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9.けんかした

「あの人ったら、ひどいのよ!」

 店の扉を開き、足音も高く飛び込んできた女性は、息を弾ませながら、そう叫んだ。

 本を読み耽っていた多紀も、ぼんやりと商品棚に奇麗に並べられた瓶を眺めながら煙草を吸っていた雫も、そちらに視線を動かし、絶句している。

「もう、もう、絶対に許せない! 雫さん、何かあの人を困らせる薬はないの!」

「なんだ、柚那じゃないか。旦那が浮気でもしたのかい?」

 興奮している柚那に、驚きからすぐに平静を取り戻した雫が、からかうように言う。

 多紀とは幼馴染みの間柄で、一緒に森を駆け回っていた仲だから、当然雫も柚那のことは幼い頃から知っている。

 6年前に、同じ村出身の男性と結婚し、すでに子供も2人いた。最近では、少しふくよかになってきた体が悩みの種で、この店へも、少しでも痩せられる薬がないかと、おしゃべりがてら顔を覗かせている。

 もちろん、痩せる薬に関しては、『楽して痩せる薬はないよ』と雫に毎回も言われているのだが、いまのところ諦める気配はなさそうだった。

「違います! 浮気だったら、家から追い出してやるところだった……じゃなくて、浮気も嫌だけれど、もっと困ったことになっているんだってば」

 そういえば、柚那の夫は彼女よりも1つ年下で、入り婿だったはずだ。雫も多紀も、柚那同様小さい頃から知っているが、大人しくて目立たず、気も弱かった。遊ぶ時も、他の男の子たちと違って走り回ることはせず、転んでは泣き、森で小さな獣を見ては泣き、女の子にきついことを言われては、泣いていた。

 取り柄といえば、優しいことと、村一番の器量よしだったことだ。

 少なくとも、大きくなって髭が生えてくるような年になるまでは、いつも女の子に間違えられていた。

 そんな彼を、弟のように―――もしかしたら、一番の子分のつもりだったのかもしれないが、かまっていたのが柚那で、彼も彼女に一番懐いていた。

 それが、いつ恋に変わったのかわからないが、気が付けば村公認の恋人同士になり、仲が良かった幼馴染み同士の中では、最初に結婚したのだ。

 他の子のように乱暴でもないし、きちんと仕事もするし、良き夫、良き父親でもあるのだが、ただひとつ、彼には困った趣味がある。

 恐らくそれが原因の喧嘩なのだろうが、柚那の様子はいつもよりも激しい。

 一体何をやらかしたのか。

 人の良さそうな無駄に美形な幼馴染みの顔を思い浮かべながら、多紀は溜息をつく。

「浮気じゃないなら、何やったの」

 話が進まないので、とにかく原因を突き止めようと、多紀は尋ねた。

 とたんに、柚那の目が釣り上がる。

「また、悪い癖が出たの!」

「あー、なるほど」

 多紀は納得したように頷き、雫はやれやれとでも言いたげに肩を竦めてみせた。

 柚那の夫の悪い癖。それは、無類の賭け事好きだということだ。それほど強くもないのに、賭け事となると、目の色が変わる。

 村人たちと、酒場や仕事の合間に少し遊ぶくらいならいい。皆、彼の賭け事好きは知っているから、よほどのことがなければ、無茶なことはさせない。反対に諫めることの方が多いし、それでもやめないようならば、金ではなくちょっとした食べ物や収穫物程度を賭けたりする。時には、仕事の手伝いをするかしないか、ということもあった。

 結婚して子供が生まれてからは、独身時代のように街へ行っては身ぐるみ剥がされるような無謀な賭け事は止め、おとなしくしていたようで、多紀としては安心していたのだが。

「この間、うちで育てた野菜を市へ売りに行ったのよ」

「柚那のところの畑でとれた野菜、おいしいものね」

 お裾分けに売り物にならないものをもらったこともあるし、まとめて購入したこともある。

「いつもは私もついていくんだけれど、今回はうちの下の子が熱を出してね。一人で行かせたわけ」

 そうしたら、あの馬鹿、街で古い知り合いに会って、うまいことのせられて賭け事をしたあげく、売り物を全部とられたのよ、と柚那が一気にまくし立てた。

 相手の出した条件が、野菜を売った金額の数倍だったらしいから、そのあたりでおかしいと思うべきなのだが、相手の誘いが余程上手かったのか、それとも彼が誘惑に勝てなかったのか―――どちらにしても、大損をしたのは間違いない。

