑った。
「だけど、そんなに先のことはまだ気にしなくていいんだ」
「ほんとう。そんなことを気にするなんて意味がないわ」
「ほんの50億年先には、この太陽も燃え尽きるからね」
「大変ね。寒くなりそう」
私は、またその女性の顔を見た。じっと凝視めた。だが、この女性が本気でそう言っているのかがわからなかった。
また私は空を見あげた。
「寒くなるのに50億年も待つ必要はないよ」
「そうね。その前に冬が来るものね」
「いや、100年ももつかな。燃料がなくなるよ」
女性はまた声を挙げて笑った。
「ねぇ、そんなこと考えていて楽しい?」
「あぁ。楽しいね。それまでに人間がやらなきゃいけないことは山ほどあるから」
女性が私の腕に指を沿わせた。
「そう。人間がやらなきゃならないことは沢山あるわ」
私は女性の顔を再び見た。
「人間は愛し合うものよ。それが一番大切なこと」
その女性は艷めいた表情と声で言った。それではあっても、おそらくはとても真面目な顔で。
「そうか。それを運命として受け入れるんだな。君たちは」
私は真顔で答えた。
「地球という重力井戸からも、太陽という重力井戸からも抜け出せず。ただ滅んでいくことを受け入れるんだな。君たちは」
「地球で、今、生きているのよ? 他に何を気にする必要があるの? 愛こそすべてでしょう?」
そう言って、女性はまた笑った。
私は神に祈った。いや、神がいてくれることを祈った。神がいるのならば、神に祈ることが、あるいは神をこそ憎むことができるだろうから。
人間はなぜ宇宙をすら理解できるようになってしまったのか。理解できないままであったなら、女性が言ったとおり、今生きていることのほかを気にするようなことなどなかっただろう。
おそらく、その女性が言った言葉を何千回、何億回と繰り替えすのだろう。その言葉を繰り替えし続けるのだろう。その言葉を繰り替えしながらも争い続けるのだろう。あるいは、今が永遠に続くと思い続けるのだろう。
愛こそすべて。
その言葉が人間を滅亡に導く。
私は首を振り、また空を見上げた。