吟遊詩人はかく語りき
「日が隠れて子供が眠り、月がおはようと言って空を見守る星達に挨拶をする。火が灯ったランプが店内の木目やそこに居る人を照らす。
立ち込めるアルコールの匂いに混じって時折柑橘や果実の匂いもする。僕は甘い酒が好きだ。夜の酒場は大人の社交場とはよくいったものだね。
……だから子供は僕の前にはいないはず……なんだけれど、またどうして君は大衆酒場なんてかけ離れたところにいるんだい?
ああ、このお店のお子さんなのか。それは納得だ。でも夜更かしは良くないぞ?夜に紛れて、闇色の竜が現れて君を頭からぱくりと一飲み!
ごめんごめん、怖がらせるつもりはないよ。でも、子供は沢山寝て色んな夢を見なくちゃね。大人になって見れなくなる分も、今の内に沢山。
え、眠れない?ここの大人たちの声が煩くて?ハハ、それは大変な悩みだねぇ。由々しき自体だ。
じゃあそんな君に、ぐっすり眠れて色んな夢が見れるようにおとぎ話をしてあげよう。誰も知らない、竜のおとぎ話をね。
そうしたらきっと君は夢を見るのが楽しみになって、早く眠りたくなるだろ?今日はじゃあ……'夜'にまつわるおとぎ話をしてあげよう。君の想像力をかき立てて、聞いてくれ。
竪琴の音は風の色や音を、話す物語はきっとどこかであった物語を。
さぁさ聞いてってくださいな。吟遊詩人が語るのは、'昔々'から始まる遠くて近い、どこかの国のおとぎ話。
昔々あるところに、とても綺麗なお姫様がいました。
その清き川の流れのような金の髪は神が紡いだ金糸と呼ばれ、星のように光り輝く瞳は見つめられれば魅入られるともまで言われていた、国中の人から愛されていたお姫様。
けれどお姫様は、それにうんざりしていました。確かに美しいと言われるのは悪口を言われるよりはまだいい気になりますが、皆口々に美しいとしか言わないのです。
そう。容姿以外、誰もお姫様のことなど知らなかったのですから。
彼女がいくら人離れしているほど綺麗でも、まだうら若き乙女であり心は知らぬ外への好奇心に溢れていました。この窮屈な見世物小屋のような城から出たいと願っていたのです。
そしてある夜のこと、お姫様はどうしても外に出たくなって部屋のテラスから外に出ようと計画します。
彼女はテラスに出て満月を見上げました。その時、月の神様がお姫様のあまりの美しさに一目惚れしてしまい彼女を夜空へと攫ってしまったのです。
そして神様は彼女を傍に置き月の満ち欠けの手伝いをさせようと、彼女をドラゴンに変えてしまいました。大きな四足の身体を覆う水のような薄い青の鱗には、明るくぼんやりと光る彼女の髪のような美しい金の線が所々に入っており、瞳は金色に輝いていて本当に星のよう。
ドラゴンに変えられてしまったお姫様は、最初こそ悲しみましたが、世界を見れる楽しさに悲しみを忘れていきました。そして知っていったのです。今まで見たことの無かった世界の美しさと、醜さを。
夜の闇に紛れて流れる一筋の流星を、人々はドラゴンだなんて思いもしませんでした。そして彼女が居た国は深い悲しみに包まれつつも、誰しもが'美しい姫'という人物を記憶の片隅へと追いやっていきます。
人間とドラゴンとでは流れる時間の感覚が違います。ドラゴンの一眠り、は人間の一生分の時間に相当する可能性もあるのですから、それは必然だったのかもしれません。
そして長い年月が経ちました。
彼女の居た国はとうの昔に亡くなり、今はもう違う国に。文化も人種も地形さえも、様変わりしています。時折口伝で、谷にはドラゴンがいる。近づいてはならない、なんて辺境の村々には伝わっていたようですが、本当にドラゴンがいるだなんて思わず誰も信じてなどいません。
