勇者は死に、魔王は目覚める
とある王国の伝説。
ある日突然、何の前触れもなく目覚めた魔王を、一人の青年が封印した。
その青年は当時の国王に、こう言った。
「私の封印は、三百年しか持ち堪えられません。あの魔王を倒すには力及ばず、やむなく封印した次第です。三百年後、あの魔王は再び目覚めるでしょう」
国王がどうすれば良いか尋ねると、青年は持っていた剣を差し出した。
「この剣に魔法をかけておきました。魔王を再び封印できる魔法、そして・・・」
青年は言葉を途切れさせ、城の庭にある大きな大きな岩に思い切り突き刺した。
不思議な事に、岩にはヒビ一つ入らなかった。まるで最初から剣を収める穴が空いていたかのように、吸い込まれるようにして剣は柄の部分だけを残し、岩の中心に座した。
「魔王が目覚めるまでの三百年、この剣は決して抜けません。扱える資質を持つ者が現れた時、剣はその者の手に委ねられるでしょう」
青年はその後、国を救った英雄として称えられた。
やがてこの青年の顔を知る者が一人、また一人と減り、青年自身も命を終えた。
そのような青年が本当に実在していたと証明できる人間は居なくなったが、城の庭には伝承どおり、立派な柄の剣が刺さっている。
そして、時は止まらず流れ続ける。
青年と会話をしたという国王から四代目、曾孫にあたる国王。
彼の王位継承から六年後、ついに伝説に残された魔の刻が訪れたのである。
「曾お爺様から教わった勇者の話・・・今年がその、三百年なのか」
国王は悩んだ。ただの伝説、おとぎ話と言ってしまえばそれまでだ。実際、町の人々は実際の出来事だと思ってすらいない。
今年が「噂話」に記された三百年目であると、深刻になっているのは王族の人間のみだ。
「父上」
まだ幼い、次期国王になる息子が心配そうな瞳を向けてくる。
「剣を扱える人間なんて、本当に現れるのでしょうか?」
「かの方が仰ったのだ、間違いなかろう」
「しかし、町の人たちは剣に興味など持っていないと聞きました。王の趣味のインテリアだって。わざわざ抜きに来ようなど、誰も思わないのでは」
王族が危惧するのはそこであった。
三百年。長い年月だ。一時は英雄と騒ぎ立てられた青年も、今ではすっかり只の噂話。魔王が目覚めるという話も、親が子どもを躾けるための良い材料に過ぎなかった。
城から見下ろす町の眺めは、平和そのものだ。魔王が現れるなど、誰が本気にしようか。しかし、王族に脈々と継がれてきたこの物語は、「噂話」などと片付けられるものではなかった。
魔王は現れる。この年、確実に。
剣を扱う事の出来る者を探し出さねばならない。
国王は悩んだ末、国全体にお触れを出した。
そのお触れはすぐに国中に行き渡り、城には大勢の人間が押し寄せる事となった。
ぐぐ、と指を曲げてみる。
今まで鎖が絡まっていたかのような感覚は無い。自由に動かせる。腕を回すと、すっかり鈍った骨がボキボキと音を立てた。
首を傾ける。またも骨が大きな音を鳴らした。
「ああ、くたびれた」
欠伸をしながら、男は呟いた。
森の奥の、更に奥。木々が茂り、日光すら届かない場所にその城は存在した。男は城の王座に座っていた。いや、座らされていた。
男はもう一つ欠伸をし、立ち上がった。
「あの糞餓鬼、妙な魔法をかけやがって。くそったれ」
男は一通り身体を動かすと、辺りを見回した。
「おい、誰か居ないのか!」
声が反響する。少しの間、静寂が下りる。
やがて、バタバタと慌ただしい足音が向かってきた。
「ユーテル様!よくぞお目覚めで!」
駆け寄ってきたのは、小さな女の子だ。
頭には小さな角が生えており、口を開けば鋭い八重歯が見える。
ユーテルと呼ばれた男は、少女を見ると表情を緩めた。彼の頭にも少女と同様に、しかし桁違いに大きな角と、鋭い刃が並んでいる。ついでに言えば爪も刃のように尖っていた。
「おお、ハリルか。久しいな」
「いいえ、ユーテル様。ハリルは母の名です。母は邪悪な男に退治されたと聞いています」
「何だと。おのれ、あの糞餓鬼・・・我の臣下にも手を出したのか」
