公爵令息、過去を思い出す
メリオロス視点です。
クリスティーナが久方ぶりに夜会に出た。それは彼女がもう誰の手にも届く場所に戻ってきたことを意味していて、独身貴族の男どもはそれぞれの思惑を抱いて彼女を見つめていた。
「お義兄様?私はここで大人しくしていますから、どなたかと踊られてはいかが?皆さん、お義兄様がいつ声をかけてくださるのかしらと期待した瞳で待っていますわよ」
その言葉にちらりと視線を動かせば、少し離れた場所で此方を窺う視線が複数見えた。頬を染め、いかにも好意を寄せていますと言った表情に、俺は好意どころか嫌悪を覚えた。彼女達が求めているのはメリオロスという男ではなくミハエル公爵家の次期当主の妻の座だ。中にはこの顔を自分の虜にして優越感に浸りたいだけのやつもいるだろうが、どちらにせよ見た目や権力のみに執着する女などお断りだ。
「今日の俺はクリスティーナのナイトだぞ?君を残して誰かと踊るなんて考える必要もない。そんなに気になるならクリスティーナ、君が俺のダンスの相手になってほしいな」
そう言って手袋に納まった彼女の左手に口付けを落とせば、どこか困ったような笑みを浮かべコクリと頷いた。ゆったりとした舞曲が流れ始めると、自然と体は動き出した。俺とクリスティーナの完璧なダンスに周囲は感嘆の息を吐く。銀色の髪を靡かせて、瞳と同じ紫のドレスをふわりと浮かせながらクルリと俺の手の中で廻るクリスティーナ。その姿を至近距離で見つめながら、俺は遠い昔、彼女と初めて出会った日を思い出していた。
俺と母が、まだミハエル家に迎えられる前、まだ本当の父親が生きていた頃、俺はある子爵家の嫡男だった。父と母はこのご時世には珍しい恋愛結婚というもので結ばれ、周囲は良い顔をしなかったけれどそこそこ幸せだったそうだ。二人の間に俺が生まれ、さあこれからだというとき、悲劇は起きた。それが父の死だ。俺が4つの時だったろうか。帰りの遅い父を母と心配していたところに家令から父が事故に遭って亡くなったと知らされた。まだ幼かった俺だが、母の真っ青な顔から良くないことがあったことくらいは分かった。そして翌日、冷たく横になって眠る父とぼろぼろと尽きることなく涙を流し悲しみに暮れる母を見て、もう父は起きることはないのだと悟った。
「こんな女と結婚したから息子は死んだんだ!!全てお前のせいだ!!」
「いくら息子の血を継いでいても平民の血が混ざった子供など跡継ぎには認めないぞ!!」
「貴女達なんてお兄様がいないのだから家とは無関係よ。さっさと出ていったら?」
父が亡くなるとそれまで黙っていた父の親族がこれでもかと母や俺を責めた。特に母への当たりは激しく、言葉のすべてが母を否定するものだった。それでも母は俺が見てる前では凛として決して弱音は見せなかったけれど、きっと隠れて泣いていたと思う。なんとかしたかった。だけど俺はまだまだ子供で、母に守られる存在で、なにも出来ない自分が歯痒くてとても苛々した。
毎日尽きることない言葉の暴力、些細な嫌がらせ・・・いつ母が壊れ父のように死んでしまったらと震えていたある日、父の学友だったという男が現れた。それが今の義父であるミハエル公爵だった。つい最近父が亡くなったことを知り家を訪ねてきたと言った公爵は、母の窶れように違和感を覚え息子である俺に事情を尋ねてきた。俺は現在における母と俺の立場を簡単に説明した。俺達の不遇の環境に眉をしかめた公爵は是非公爵家に来るように勧めてくれた。俺は母が悪口を言われずになると喜んだが母は首を横に振った。ここには父との思い出があるからと、どんなに汚い言葉を吐かれてもその思い出があるから頑張れると、そう言ったのだ。
だけど公爵も諦めなかった。もし父が今の状況を知ったらどう思うだろうと、きっと自分のせいだと悔やむはずだと母を説いた。母は一瞬揺らいだ瞳で俺を見た。そして数秒の間の後、ゆっくり口を開き「よろしくお願いします」と深く頭を下げたのだった。もしかしたら俺の中に亡き父を見たのかもしれない。父の忘れ形見である俺を不幸にしてはいけないと考えたのかもしれない。だが結果俺達は害悪にしかならない父の親族と決別し、公爵家の人間として新たに歩み出すことが出来たのだ。
公爵家に向かう馬車の中、公爵は母に契約を持ち掛けていた。自分の妻となってはくれないかと。母は驚いていたが、公爵の話を聞いて成る程と頷いていた。どうやら公爵は既に結婚していて娘もいるのだが彼の伴侶が病気で亡くなり周りから後妻を迎えるべきだとせっつかれているらしい。しかし彼は亡き妻だけを愛していて自分の子供はその妻の娘以外はいらないと思っている。そこに俺の母という存在が現れたことでこの考えを思い付いたそうだ。お互い亡き伴侶を愛していて他を愛することはできない。ならば仮初めの夫婦になることでお互い大切なものを守ろうと。公爵は亡き妻への愛と愛しい娘を、母は亡き父への想いと忘れ形見である俺を。その提案に、母はそれならと快く頷いた。
そしてその話が決着を迎えた頃、馬車は公爵家に到着した。
メリオロス達が公爵家にやって来たのがメリオロス7歳、クリスティーナ5歳の時。4歳の時に父親が亡くなったので約3年間メリオロス達は虐めに耐えていたことになる。なんて可哀想なんだこの親子!




