物語・・・始動
ヒロインが転生者で、しかも私を生け贄にしたと知ったとき、もういっそのこと何処か奴等の手の届かない場所へ逃げようかとも思った。しかしそれを周りが許すはずもない・・・だって私は公爵令嬢で現段階ではこの国の王子の婚約者なんだから。
「クリスティーナ、あまり顔色が良くないな」
「平気ですわお兄様、少し寝不足なだけですから」
これから起こる惨劇を想像すれば誰だって眠れなくなる。さらに私はその当事者なのだからその気持ちは一際だ。さらにどんよりと暗い気持ちになった私を義理の兄であるメリオロスが優しく撫でる。これが兄として接してくれるなら良かったんだけどその瞳には明らかにそれ以外の感情が混ざっている。私はそれに気づかない振りをする。
「そうだ、父上がお前を呼んでいたが・・・」
「ああ、明日の事ですね」
「明日は王城へ行くのだったな・・・」
そう、明日は王子であり私の婚約者のバルトロスに会わなければいけないのだ。婚約者として彼と仲良くしなければいけない・・・私はしたくないのに。
父の書斎へ行けば話しはやはり明日の事だった。私は一通り聞いて了承してから書斎を出て庭へ向かった。このやさぐれた心を癒すには庭師が丹精込めて作り上げた庭を見るのが一番だ。私は備え付けの椅子に腰掛けて、暖かな陽だまりの下で風にそよぐ木々や花を眺めながらそっと瞳を閉じた。
どれくらいそうしていたのか分からないけど、いつの間にか眠っていたようだ。
「ティーナ?こんなところで眠ったら風邪を引くよ?」
少し高めのアルトが聞こえて眼を開けると、陽の光に透けたキャラメルブラウンが視界に入った。
「ん・・・ロクサス?」
「おはようティーナ、寝惚けたティーナも可愛いね」
私より1つ歳上の彼は義兄や婚約者に比べ少し幼く見えるけどそれでも男だ。赤い舌をペロリと覗かせるだけで艶やかになるし、本気で身の危険を感じる。私は惚けたようににこりと笑い彼から離れた。
「ロクサスは何故ここに?お兄様に用事でもあるのかしら」
「・・・うん、ちょっと話したいことがあって。彼はいるよね?」
私が是という意味で頷けば、彼は天使の笑みを浮かべてお礼を言った。
「そっか、じゃあ少し会いに行ってくるよ。ティーナは外で眠っちゃ駄目だよ?悪い狼さんが悪戯しちゃうかもしれないからね」
「そうね、気を付けるわ」
悪い狼が指すのは誰なのか・・・敢えて言わないのはそこに自分が入っているからなのかどうなのか。私も下手に地雷を踏みたくないからそれには触れなかった。
そして翌日、なにか言いたげな義兄とロクサスを背後に感じながら私は王城へ向かった。馬車に揺られる私の心はまさにドナドナ・・・売られていく子牛の気持ちが分かる気がする。
嫌だ嫌だと思っても馬車は勝手に王城へ着いてしまった。侍女がすでに待機していて私を謁見の間へ案内する。絢爛に近い華やかな廊下をひたすら歩くと、一層華々しい扉が目に入った。衛兵によって開かれた扉の先には、この国の王とその妃、そして王子が待ち構えていた。
「クリスティーナ嬢、よく来てくれた。私も妃も、勿論王子も君の訪れを待ちわびていたよ」
「ありがとうございます。私も皆様にお会いできてとても嬉しく思います。王と王妃様は今日もとても仲睦まじく、羨ましく存じます」
年齢を思わせない美しいお2人はとても仲が良く、王は王妃にとても優しく尽くしている。どうしてこの2人からあのヤンデレが産まれたのかまったくの謎である。
「父上、私は早くクリスティーナと2人きりになりたいのですが」
「あらあら、バルトロスはクリスティーナさんが本当に好きなのねぇ」
「クリスティーナ以上に私の胸を熱くする存在などありませんよ」
爽やかに笑顔を振り撒くその姿はまさに王子様。私もヤンデレでなければ喜んで結婚でもなんでもするのにな。
「そうだな、今の時期なら薔薇園が見事だ。そこへ連れていってあげなさい」
「分かりました。さあ、行こうクリスティーナ」
「はい、本日はお会いできて良かったです」
私はバルトロスに連れられて人通りの少ない廊下を歩いた。そこには私と彼の他に護衛として聖騎士隊長のアーダルベルトと数人の騎士が就いていた。未来のこの国の王を護るのは当然でその妃予定の私もまた然りだ。皆屈強な体つきで彼等なら安心してこの身を預けられる。まあその結果アーダルベルトに本気で狙われる羽目になるわけだが。
「どうかした?私の婚約者は心此処に在らずみたいだけど・・・まさか、誰かのことを考えていたり・・・しないよね?」
眼が・・・笑っていない。本気で狩られそうである。
「いいえ、ただ少し疲れてしまっただけですわ。美しい薔薇を眺めれば疲れなんて吹き飛んでしまいますわ」
「そうか、ならば早く君にあれを見せなくてはね」
王子様モードに戻ったことに安心した私は後ろからアーダルベルトに嫉妬に駆られた眼で見られていたことに気付かなかった。