その絵の意味
私のところへ戻ってきたロクサスは、それからずっと私にくっついていた。さすがに抱きついたりはしないけれど、付かず離れずというのか、少しずれたら触れる距離に彼がいるというのは、些か緊張するものだ。恋のどきどきではなく、周りに変な噂を立てられるのではないかというところにだけど。
「ティーナ、陛下のとこに行かなきゃいけないんだけど着いてきてくれるよね?」
「ええ、いいわよ」
そういえば、陛下に絵を進呈したと言っていたことを思い出す。国のトップにまで求められる芸術家となったロクサスを誇らしく思う反面、彼がどこか別の次元の人になってしまった気がして少し寂しくなった。勿論、本当に少しだけなのだけど。彼に連れられ向かった先には、中睦まじく歓談している陛下と王妃様がいらした。二人は私達に気付くと両手を広げ温かく迎えてくださった。
「今晩はクリスティーナ。今宵の君も大層美しいな」
「ふふっ、本当に・・・バルトロスったら、きっとこのことを話したら羨ましがるに違いありませんよ」
「お久し振りでございます」
相変わらずこのお二人は私のことを自分の娘のように接してくれる。バルトロスの嫁候補という意味ではなく、私の体に流れる僅かな王族の血から、他の令嬢よりも親しみをお二人に与えているからだ。
「しかし何故クリスティーナが?君は去年成人を迎えたと記憶しているのだが」
「本日は彼のパートナーとして登城いたしました」
ふふっと笑うと陛下は「そうかそうか」とお父様と似通った笑みを浮かべた。そしてロクサスに向き合う時には、すでにこの国の王様の顔をしていた。
「君があの絵を描いたロクサス・ティアハートか。話には聞いていたが、また随分と年若いのだな」
「はい、まだまだ若輩者ゆえ、私の作品は粗削りなところが多々ありますので、両陛下にお気に召していただけたのか若干心配しておりました」
「あらあら、あんなに素晴らしい贈り物を頂いて、私達はとても嬉しかったのですよ。ねえ、陛下」
バルトロスとそっくりな金髪の王妃様は朗らかに笑うと陛下に問いかけた。陛下もロクサスの絵が気に入っていたようで深く頷く。
「君の妖精シリーズは隣国まで噂が届いているらしい」
やはりロクサスの絵はすでにかなりの知名度を獲得しているようだ。もし、彼が初めて描いて私にくれたあの絵を譲りますと言ったらどうなることやら。ロクサスの処女作であり妖精シリーズの第一号という点だけでも、多額の金額で譲ってくれという希望者が続出しそうだ。
「しかし今回のものは他のものとは違うのだな」
陛下の言葉に疑問を覚えた。私はその言葉の意味を知りたくて陛下のほうへ顔を向ける。
「すべての作品を見たわけではないが、耳に入る情報では妖精シリーズはすべて【後ろ姿】であるということが共通している。妖精の降り立つ場所は様々なれど、すべての妖精は決して顔を晒していない。私は、それが君の描く妖精の特徴だと思っていたのだが・・・」
知らなかった。彼が妖精シリーズを描いていることは知っていたけれど、それがどんな風に描かれていたのかなんて考えもしなかった。あれ?だけど私がもらった妖精は後ろ姿ではなかったはず・・・
「そうですね・・・確かに、今までの妖精はすべて背を向けています。だけどそれが私の妖精の特徴というわけではありません。ただ、見せたくなかったのです。私だけが知る、私の妖精の表情を・・・」
艶やかに微笑むロクサスに、周りにいたご令嬢達が一気にざわつく。中にはふらっと倒れる子もいるようだ。まあ、確かにロクサスの笑顔にはそれだけの破壊力はあるけれど。しかしロクサスの描く妖精が、実はロクサスの理想の女性であることに少しだけ驚いた。私が貰ったものは随分と幼い顔つきをしていたけれど、彼の中では理想の女性はすっかり成長していることを、描かれてきた絵から用意に推測できた。陛下のもとにある絵を見れば、もしかしたら彼の好みの女性がどんななのか知ることができるかもしれない。あとでこっそり見せてもらおうかと思案していると、陛下の口から思ってもいない言葉が放たれた。
「ふむ・・・しかしあの妖精の顔、私のよく知る娘に似ているのだが・・・特にあの宝石のような紫の瞳は、知る限り一人しかいない」
ん?紫の、瞳?私は陛下の顔を見た後、ゆっくりとロクサスへ視線を移した。視界に入った彼の蜂蜜のような甘い瞳はただまっすぐに私に注がれていた。
「陛下のお考えの通りですよ。私の・・いえ、僕の妖精はここにいるクリスティーナ・ミハエル嬢です。彼女がいたから、あの絵が描けたのです」
どこまでも甘い瞳と声に、私の思考は停止した。そしてゆっくりと動きだし、今自分が置かれている状況を冷静に整理することにした。
「あらあら、では素晴らしい芸術家が生まれたのは、誰でもないクリスティーナに恋をしてしまったからなのねぇ。ふふっ、クリスティーナったら罪な女ね。我が息子だけではなくこんなにも若く有望な殿方の心を掴んで離さないなんて」
「王妃様、僕はとても幸せなんですよ。彼女を想うだけで素晴らしい作品を世に送り出せる。芸術家にとってこれほど幸せなことはないかと思います」
「そうですわねぇ、恋とは人を良き方向にも悪き方向にも導くものですものねぇ」
私が思考を巡らせる前に王妃様が核心をぽろっと仰ったうえにそれを肯定してしまったロクサス。二人とも声を潜めてもいないから周りには全部筒抜けになっていて、その場は少し混乱を招いていた。それはそうだ。だって私はバルトロスの王妃候補の筆頭なのに、有名な若き芸術家の恋慕の相手なのだから。しかも遠回しにロクサスは私がいないならもう描かないと言っているのだ。遠回しすぎて分からないけれど。