「私の名はハナルと申します。宜しくお願い申し上げます」
「ハリルの娘か。大きくなったな。他の者はどうした」
「怪我を負わされた者が多く、城の地下で治療が続いています。現在動けるのは私と、シャウ殿だけです」
「そうか。シャウは無事か、流石であるな」
「あともう一人、テナ殿も。けれど彼女は治療で手が放せない状況に」
「テナが居るなら怪我者も助かろう」
ユーテルは手足を伸ばしてみる。まだ若干の不自由は感じるが、すぐに元に戻るだろう。
脳裏には、封印した男の顔が過ぎる。ギリ、と歯を軋ませた。
「あの糞餓鬼・・・報復したいところだが、生きてはいまい」
「どうしてですか?」
「人間は三百年も生きられぬ脆弱な生き物なのだ。せいぜい九十が限度と聞く。妙な術を操ろうが、あやつも例外ではあるまい」
まぁ、とハナルは目を丸くした。
城から出た事の無い彼女は、人間に対する知識があまり無いようだ。母が殺された事から、とても恐ろしい生物なのだと思っていた。しかし、百年すら生きられないような脆い存在だったとは。
「ではもし私が人間ならば、すでに死んでいる歳なのですね」
「幾つになる」
「三百と二つになります」
「あの男も、流石に乳飲み子は殺せなかったか」
「いいえ、ユーテル様。シャウ殿に聞いたのですが、どうやらあの人間は私を盾にしたそうなのです」
初耳だった。ユーテルは眉を顰めた。
「盾だと?まさか、ハリルはそれで命を落としたのか」
「よく分からないのですが・・・あの人間は、私を人間の町に連れ去ろうとしたと。シャウ殿が、人間が謎の呪文を唱えているのを聞いています」
「奴は何と?」
「『ウワァ、カワイイ!ヨシヨシ、イイコイイコ。キメタ、コノコ、ボクノオヨメサン!』と」
「・・・・・・そうか」
「ユーテル様、これはどういう意味なのですか?」
「知らずとも良い」
ユーテルはハナルの頭を一度撫でると、側に落ちていたマントを羽織った。
かつての戦いでボロボロになってしまった、紫色のマントだ。先代の魔王の遺品でもある。
「ハナル。我はこれから人間の町に行って来る」
「えっ!な、何故ですか?」
「三百年も縛り付けられていたのだ。人間がどう進化したか調べねばなるまい」
「それならば、私が!」
「ハナル、貴様はまだ人間に化ける術を知るまい」
ハッと少女は息を呑んだ。
攻撃的なものが多い魔族の術の中で、唯一と言っていい特異な術だ。特別な訓練を長年積み、それでも得られぬ者も多い術。
ハナルも特訓はしているが、頭の角と人間にしては鋭すぎる歯はまだ隠せない。
例え会得したとしても、短い時間しか化けられないと聞く。ハナルの母、ハリルは全力を絞っても二分だけしか人間に化けられなかった。術を解けば壮絶な疲労感が襲い、起き上がることすら出来なくなった、と聞く。
「ユーテル様。その術は、危険なものなのでは」
「人間などという愚物に変化するのは反吐が出る。そういう意味では危険だがな」
ハナルの目の前で。
少女が瞬きを一度だけした瞬間に。
ユーテルの頭から角が消えていた。鋭い歯も、爪も、丸みを帯びた。長く伸びた朱色の髪は、漆黒の麗しさを帯びた。うなじで束ねられている。
少女は自分の瞳に映る光景を信じられず、ポカンと口を開けた。
「ユーテル様・・・なのですか?」
「いかにも」
「母は、二分間だけ人間になれると聞きました。ユーテル様もそうなのですか」
「我を何だと思っている。魔の族を束ねる王であるぞ。人間ごときに姿を変えるなど、呼吸するより易いことだ」
ハナルは目を輝かせた。
生まれてすぐ、人間に城を襲撃された。怪我一つ負わずに済んだものの、当時の彼女はまだ二歳。ユーテルに関する記憶も、母に関する記憶も無いに等しい。
気がつけばハナルは、王の前に跪いていた。
「ユーテル様。私の命は、貴方様のために」
自我が芽生えた時には、王は封印の術で縛られていた。一言も発せられず、指の一本も動かせぬ状態にあった。
噂でしか知らなかった、王の姿。その素晴らしさを、ハナルは全身でビリビリと感じ取っていた。
