壱 (――たとえば、レッド・オブ・プレイ・アナーキー)
遅めの朝にはパンク。
スリーコード中心。音量もけたたましく。
安物ラジカセが撒き散らす。安物の音を。
女王は死んだ――繰り返す。大安売りで繰り返す。
湿ったソファ。もたれて。ショートブーツを投げ出して。
空は曇天。鉛色。
生温い風が通り過ぎ、生温いビールを流し込む。
ズタズタのタンクトップ。プリントのスラングも読めやしない。
痩せ細った肢体。女のカラダ。
二日経った死体、にも似た。
浮き出る肋、干からびた脂。トリガラみたいな線に纏ったズタ布。ソイツが隠す、世辞程度の乳房を世辞程度に。
カモフラ柄のパンツはサスペンダー付き。もちろんソッチも破れがチラホラ。
目深に被ったゴーグルはバイク用。仕様に前髪パッツン切り揃え、以外の黒髪フワパチ天を突く。
両腕には、肘まで覆ったバンテージ。死体な肢体の装飾、グルグル巻きの包帯。
そこに指ぬきグローブ。伸びる指は細く、長い。
短く切ったネイル。マニキュアは真っ赤。まあるい赤が十、ソイツを宙にかざして。
「割れてレーザーメスが出りゃ、パーフェクトなのに」
女が口を尖らせる。ぷっくりと。爪と同じ真っ赤な紅の引かれた唇を。
そんでタバコを咥えつつ。
「今日も今日とてシティはサイバァなのにさ」
ゴーグル越しの景色を見下ろす。
モノクロームな空は曇天。七月に、だけど夏には程遠い空。
オンボロビルの屋上。そこから先に広がる。
錆びたトタン屋根。カタカナ表記のホーロー看板。レトロな街並み。
だけど宙に走る蜘蛛の巣。幾重もの電線。至るところに張り巡らされたソイツは、電子の網。
それがこのマチ――レトロでショーワなサイバァシティ。
と、扉の開く音。立てつけの悪さを覗かせて。
使い捨てライターをこすりつつ、オンボロビルへと振り返る。女。ぷかりと煙を吐いた唇、その端を歪め。
「おっしゃれー、サカキ。特にいつものわずらーしぃトサカがコンパクトに収納されちまってるところなんかオレ好みだぜッ」
黒のスラックスに、褪せた皮靴。なのに、目にも鮮やかなハイビスカスの色。赤と紅にまみれたアロハ風のシャツ。そこにカンカン帽をチョイス。曇天のまにまに、帯にあしらわれた旭日旗は堂々と。
そんないでたちで、男はくあぁとアクビする。別段面白くもなさそうに。
やがてタバコを燻らせて。女。さもついでと言った風に、
「で、なんの電話だったわけ?」
昇りゆく旭日の位置を直す。男の左耳にはそれより煌めくビーズ玉の、赤。数珠ジュズ繋ぎのビーズ飾り、そんなオモチャのリングをピアッシング。
オンボロビルに備え付けの赤色公衆電話。そこに掛かってきた案件。思い出すまでもなく。男。おもしろくもなんともなく、
「ヒイラギぃ、そんなもん、仕事の依頼に決まってんだろ」
まぶたを擦る。長い睫毛に埃でも乗っかっていたかのように。
その後で。
短く切った爪にはマニキュアの――黒。ソイツを軽く引っ掛ける。
「仕事をやるからさっさと来いってよ」
プシッ、と温いビールの栓を開けた。
◇ロッソ・ネロ◆
「――犯人はアオドリだな」
垂れこめる曇天の下、歩くサカキはつまらなさそうに、
「結論から言や、もうそれはそれで、それ以外にはねーよ」
ヒイラギのアドバイスは却下。結果三十分もかけてセットし直されたご自慢、そのヘアースタイル。何本ものヘアピンでサイドを留めた、零れ落ちそうなナチュラルリーゼント。毛先を揺らして行く、サカキの気もない結論。
ハデハデしいアロハ風の上に、礼装。黒のジャケットを羽織ったサカキへと、口を尖らせる隣のヒイラギ。その正装。コッチはパンク風のズタズタ衣装に、黒のモッズコートを着用。襟元には獣毛がたなびく気の入れ様。
生憎の曇り空に、しかし季節は七月。纏わりつく生温い風なんてお構いなし。二人ともが良く言や、よそ行き、そうじゃなきゃ季節も的も外れなカッコウ。
二人、丸型の郵便ポストを通り過ぎる。
良い朝を――。遠くの空にぼんやり佇む、搭のような煙突が、遅めの挨拶に顔を覗かせる。
良い一日を――。舗装もイマイチな道路。スーパーカブが横切って、ちょっとした砂煙が舞う。
せっかくの衣装も台無し。とはいえ何事もなかったかのように。
二人埃を払うは、瞬間的に。かつての洗礼も、今じゃただの習慣的に。
≪――気だるき一日、生きるだけ――≫
