第二十話
日が昇り街が活気づいてきた頃、ダリルは歩いて宿屋に戻って来た。叩かれた頬の痛みと同じくらいに、胸がチクチクと痛んだ。エリーの心の痛みがダリルにも伝染したようだ。
(全く、人の心を乱してくれるお嬢さんだ。こんなことでは修行にならないな…。そろそろこの街を引き揚げることにするか…長く居てもろくなことは起こらないだろう)
この国に入った時から、不吉な影は感じていた。だが、それを上回る好奇心がダリルの足をここに向かわせた。
(魔法使いは必要のない国か…)
ダリルが店に入ると、サムがテーブルを拭いて掃除をしていた。
(今日はサムが掃除をするのかい?)
ダリルがサムの心に質問すると、サムはテーブルを拭く手を止めて振り返った。
「うん!エリーはきぶんがわるいって、へやでねてる。おじさんとおばさんは、いちばにいったよ」
「ふ〜ん…」
ダリルはサムが手にしている雑巾を見つめながら、呪文を唱え指をパチンと鳴らした。すると、雑巾はサムの手を放れ、勝手にテーブルを拭き始めた。サムはビックリして目を丸くする。
「すごい!」
(掃除は雑巾に任せておけばいいさ。それより、エリーはどんな具合なんだ?)
(よく分からない。布団かぶってベットにもぐったままだもの。少し寝たら気分は良くなるって言ってた)
サムは心で答えながら、目はじっと雑巾を追っている。
「……」
ダリルは腕組みして何か考えていた。
(サム、また絵を描いてくれないか?そうだな…バラの花が良い)
(?良いよ。花はちょっと難しいけど描いてみる)
(花には横笛を吹かせておくれ)
「よこぶえ?」
サムは不思議そうな顔をしてダリルに目を向けた。
「そう、横笛を吹いてる赤いバラの花だ」
ダリルはフフッと笑った。
「酷い顔……」
ベッドから起きあがって手鏡を手にしたエリーは、鏡の中の顔を見てため息をついた。寝不足の上に泣き腫らした目は膨れ、着替えもせずベッドに飛び込んだ髪はくしゃくしゃに乱れていた。はずれかけた髪のリボンをほどき、手櫛で髪をとかす。
涙はもう枯れていたが、胸の中はもやもやしていた。
「バカよね…あんなとこダリルに見られるなんて…」
鏡の中の自分に言う。
「…ジョージとはしばらく顔を合わせられない…」
昨夜のことを思い出すと、まだ胸がドキドキする。エリーはもう一度大きくため息をもらすと、鏡を置いて手で顔を覆った。
と、ドアの向こうから笛の音が聞こえてきた。軽やかで楽しげな笛の音が響いてくる。
「何かしら?」
ベッドから起きて部屋のドアを開けてみると、バラの絵が宙に浮いて横笛を吹いていた。
「!……」
エリーは驚いて口に手をあてた。
「ダリルの仕業ね」
ムッとしたエリーだが、ふわふわした赤いバラが葉っぱを手の代わりにして、横笛を吹いている姿を見ていると笑いがこみ上げてくる。体をくねらせながら演奏を続けたバラの絵は、演奏が終わるとフルートを葉っぱの手に持って深々とおじぎした。その様子が滑稽で、エリーはいつの間にか笑っていた。