王になるべくして王になった方。今は人間に姿を変えているが、誰しもを魅了するカリスマ性は隠しきれていない。
ふん、とユーテルは笑みを吐いた。
「シャウとテナに伝えよ。我は暫く人間の町で奴らを観察してくる」
「お戻りはいつ頃に?」
「我が人間に飽きた頃、帰ろう」
それは、人間を滅ぼす事を意味する。
舌なめずりをするユーテルを、ハナルは恍惚とした瞳で見つめた。今まで恐ろしいと思っていた人間が、途端にちっぽけに思えてならなかった。
城を襲った人間は奇怪な術を使ったと聞くが、それが何だというのだ。ユーテル様は術をかけられても、こうして目覚められた。取るに足らない存在なのだ、人間など。
「ユーテル様。余計な心配であるとは存じておりますが、どうかご無事で」
「外の世界には大層美しい花が咲いている。土産を楽しみにしていろ」
ユーテルはそれだけ言い終えると、城の扉を開け、出て行った。
人間に姿は変えているが、力は魔族のままだ。走るという動作一つ取っても人間とは比較にならない。
魔族の城は、森の奥の奥。人間の足では二ヶ月かけて辿り着ければ良い方だが、ユーテルにとっては五分とかからない距離であった。
森の途中で懐かしい仲間に会った。リスや兎。
動物は嫌いではない。何と言ってもつぶらな瞳が愛らしい。きゅっと引き締まり、かつ柔らかい腕や足の感触も悪くない。
動物にとっても魔族は敵ではない。彼らは人間を見ると怯えて逃げるが、魔族が現れても警戒をすることは無い。魔族は狩りをする事もなければ、その獲物を喰らう事もない。
擦れ違いざま、ユーテルは鹿の角を撫でた。
するりと指に残った感触は、やはり悪いものではなかった。
三百年。
魔族にとってはそれほど長い時間ではないが、人間にとってはそうではない。
町に着いたユーテルは、少々驚いた。
自分が知っている光景とは、まったくもって違う。
人間自体に変化はない。
変わったのは、まず人間の住処。ボロ雑巾のような住処だという印象だったが、どうやら倉庫レベルにまで至ったようだ。レンガのグラデーションが美しいと思えなくも無い。
そして、人間の数が圧倒的に違う。封印される以前、最後に観察した時には微々たるものであった筈が、これは何だ。
わらわらと道を埋め尽くす群集。混み過ぎて前に進めない。いつの間にか人の波に飲み込まれたユーテルも、さすがに逆らえずにいた。
何だ、この人間共は。誰もが同じ方向に向かって歩いている。しかもやたらに筋肉質な男が多い。暑苦しい、むさ苦しい。
ああ、滅ぼしたい。ここで爆発の一つでも起こせば済む話ではないか。
しかし、興味が湧いたのも事実だ。人間とは、個人個人の興味や嗜好で動く生き物だ。それが、こんなにも大勢が一緒の行動を取っている。
彼らが向かう先に何があるか。ユーテルはそれが知りたくなった。
面白いものであれば、城に持ち帰って土産にしても良い。
とりあえず人混みに紛れ、ユーテルは歩き続けた。
ふと、会話が耳に入ってきた。ユーテルの後ろを歩いている二人組の声だった。
「剣を抜けば百万シンとは、凄いお触れが出たものだな」
「しかし、間に合うか?俺たちが辿り着くまでに誰かが抜いちまうかもしれんぞ」
「中々抜けない剣だと聞いたぞ。あの馬鹿げた昔話の剣だろう?」
「王様はお祭り好きと見えるな」
ユーテルは首を傾げた。
シン、とは確か、人間が使う貨幣だ。百万シンが相当な金額であるのはすぐに分かった。
馬鹿げた昔話の剣を抜けば百万シン。
三百年の間に、奇妙な祭りが出来上がったのだろうか。
百万シンなど魔族には無意味だ。単なるゴミでしかない。
しかし、その「力自慢」なる祭りに興味は深まった。
少し楽しんでからでも遅くはなかろう。どうやら建築物や道具は進化したが、人間そのものは進化していないようだ。
ふん、とユーテルは隣の人間を見下ろした。
横を歩いていた少女は、上目遣いに頬を染めて、ユーテルを見つめていた。
辿り着いた城には、見覚えがあった。
記憶に残っている状態そのものと言っても良い。多少飾りが増えている気はするが、細かいことはどうでも良い。