そんなことより気にかかるはフワパチに尖らせた先端。そのツブレ具合。ヒイラギ、仕方なしに被ったカンカン帽のツバを弄りながら、
「てかアオドリだってんならー、オレらが呼ばれる必要ねんじゃね? あいつぁ『ネロファミリー』の下っ端だろ。ならネロの内々でケリつけりゃいーじゃん」
と、訊いた傍から上げる感嘆の声。「うわ、サイバァ」
持続なんて言葉も皆無な集中力。その頃にはすでに、ゴーグル越しのモノクロな視界に心を奪われる。
路肩に詰まれた電子ジャンクとスチール缶の山。その脇に女。白地に散った紺――カニの柄のユカタ。
金無垢の前帯はオイラン風。ソイツをはだけてバンキング。金髪ショートを揺らす。揺らす。
レースの手袋に、スチール缶片手の壊れたて。
曝した明と暗、白い胸元に覗かせた墨――ソイツもまたカニのモヨウ。
もう一本の手には、携帯用の音楽再生機。首筋へと伸びるケーブル。黒のパンプスで荒々しくもリズムを刻む。
バンキングするたび、金髪に乗っけた小さなシルクハットもまた、揺れる。揺れる。不規則に。
「あんなモン、ただの『電子ドラッグ』だろが」
ゴーグル越しに瞳を輝かせるヒイラギへと、興味もなさそうなサカキ。
「サっカキぃには、なんであのサイバァ感がわっからねーかな」
継いだヒイラギの真っ赤な唇。むくれるそこにタバコをねじ込みつつ、着火。
「直接、カラダに電脳を取り込むってあのサイバァな意気込みが、さ」
そしてぷはぁと吐き出す。辺りに広がる甘い紫煙。
それを見て、紙製のブックマッチを片手で器用にこすったサカキ。
「肉体改造の延長戦じゃねえか、あんなモン。それをサイバァ、サイバァって一体全体どうしちまったかね、このマチは」
自分のメンソールに火をつけて、吐き捨てる。紫の上に重なる煙。つまりは二乗。周囲を覆った甘い匂いを塗りつぶすように。
煙まじりに撒き散らす感情。それは噛みつくヒイラギの事情。
「肉体改造とサィバァの違いもわかんねーとか、マジねーわ。オレがサイバァ化を果たすその暁には、サカキにはその辺をしっかり理解してもらわねーとな。つまりオレがアトムなら、サカキはヒゲオヤジだなー」
「結構な端役じゃねえかよ」
「と、に、か、く、だー。電子な異物をカラダに直接埋め込んでんだぞ? 趣味一辺倒でアフターケアも万全な改造なんかとワケが違うってーの。痛いとか言ってられねーんだから」
「ただの痩せ我慢だろ」
「違ぇーし、違ぇーし。それでもサイバァでありたいっつー自分との戦いだし」
「あれがか? 脊髄に電子線埋め込んで、直接体内で音源響かせたり、神経に刺激ドラッグの信号走らせる、あれがか?」
「そっちのがカッケーじゃん。ビートを骨に刻んでんだぞ? そのためのサイバァだし。それがサイバァってことだし」
「なら結局は趣味の延長じゃねえかよ。ってことは、やっぱり改造と一緒じゃねえか」
「うわ、全然わかってねー。みなさまー。ここに、わかってない人がいますよー」
咥えタバコのまんま、ヒイラギ、通り中に声を上げる。
≪――くどくど口説く――≫
と、その後ろ。白波模様をしたジンベエ姿の三人組。通り過ぎるは、用途も不明な金属片、ソイツを頭頂部や頬に貼りつけた連中。まるでヒレにウロコ。人造魚人の回遊。
頭上には看板。ニコリと微笑むオバチャン。割烹着姿のその手には、今も売ってる軟膏の――モノクロ写真。商品名の下に『帝都製薬』の――鏡文字。隣じゃ、ずれた眼鏡のオッサンが『元気溌剌』のコピーと共に瓶を傾ける。年代物の、ともすれば戦前の、看板。ホーロー製のソイツはあちらこちらに。
そして立ち並ぶ、トタン屋根の建造物。ペンキも剥がれ気味な、旧時代の遺物。
足元の砂利道には、染みこんだ潮の香り。忘れたくとも忘られぬ、故郷の匂い。つまりは呪い。今もけして消えぬモノ。
そこを往く異物。異形の連中を見やりながら、サカキはスチール缶を蹴っとばす。
「闇市に毛が生えた程度のマチだったくせに、変な流行り病に侵されちまったもんだ」
しみじみ呟くサカキへと、間髪入れずヒイラギが指摘。「マチ、じゃなくてサイバァシティな」
小さく項垂れ、溜息。サカキは短くなったタバコをかかとで揉み消す。
すると、
「で、なんの話だったっけ?」
倣うようにタバコを放り棄てたヒイラギの、大真面目な口調。
なおさら項垂れるサカキ。
「あれだろ」