「ああ、もう、腹が立つ! 一言、文句を言ったら、あの馬鹿、なんて言ったと思う?」

「さ、さあ?」

「お前のために頑張ったのに、よ。頑張る方向が間違ってると思うでしょ」

 その後は、途切れることなく彼女の口から出てくるのは、夫に対しての日頃の不満だった。

「とりあえず、落ち着いて」

 ようやく多紀が声を出したのは、柚那が息もつかせず夫への文句を言い切り、とうとう言うことが無くなった後だった。



「そうだ、いいものがあるよ」

 何かを思いついたというふうに、雫がぽんと手を叩いた。

「多紀。そこの棚にある、例のあれを出しな」

「え」

 あきらかに狼狽えた多紀が、いいのかと問いかけるように雫を見た。

「いいから、いいから。作っては見たものの、使い道がなくて困っていたんだ」

「あきらかに怪しげな感じがしていますけど」

 雫と多紀の様子を見ていた柚那が、言葉だけは一応訝しげだが、身を乗り出し、目は輝いている。

 そういえば、昔いたずらを決行するとき、先頭にたつのは、柚那だった。男の子たちが尻込みするような場所でも平気で入っていったし、自分より大きな動物にも怯まなかった。

 あまりにも無謀なことばかりするので、彼女の両親はいつも青筋を浮かべていた気がする。

「感じじゃなくて、たぶん、かなり怪しいと思うよ」

 そう言いながら、棚から多紀が取り出したのは、一枚の布だった。

 柚那の前で広げると、淡い光を放ち、わずかな空気の流れでも揺れるほど、薄い。透かしてみれば、反対側が見えるほどだ。ただ、残念なことに、よく見れば、ところどころで織り目がよじれていたが。

「不思議な布だよね」

 手に取って間近で眺めながら、柚那は首を傾げる。

「どんな糸を使っているの? よほど高級な糸でも、ここまで薄く作るなんて、無理だよ」

「糸を加工したのも、織機で織ったのも私なんだよ」

 得意そうに言う雫に、柚那はぎょっとしたように目を見開いた。

「えー、加工はともかく。雫さん、織機壊したんじゃないの。でも、そうか。だから、あちこち織り目が緩んでいるんだ」

「一言多いよ、柚那」

「そうよ、柚那。織機は1回しか壊れてないから」

 修理をしたのは多紀なので、間違いない。こんがらがった糸をほどくのには多少手間取ったが、多紀でも修理出来る程度の壊れ方だったので、雫にしては珍しいと思った記憶がある。

「お前も失礼だね、多紀」

 柚那だけでなく多紀にまでそう言われて、雫は顔を顰めている。自分としては、むしろ誉めてもらいたかったと言いたげだった。以前使い物にならないくらいに織機を駄目にしたことから考えれば、随分成長しているはずなのだ。多紀が厳しすぎるのだと反論したいが、じろりと睨まれてため、理不尽だと言うに留まった。

「これはね、ちょっと特殊な糸で出来ている布さ。試作品だけどね、人の心に介入する魔力の媒体になる」

 物騒な言葉に、多紀と柚那は息を飲む。違法なんじゃないのか、と内心で少しだけ思った。

「もちろん、ひとつだけ条件付け出来るって程度にしているし、効力は弱い。操るっていうのともちょっと違うからね」

「どう違うんですか?」

「賭け事を嫌いにさせたり、止めさせたりすることはできない。出来る魔法がないわけじゃないけれど、それをやると、人格そのものに影響が出る。最悪、精神が壊れるって可能性もあるしね」

 確かに、元からの性格や性癖を、本人の努力ではなく魔法の力で無理矢理変えれば、どこかで綻びが出るのだろう。

「今回みたいな無茶な賭けをしたときだけ、発動する魔法を布にかけるんだよ。で、その布を、普段着る服や小物に縫い込んでおくのさ。で、いけない賭け事をしようとすると、こう、びりびりと」