人間というものは、代々受け継がれているものを大事にするらしい。この国の初めての国王が建てた城に手を加えるのが嫌なのだろう。城の中までは知らないが、おそらく外見と同じく変化は少ないのだろうと予想できた。
ユーテルの住んでいる城は、かつて父が王であった頃とは様相がかなり異なっている。ユーテルの好みに合わせて作り変えたのだ。
ふん、と鼻を鳴らした。人間の城に興味は無い。
ぞろぞろと並んだ人間の先に、岩が見えた。大きな岩だ。何故城の庭に岩があるのか。初代国王の趣味だろうか。
その岩に刺さっている物が見えた途端、ユーテルの感情がぶわ、と高ぶった。
岩の中央から飛び出すようにしている物。あれは、剣の柄だ。
あの模様には覚えがある。
それだけでは済まない。憎い、憎くて堪らない。
突然、城に乗り込んできた若造。
あいつが持っていた、奇天烈な術を発動させる剣だ。
ユーテルは無意識の内に、唇を噛み締めていた。
ああ、おぞましい。憎い。吐き気がする。
ユーテルの前に並ぶ人間たちは、揃って柄を握り、岩から抜こうと奮闘している。
筋肉隆々の男たちが、奇妙な声を上げながら。汗を撒き散らしながら。
それでも剣はピクリともしない。
「・・・ああ、そういう事か」
ユーテルは噛んでいた唇を、今度はペロリと舐めた。
俺の封印が解けるから、あの剣を扱える者を探しているというわけか。
そうだ。あの男の封印は不完全だった。だからこうして俺が動けているわけであり、人間たちも時が来たことを知っているのだろう。
少し、遅かったようだがな。
ユーテルの番が回ってきた。
魔王は、かつて自分を封印した忌々しい剣の柄を握る。
「俺が手に入れてしまえば、魔族に逆らえる者が居なくなるというわけだな」
ニヤ、と自然に口角が上がった。
手に力をこめる。
抜ける。感覚で分かった。
あれだけの人間が抜けなかった事実が信じられないほど。剣は刺さっているのではなく、ただ岩に空いた穴に入れられているのだと思えるほど。
するり、と。
ユーテルの予想通り、剣は簡単に動いた。刃が姿を見せる。おお、と背後で小さな声が上がった。
「・・・ふん」
剣は抜けた。いとも簡単に、力などほとんど要らずに。
かつて男が使った術が発動するかという懸念はあったが、杞憂だったようだ。
握ってみて初めて分かった。この剣そのものに術を使える力は無い。あの青年が媒体にしたというだけで、これが剣でなく杖であっても良かったのだろう。
という事は、剣を手に入れたところで魔族に逆らえる人間が居なくなったというわけではなくなったわけだが。何らかの力を持った人間が現れ、また城に乗り込んでくる可能性はある。
まぁ、良い。
見たところ、人間共はこの剣にだいぶ御執心のようだ。それが魔族の手に渡ったと知れば、誰も逆らおうとは思うまい。
庭に座っていた国王が立ち上がった。隣に居るのは息子だろうか。彼も目を丸くして固まっている。
ユーテルは、罵声の一つでも浴びせようと口を開いた。
恨めしい、憎たらしい人間共に、絶望を突きつけようとした――――の、だが。
「素晴らしい!!」
駆け寄ってきた国王が、ユーテルの手を強く握った。
びく、と思わずユーテルは肩を震わせた。不覚にもビックリした。
「そなたこそ!そなたこそ、かの御方が仰った、資質を持つ者!」
「し、資質?」
「まもなく目覚めし魔王を再び封印する者!その力を持つ者!それがそなたなのだ!嗚呼、伝説の通りに現れた!」
「いや、あの」
「皆、この者を称えよ!彼こそ、三百年前の勇者様の意志を継ぐ者だ!」
おおおお、と歓声が湧いた。
幼い次期国王も目を輝かせ、大きな拍手を送っていた。
「父上、その方の名は?名はなんというのです?」
「おお、忘れておった!そなた、名をなんと申す?」
「ゆ、ユーテル、だが」
「ユーテル!嗚呼、我らの希望よ!今宵は宴を開こう、魔族の城へ行くまでに必要な武器や防具も揃えよう!」
「おい、俺は」
ユーテルの言葉は意に介さず、国王は喜びの言葉を吐き続ける。