トタン屋根の先、一際白い洋風建築を顎でしゃくりながら、言った。
「あーそーだった」思い出したヒイラギは興味もなさげに、
「〝神父〟の後任の、銭ゲバ〝シスター〟の件ね」
白い三角屋根の洋館。そのテッペンには、申し訳程度にそびえる十字架。とはいえ建物に教会的な要素はそれと三角屋根くらい。
さんざ時間をかけた髪型の、零れ落ち具合を気にしつつ、サカキは言う。
「言うなりゃここいらの中立的シンボル、〝シスター〟アンジェリカが一昨日の夜殺されたってのは、組織間の小競り合いなんかと違った話。今じゃ誰でも知ってるマチの大事件ってヤツだろ」
微笑みから溢れるは、慈愛。唇から零れるは、慰め。飾りたてるは、美しいブロンドと澄んだ瞳。貞淑という名の貞操帯――真白の修道服に身を包みし乙女。ここで唯一死者に救いを与えられる存在。ソイツが〝シスター〟アンジェリカ。
「そんで、〝シスター〟と最後に会ったのがアオドリだってのもみんな知ってんだろ?」
ゴーグルのレンズに映る白い十字架。冒険に出かける少年の容貌で、ヒイラギが継ぐ。
「だから、って簡単な話なら、オレらが呼ばれるのはおっかしーじゃんよ」
ぷっくりと真っ赤な唇を尖らせても、
「でも、犯人がアオドリであることに変わりはないぜ」
サカキは持論を撤回するつもりはないらしい。
相も変わらず口を尖らせたままのヒイラギ。いたずらっぽい少女の容貌で。
「組織から金を巻き上げる〝神父〟のヤリクチはいかがなモンかとは思うけどさ。いちおーは必要な仕事なんだし、その後任の〝シスター〟が、よりにもよって組織のヤツに殺されるどーりがねーだろ?」
サカキは、少しだけ低い位置のカンカン帽を直して、
「なら名探偵ヒイラギとしちゃ、誰だと思うわけよ」
旭日旗を見やりながら、訊いた。
真っ赤なネイルで装飾された右手。ソイツを顎に当て、うーんと唸るヒイラギ。
「他にも容疑者がいないわけじゃねーじゃんよ。教会の二人の使用人も事件以来、姿を消しちまってんだろ?」
サカキは苦笑交じりに、
「〝墓堀人〟と〝修復士〟か」
そうそう、相槌を打つヒイラギ。
「人使いの荒さに〝墓堀人〟がブチ切れちゃったとか、本職とは別に『洗礼』の副業してた〝シスター〟の上前はねようとした〝修復士〟が関係こじらせちゃったとか……」
言いながら、ヒイラギは思い出して、
「……そういやサカキの刻印も〝修復士〟のだっけ」
サカキはわざとらしく、右の人差指を振る。
「俺のはあくまで装飾だけ。言うなりゃカスタマイズ。〝修復士〟の技が気にいって彫ってもらっちゃいるけど、『洗礼』は受けてねーの」
でもだ、とヒイラギは前置きして、
「法外な金額でも神様のご加護を受けたいっていう物好きは後を絶たないんだろ?」
「まあな、一種のトレンドさ」サカキは鼻を鳴らす。
「〝シスター〟の『洗礼』。言うなりゃただの祈祷にして、お守り。切った張ったの最中に、そんなもんが助けになることもないだろうがよ。それでもチャカにしろヤッパにしろ、『洗礼』を受けるってのはそれなりの値も張るからこそに、マチの人間にすりゃトレンドってわけだ。まあさっきも言ったように〝修復士〟の腕は間違いないから、見栄えもいいしな」
「シティな、サイバァシティな」とちゃんと釘は刺して、
「ならやっぱりさ、ネロの下っ端にすりゃ法外な金額払ってまで『洗礼』してもらったその銃で、〝シスター〟のこめかみぶち抜いたって話はおっかしーだろ。ガキじゃねーんだから、与えられたおもちゃで試し撃ちってのとはワケが違ぇーんだから」
うんうんと頷くヒイラギ。
サカキは、くあぁとアクビする。ヒイラギとの問答に飽きたように。そして通り過ぎつつある建物をちらと眺めた。
教会風の建物は、今やぶきっちょなミイラ風。撒きついたビニールテープ、目にも鮮やかな黄色で覆われている。
そこに連なるは記号にして符牒――『触れるな』という意味の。うんざりするほどに並んだ『キープアウト』の文字。
「かくして御坐は閉ざされた、ってな」
少しだけ愉快そうな響き。それはサカキの声。
ヒイラギが聞き返す。「なんだよ、それ?」
口端を歪めるサカキが続けた。
「そんで〝シスター〟は会えたのかな」
今日も今日とて、空は曇天。傾きつつある陽光すら、どこへやら。塗りつぶされた鈍色。
ソイツをゴーグルに映すヒイラギが、呆れるように言った。
「――神様に、なんてゆーなよ」