第三話
翌朝。朝食の準備をしにエリーが居酒屋に下りていくと、叔母夫婦と近所の人々が興奮気味に話し合っていた。
「それ、本当なのかい?」
「間違いないさ、立て札の文字が綺麗に消えていたんだって!国王に見つかったらえらいこった」
「子供が悪戯して消したんじゃないのかい?」
「いいや!魔法でも使わない限り、あんなに跡形もなく消えやしないさ!」
エリーはビクッとして思わず息を潜めた。
「しっ!声が大きいよ。魔法だなんて…」
叔母は誰もいないことが分かっていながらも、辺りを見回した。
「恐ろしいこと言うんじゃないよ」
エリーは軽く咳払いすると、叔母達の元に歩いて行った。
「おはよう」
「ああ、おはよう、エリー。後で市場まで買い物頼むよ」
「ええ、サムと一緒に行って来るわ」
市場に食料品の調達に行くのは、エリーの楽しみの一つでもあった。
「エリー、知ってるかい?この国に魔法使いが来たらしいよ」
近所の婦人は興味津々でエリーに話しかける。
「…魔法使いなんているわけないじゃない。さ、早く食事の準備しなきゃ。みんな起きてくるわよ」
エリーはそう言うと、そそくさと厨房に入って行った。
朝の仕事が一通り終わると、エリーはサムを連れ、荷台を引いた馬車に乗って市場に出掛けた。手綱を引いて馬車を走らせると、爽やかな朝の風が心地良い。サムは楽しそうに身を乗り出して街の景色を眺めている。市場までの十五分足らずの道中は、エリーとサムの幸せなひとときだった。
市場は今日も方々から作物や衣料を売り買いする人々で賑わっていた。エリーは顔なじみの売人から次々と食料品を買っていった。みるみる荷台は新鮮な食料でいっぱいになっていった。
「エリー!」
買い物が終わりかけた頃、エリーは人混みの中から声をかけられた。
「リリィ」
幼なじみのリリィが笑顔で駆け寄って来る。彼女はもうすぐ結婚が決まっていた。同い年なのに、最近リリィは大人っぽく女らしく感じられる。
「買い物はもう終わった?」
「ええ、もう荷台に積み込めないわね」
エリーはフフッと笑った。リリィとは小さい頃から一緒によく遊んだ。色んな話をし相談しあった。エリーの両親が亡くなった時もリリィは心からエリーを支えてくれた。そのリリィが結婚してしまうのは、少しばかり寂しかった。リリィには大切な人が出来たのだから、もうエリーだけのリリィではなくなってしまったような気がする。
「今から仕立屋に行くところなの。そこまで一緒に行かない?」
「あ、ウェディングドレスの仕立てね。良いわよ、馬車に乗って行くといいわ。彼は一緒じゃないの?」
「後から来る予定よ。もうだいたいのデザインは決まってるんだけど」
リリィは心から幸せそうな笑顔を見せた。誰も邪魔することは出来ないような強い幸せをエリーは感じた。
色々な商売人が広げている商品を興味深そうに眺めているサムの元にエリーは駆け寄った。サムはたくさんのお菓子を売っている商人にくぎ付けになっている。エリーはサムの肩を叩いた。振り向いたサムの顔を見ながら、
「サム、帰るわよ」と言った。ゆっくり話せば、耳の聞こえないサムも口の動きで言ってることが分かった。サムは不満そうな顔を浮かべ、「まだ、いたい」と短く言った。
「だめよ、リリィを送って行くんだから」
「サム、珍しいキャンディを買ったのよ。サムにもあげるわ」
リリィは棒のついた色とりどりのキャンディをサムに見えるよう掲げた。
「わあ、すごい!」
サムはすぐにリリィの元に駆け寄って行った。
「リリィはやさしい。ぼくもリリィとけっこんしたい」
サムはリリィからキャンディをもらい、上目遣いにエリーを見上げる。
「何よ、さっさと馬車に乗りなさい。最近生意気なんだから」
エリーは少しムッとしてサムを馬車に押し上げた。 リリィはにこにこしながら、
「あなた達仲がいいわね」と言った。 幸せな人は何を見ても何があっても楽しいのだろうと、エリーはつくづく思った。
三人で荷馬車に乗りとことこと走って行くと、商店の並ぶ通りに出た。リリィの行く仕立屋もその並びにあった。そのすぐ近くまで来た時、
「あの人何してるのかしら?」
リリィは斜め前方を見ながら言った。エリーもそちらに目をやると、黒い人影が箒を手に持ち上に上げ下げしていた。エリーの顔がひきつっていく。