「ああ、そうだ、ユーテル殿。実は、剣は抜けなかったものの、武術や魔法の心得がある者が勇者様に同行したいと城で待っておるのだ!会って、どの者と行動するか選んでやってくれぬか」
「・・・いや、だから」
「国民の皆よ、聞こえるか!ここに勇者様が誕生された!名をユーテル様という、精悍な青年だ!称えよ、崇めよ、祝福するのだ!!」
わああ、と更に大きな歓声が、ユーテルの身体を震わせた。
何だ、この状況は。
俺は魔王であるぞ。勇者など反吐が出る。おかしい、おかしいぞ。
「おい、いい加減に」
「さぁさぁユーテル殿、城の中へ!宴の前に準備がありまする故!」
背をぐいぐいと押され、ユーテルはほぼ拉致の形で城に招かれた。
まず顔を合わせたのは、三人の男女。
明らかに武道に通じた男。派手な杖を持った女性。フードを被った少年。
ユーテルを見た途端、彼らは一様に拍手を送った。
「ユーテル様!魔王討伐の旅、我らにも是非ご同行させて頂きたい!」
「私は魔法が使えるのです。必ずやお役に立ちましょう」
「・・・未来、少しだけ・・・覗ける」
「ユーテル殿!」
国王がバタバタと駆け寄ってきた。
従者に大きな荷物を抱えさせている。
「この国の防具や薬草を揃えましたぞ!好きなだけお使い下され。そして、どうぞこちらをお納め下さい」
国王が差し出したのは、麻の袋。
ずしり、と見た目にも重さが伝わってくる。
「・・・これは、まさか」
「百万シンございます。使い道はどうぞご自由に。足りないとあらば持って来させましょう」
「・・・おい、俺は」
「ユーテル様!」
「ユーテル様!」
「魔王を、魔族を倒しましょうぞ!奴らの脅威に怯える日々に終止符を!」
大量の武器と防具。そして薬草。
きらきらと輝きに満ちた眼をした人間たち。
色んな意味で重量感のある百万シン。魔族に貨幣制度はないが、これがどれほどの金であるかは分かる。
―――――元来面倒見の良いユーテルに、「俺が魔王だ」と絶望に叩き落せるだけの冷徹さは、無かった。
「・・・ま・・・任せるが良い・・・」
わぁ、と城中に喜びの声が響き渡った。
魔法使いの女性がユーテルに抱きついてきた。人間の女に触れたことなど無いユーテルは戸惑い、頭が真っ白になった。
そこで蘇る、三百年前に封印された時の記憶。
あの無礼な青年は、城の扉を開けるなり、術を発動させてきた。
最初の術は落とし穴。ユーテルはかろうじて落ちずに済んだが、落とし穴の底には汚物が撒き散らされていた。嫌がらせだ。
次に巻きびし。もう魔法でも何でもない。小指に思い切り刺さった痛みを覚えている。
そして大量の害虫。夏の台所によく出没するアイツだ。
虫そのものは平気であるが、奴はよりにもよって服の中に虫を発生させた。
ぞぞぞ、と駆け上がる悪寒。追い出そうと身体を動かす度に移動する虫共。虫から逃れようとするあまり、誤って落とし穴に落ちてしまった奴もいた。
最後に、奴は封印の術を使った。
中途半端な術だった。四肢は確かに動かせないが、かすかに意識は残った。王座に縛り付けられたユーテルは、身体に迸る憎しみを全て込めて青年を睨んだ。
混乱する城内。
青年の剣で負傷させられる部下。
とどめに、青年はユーテルに近付き――――――
その身体を、思い切りくすぐった。
「ぐはっ!きさ、ま、やめっ!ぐふっ」
「油性マジックも持って来れば良かったなぁ」
「何を、へぐっ!ふひ、おい、ちょ、もう」
「僕は弱い。出来るのはここまでだ。君の封印が解ける頃、魔族を倒す資質を持つ者が現れるだろう。そういう魔法をかけておくからね」
そう言い残して、青年は去っていった。
大量の害虫と数々の落とし穴(汚物付き)を残したまま。
ああ、そうだった。
奴は嫌に中途半端な術しか使えなかった。
魔王たる俺が、何故この剣を抜けたのか。答えは簡単だ。
俺が、魔王を殺せるからだ。それはそうだ、自殺すれば良いだけの話だ。
それが、奴の言う「資質」なのか。
「・・・中途半端にも程があるだろう!!!」
未だに乱舞を続ける部屋で、人間の女性に抱きつかれながら、ユーテルは力の限り突っ込んだ。
こうして魔王は、魔王を倒す旅に出ることになった。