第五話
ダリルは一向に旅立つ気配を見せなかった。宿屋に戻ってからは、ずっと部屋にこもったままだ。外を出歩くよりはまだまし、とエリーは思いながらお客用のシーツ類の洗濯にとりかかっていた。宿屋の仕事は朝から晩まで忙しい。今日は風が強いし天気がいいからよく乾くだろうと思い、せっせとシーツを洗濯し宿屋の裏庭にシーツを干していた。サムはその側に座り紙に絵を描いていた。サムは絵が得意だ。耳が聞こえなくなってからは、特に絵を描くことに夢中になっていた。
木と木の間に紐をかけ、シーツを干していたエリーは、サムが描いている絵をそっと眺めた。白い紙一面に真っ黒なカラスが大きく描かれている。あまりのリアルな描写にエリーはぞっとした。エリーはサムの肩を叩き、顔を上げさせた。
「そんな絵描いちゃダメ!もっときれいな鳥を描いて」
「カラスくんは、きれいなとりだよ」
サムはむっとしてエリーを見上げる。
「『カラス』っていうのが、カラスくんのなまえなんだ。ダリルがいってた」
「あの人と気やすく話しちゃダメよ」
「なんで?ぼくとダリルはともだちになったんだ。ダリルはぼくのおもっていることがぜんぶわかるんだよ」
「ダメなの!あの人は普通の人じゃないの。もうすぐしたらここから出ていくんだから」
「エリーはいつも『ダメ』ばかり!いじわるだ。ダリルはぼくのともだちだ」
サムは顔をそむけ、またカラスの絵を描き始めた。
「……」
エリーは、必死になって絵を描くサムを黙って見下ろした。サムには遊び相手になる友達がいなかった。耳が聞こえず上手く会話が出来ないことも、友達作りのハンデになっている。と、その時突風が吹き抜け、まだ洗濯ばさみでとめていなかったシーツが、エリーの手元を離れて空に舞い上がった。
「あっ!…」
シーツは宿屋の屋根にふわふわと着地した。
「あ〜あ、屋根の上に飛んでいっちゃった」
エリーとサムが宿屋の屋根を見上げていると、二階の窓が開きダリルが顔を覗かせた。「どうやらお困りのようだね」
「ダリル!」
サムは大きくダリルに手を振った。
「シーツがやねにあがっちゃった」
「いいの!後で私が取りに行くから」
窓から身を乗り出して屋根のシーツを見上げているダリルに、エリーは慌てて言った。こんなとこで魔法を使われたら大変!エリーがそう思った矢先に、ダリルはもう指を動かしていた。
「君が屋根の上に?…君なら行けるかな?でも、屋根が壊れるとまずいからね」
「!!…」
ダリルは軽く指を回して何か呟いた。と、屋根の上に覆い被さっていたシーツはゆっくりと起きあがり、まるで中に人が入っているかのような動作でふわふわと舞い降りてきた。サムは口を大きく開けたままシーツに見入っている。シーツはワルツを踊っているように回りながら、ふわっとエリーの手の中に到着した。
「すごい!すごい!すごーい!」
サムは飛び跳ねて喜んでいる。
「ダリル!もういっかいやって!」
裏庭を見下ろしているダリルがもう一度指を動かそうとしたので、エリーは慌ててシーツを紐にピシッとかけ直し洗濯ばさみではさんだ。
(今はよした方がいいな)
ダリルの心の声がサムの耳に聞こえた。
「すごい!ぼくもダリルのこえがきこえるよ!」
サムは興奮して叫んだ。
(エリーをこれ以上怒らせたら恐いから、今はやめておこう)
無言でダリルを睨んでいるエリーを見て、ダリルはサムにウィンクした。
(分かった!)
サムも笑顔でダリルにウィンクを返した。