彼女の姿を見ただろう人は、その神々しさとドラゴンという畏怖の対象に恐れをなして皆逃げていきます。きっとその人達がそれを伝えたのでしょう。彼女は昼間の間は深い森を抜けた谷にある洞窟の奥深くで、纏う光を隠しながら過ごしています。
ある日、彼女は洞窟で眠っていると1人の人間が自分の住まう谷の近くの森に居るのに気付きました。血の匂いがしたからです。彼女は血の匂いが嫌いで、一刻も早く出て行って欲しいと思いその人間に警告しに行きました。
毎度のように少し脅かせば勝手に逃げていくだろうと思って彼女はその血の匂いを辿り人間の元まで行くと、そこには大木に凭れ掛かり足や腹部から出血している1人の青年を見つけたのです。
青年は身なりからして盗人のようでした。盗賊など卑しいことなどするからそれ相応の罰が下るのだと、彼女は蔑みを含めて彼の前に現れれば見下ろします。すると青年は薄らと瞼を開きドラゴンを見上げました。
「ああ、俺なんかのお迎えが、こんなに綺麗なドラゴンだなんて……俺もツイているなぁ。やっぱりいい事してるって、神様もわかってくれてんのかな…」
ドラゴンは驚きました。自分を綺麗と言う人間に、今まで会った事がないからです。
「お前は何者だ」
「俺は正義の義賊、……世間を賑わす正義の怪盗……のなりそこない」
正義の怪盗?確かに、青年の顔つきからは極悪人には見えません。身なりが薄汚いのもあってきっとそこらへんの盗賊の下っ端とかだと思っていました。
人が死ぬのは自分の知るところではない。けれど、何故だかこの青年を助けたい。そう思ったのかドラゴンは自分の持つ癒しの力で、青年の傷を治してやりました。光を浴びた青年の傷はたちまち塞がり、痛みは消えていきます。
「あれ、痛くない……血も出てないし…ま、まさか治してくれたのか?」
「今回限りだ。もう盗みなどしないことだな。さぁ、早々にこの森から立ち去れ。」
「ちょっと待ってくれ、美しいドラゴン!君の事を教えてほしい。」
「え?」
「君の事を、教えて欲しい。俺は言ったけど、君のことを教えてもらってない」
青年の言うことは最もでしたが、ドラゴンは驚きと戸惑いを隠せません。自分の事を教えろなどといわれたのこそ、初めてだったからです。
「私は……ドラゴンだ。月のドラゴン」
「違う、名前とかあるだろ?」
「名など……」
そう言えば、自分の名前をドラゴンは思い出せません。彼女は、物心付いた時から"美しいお姫様"としか呼ばれたことが無かったのに気付きました。
「……忘れてしまった。思い出すことも無ければ、誰も呼ぶことがないから」
「じゃあ、思い出したら俺に一番に教えてくれよ。俺が一番最初に呼ぶから」
「……ではお前の名は?」
「……俺の名前はまだ言えない。俺はまだ、正義の怪盗になれてないから。……だから待っててくれ。きっと俺の名前はでっかく有名になって、君の居る月まで届くはずだから!約束するよ」
青年は、まだコソドロと変わらない自分の名前は言えないといいます。小汚い自分が正義という輝きを纏うまで、輝くドラゴンの御名に相応しくないと思ったからです。
恐れて逃げない人間すら始めてなのに、それ以前に、自分を知ろうとしてくれる人が居るとは彼女は思ってもいませんでした。
「恐ろしいドラゴンなんて嘘っぱちだな。君みたいに優しいドラゴンに会えるなんて俺はなんて幸せ者なんだ」
世間一般的に、ドラゴンは恐れるべき存在。敬い奉るがそこは恐ろしいという恐怖の念が根底にあるから。そんな自分を知ろうというのかこの青年は。恐れ知らずなのか、ただのおバカなのか。