 大げさに身を竦ませて痺れる仕種をしてみせる雫に、多紀と柚那は顔を見合わせた。

「い、痛そう」

 控えめに言いながら、多紀はびりびりする瞬間のことを考えて身震いした。前に、雫が作ったおもちゃを触って、『びりびり』したことがあるのだ。あれは、いたずらが過ぎる多紀と柚那に対するお仕置きだった気がする。

「ねえ、柚那。本当に実行するの?」

 かつて味わった気持ち悪さを思い出してしまった多紀が、恐る恐る尋ねると、同じ経験をしたことのある柚那は考えこんだ。

「そうだね。考えてみれば、そういう方法で止めさせるのはよくない気がする。もう一度だけ、話し合ってみるよ。多紀たちと話していて、少し頭が冷えたし。……あの人だって、なんだかんだいって、反省しているんだし」

 柚那の夫は、結局のところ自分の妻には頭が上がらない。気が弱いからというわけではなく、やはり自分の悪い癖のことはわかっているし、妻が自分を怒る時には、ちゃんと理由があるということも理解しているのだ。ただ、幼馴染みの気安さで、互いが感情的になったとき、本音を言いすぎてしまうだけで。

「話し合いで納得するなら、そうすればいいんだよ。で、それでも使う気になったら、来ればいいさ。お代は試作品だから安くしとくし、別に旦那のことだけじゃなくても、望む魔法をかけてあげるよ」

 まるで性悪な魔女の如く、怪しげで意地悪げな笑みを浮かべて、雫は言う。

「うわー、悪い魔女みたい、雫さん」

 子供向けの本に出てくる悪い魔女の見本のような笑顔を引っ込めると、雫は、大げさに驚く柚那に向かって手を伸ばし、その頭を撫でた。

「そうそう。あんたはそうやって、昔みたいに明るく元気な方がいい。旦那に言えない文句でもあるんなら、ここへ来て愚痴ればいいだけの話さ」

「雫さん……ありがとう」

 しおらしく目を伏せた柚那の頭を更にぐしゃぐしゃと雫が撫でる。

「それに、そろそろ帰らないと、子供たちも心配するだろう?」

 雫も多紀も、柚那の子供たちとは顔なじみだ。かつての多紀たちと同じように、森は彼らの遊び場で、この『魔女の店』に顔を覗かせるのも珍しくない。

 ここまで大きな喧嘩はさすがに少ないが、小さな喧嘩をするのはよくあることで、柚那たちはその度に大騒ぎする。仲直りするのも早いが、子供たちにとっては、その度に恐くなる母親と、おろおろする父親を見るのは、悲しいらしい、柚那は知らないが、子供たちが雫に、両親が仲良くなる魔法はないかと尋ねてきたこともあった。

「あんたたちが喧嘩して、一番悲しむのは子供たちだからね」

「わかってます。……そうだよね、私も両親が喧嘩したら、すごく悲しかったもの」

 懐かしむようにそう呟いて、柚那はよし、と気合を入れるように自身の頬を叩いた。

「もう、帰るね。きっと、あの馬鹿、迎えに来ることも出来ずに家でおろおろしていて、子供たちにいろいろ言われている気がするし」

 気が弱い彼は、柚那がここへ来ていることはわかっているはずだった。何かあれば、友人である多紀のところへ行くことは村の人間なら誰でも周知の事実だ。

「ごめんね、多紀。大騒ぎしちゃって」

「気にしてないから。今度は子供たちと一緒に来て」

「そうする。あの子達、魔女の店のお菓子はおいしいって、いつも言ってるから」

 入ってきたときとは違い、幸せそうに笑う柚那に、多紀もほっと息をつく。また喧嘩はするだろうが、それをちゃんと乗り越えていける強さがあることを多紀は知っている。

 だからこそ、こうやって幸せそうに笑うことが出来るのだろう。

 少しだけ、幼馴染みを羨ましく思いながら、家族の待つ家に戻っていく柚那を、多紀は見送った。

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