でもそんな青年に、彼女が惹かれていっていたのは明らかでした。彼の話す町の話や国の話、盗みを行うのも悪い奴だけだという事など興味津々に耳を傾けます。
そして彼女も世界を飛んでみてあの風景が綺麗だ、どこどこの食べ物はおいしい、などと色々な話を青年にしました。青年は、博識で風景や自然を愛するこのドラゴンに惹かれていきます。
「きっと君は知れば知るほど心が綺麗で、優しくて俺には勿体無い存在なんだろうなぁ……でも俺も頑張るよ。君に釣りあうような、正義の怪盗になるからな」
「結局盗みはやめんのか」
「だって君から心を盗めないじゃないか」
「……盗む必要など無い。心なんてお前にくれてやる」
「えー!?ロマンの無いドラゴンだなぁ。……じゃあ、心を交換しよう。」
「どうやって?」
「俺の心は君の中にある。そう思ってればいい。俺も君の心は俺の中にあるって思ってる。物理的な話じゃないさ」
笑って言う青年に、彼女は思わず笑みが漏れた。軽く頷いた後、ふと空を見ればもう黄昏も終わりそうで月が浮かび上がってきそうだ。今日は満月、自分は行かなくてはとドラゴンは大きな翼を一度はためかせた。
行かなくてはならないとドラゴンが言えば、青年は立ち上がり、彼女を見送った。空へ舞い上がりまるで流れ星のように早く高く飛んで行くその様に、青年は本当に美しいドラゴンだと思った。
その後、結論から言うと彼らは二度と会う事はなかった。
けれども、青年は約束を守ったんだ。彼は後に世紀の大怪盗として世に名前を残し、死ぬ間際まで弱者の味方だったんだよ。そして彼女が初めて彼の名を聞いたのは、彼が死ぬ時だった。
世紀の大怪盗死す!ってニュースになったからね。その時彼女はドラゴンとして初めて、いや、生まれてから初めて誰かの為に涙を流した。
毎夜毎夜、何年も何十年も彼女は会う度にどこか悲しそうにし、見ていないところで涙を零す様子に心を痛めた月の神様は理由を聞いて、納得した。そして、彼女達の愛の深さに白旗をあげたんだ。
神様は彼女を攫ったあの時のままの姿に戻した。そして死んでしまったはずの彼を、彼女と出合ったあの姿で生き返らせたんだ。さすが神様、なんでも出来てしまうんだねぇ。
そして2人は満月の夜、あの出合った森で再会して……名前を交換し合ったとさ。めでたしめでたし。
………え?その後2人はどうしたかって?
……そう言えば、つい最近まで世間を騒がしていたドロボウ…ああいや、怪盗がいたねぇ。なんだっけか、数百年前の怪盗再来とか言われてたっけ?あの怪盗'月光'って。なんでも2人組みの怪盗らしいね。
ほら酒場の壁にも貼ってあるじゃないか、お尋ね者の張り紙。おお、どうやらその2人組みは男女のようだねぇ。
……彼らがこのお話の2人かって?さぁ、それはどうだろう。だってこれはおとぎ話。昔話に扮した真実かもしれないし、ただのホラ話かもしれない。どう受け取るかは君次第さ。
さて、もうお月様はきっと天辺まで昇ってるよ。君の夢の扉を出してあげたから、早く布団に入ってその扉を開けなさいな。夢の中で君を待っている人もいるかもしれないよ。
僕?僕はもうちょっとここで飲みながら詠うとするよ。人から頼まれた小話やどこかの国の機密情報だったりと、話すお話には尽きがないからね。
また僕のおとぎ話を聞きたくなったら明日の夜、おいで。今日とは違うお話を聞かせてあげよう。
……おやすみ。良い夢を。」
ツイッターのお題とかで書いてた小話を小説風に書き直しました。
このシリーズはもこもこ増えていく予定です。