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5.おかえりなさい

 ひとりぼっちは、好きではない。

 否、一人になるのが嫌なのではなく、いつも誰かが側にいるという生活をしていたから、静かな部屋に一人きりでいるのが苦手なのかもしれない。

 多紀が生まれた時は、両親に祖父母、姉や兄がすでにいた。家は大きくもなく、かといって小さくもない、村では平均的な造りで、どこの部屋を覗いても、必ず誰かがいて、多紀が一人になるということはなかったように思う。

 少し大きくなった頃には、下に二人ほど弟が出来ていたし、親の手伝いをしていないときは、幼馴染みや兄弟たちと森や村の中を走り回っていた。

 働ける年齢になると、村から離れた商家に奉公に出たが、そこでも使用人の誰かと常に相部屋だったし、働いている時間も一人きりということは殆どなかったのだ。

 今はこの家で魔女と二人きりだが、一人という気がしないのは、どこにいても、魔女の気配がするからだろう。

 得体の知れない薬草を煎じる匂いだったり、衣擦れの音だったり、煙草の香りだったりと様々な匂いや音がここにはある。だから、同じ場所にいなくても、家のどこかに雫がいるのだとわかるのだ。

 けれども、今日は一人きり。

 その匂いも気配も、屋内に感じられない。

 掃除も、片付けも済ませ、店番をしながら客が置いていった雑誌や本を眺めているだけで、時間は過ぎていく。滅多に来ない客も、やはりいつもの如く訪れることはなく、多紀は落ち着かないまま、棚の商品を移動したり、なんとなく机を拭いてみたりと、意味のない行動を繰り返している。

 要するに、一人だと退屈なのだ。

 基本的に雫は出不精で、せいぜい出かけたとしても、森の中か、一番近い村までだ。日々の日用品を購入するため買い物に行くのも、商品を届けに行くのも、実際にやっているのは多紀なのである。

 だが、そんな雫でも、年に数回出かけることがあった。

 魔女同士の集まりであったり、昔世話になったという人の断れない頼みだったりとその時々で理由は様々だ。どの時も、必ず面倒だと文句を言うのだが、見た目に反して律儀な雫は、ぶつぶつと言いながらも、相手のところに出向いている。

 今回は確か昔なじみの魔女に会いにいったのだったろうか。

 長らくあちこち旅していたが、一箇所に腰を落ち着けたので、是非遊びに来てほしいと、誘いがあったのだ。急ぎでの用があるわけでもないので、行こうかどうしようかと迷っていたようだったが、その土地で最近発見された珍しい薬草を見ることが出来ると知り、はりきって出かけることにしたのだった。

「暇」

 とりあえず、呟いてみるが、声は空しく響き渡るだけだった。

 日帰りできる距離で、夕方には帰ると雫は言っていたから、実際に多紀が一人になるのは数時間のことだ。それなのに、妙に部屋が広く感じる。

 今日だけではない。前のときも、その前のときもそうだった。

 一人きりだと、何かをやる気にもならない。

 雫は、店は一日休みにして、遊んできたらどうかと言ったが、友人の誰とも休みがかぶらなくて、店でうじうじする羽目になっている。

 結局、同居人がいないと寂しいのは、雫ではなく多紀の方ということかもしれなかった。



 ちりんと可愛らしい鈴の音がして、多紀は顔を上げる。

 そこには、いつもよりも少しだけ着飾った格好の雫が立っていた。

 とはいっても、朝確かに結い上げていたはずの髪はほつれ、袖は乱雑にまくり上げられていたのだが。

「おかえりなさい」

 そう言うと、「はいはい、ただいま」と、返された。

 続けて、疲れたと言い、荷物を放りなげる。

 がしゃんと何かが割れる音が聞こえた気がして、多紀は、何がはいっているんですかと悲鳴のような声をあげてしまった。

 行く時には持っていなかったはずだから、出掛けた先で手にいれたものなのだろうが、扱いが雑すぎる。

「あー、なんだかいろいろだよ」

「いろいろって、ああ、変な汁がしみ出てる!」

 布製の袋は薄い黄色に染められていたが、その一部から青黒い液体のようなものがしみ出ている。

 慌てて抱え上げた袋は、近づくと変な匂いもした。

「これ、魚臭いんですけれど」

「そういえば、魚の油漬けがどうとか、口にしてたね。魔女のお手製で、独特の方法で付け込んでいるんだってさ。酒の肴になるそうだよ」

 そういう食べ物があるということは、多紀も聞いたことがある。

 美味だという話だが、値段もそれなりにするし、何よりきつい匂いがするということで、女性にはあまり好まれない。

 ほとんど嫌いなもののない雫と多紀は、匂いくらいでは驚かないが、店の商品に匂いがつくのは困る。

 慎重に割れたビンの欠片を取り出しながら、さらに強くなった匂いに多紀は顔をしかめた。

「ああ、これ、量が多くないですか。油はほとんど漏れちゃったし、もう今日食べるしかないってことですよね」

 他の瓶に詰め替えてもいいのだが、油の成分も作り方もわからない以上、余計なことはしない方がいい。

 保存食だったとしても、蓋を開けてしまえば食べるしかないのだ。

「責任とって、ちゃんと全部食べてくださいよ」

 多紀の小言に、雫がにんまりと笑った。

「やっぱり、家の方が落ち着く。口うるさい同居人がいないのは、どうにも変な気分だったからね」

「口うるさいは、余計です」

 もっといろいろ文句を言いたいところだが、部屋中に漂い始めた魚の匂いをなんとかするほうに忙しく、雫の相手をする余裕がない。

 雫の方は、自分が手伝えば、さらにひどいことになるのがわかっているので、店の片隅に移動すると、いつものごとく懐から煙草を取り出した。

 部屋の中に漂うのは、煙草の匂い、魚の匂い、それにあちこちに並べてある薬草の匂い。

 そこに、雫の気配が重なって、多紀があちこち動き回るたび、空気が流れる。

 いつもの日常。

 いつもの二人だ。

「せっかくだから、魚に合わせて、とっておきの酒をあけるか」

 呑気にそんなことを言う雫も、いつもと変わらない。

 昔からそうだ。

 年をとったが、雫は変わらない。

 変わりものなのも、面倒くさがりなのも。

「ああ、本当に、家は落ち着くねえ」

 しみじみとそう言う雫は、すっかり寛いでいる。

「寛ぐ前に、ちゃんと着替えてきてくださいってば」

「はいはい。ついでに酒を取ってくるよ」

 あんたの小言を聞くと、家に戻った気がするねと、余計な一言を付け加えると、雫の姿が店の奥へと消える。

 そんな彼女の姿を呆れたような顔で見送りながら、多紀自身も、雫がいると、急に家の中が賑やかになった気がすると思う。

 振り回し、振り回される関係だけれども、二人でいるのが居心地がいいから、一緒にいられるのだ。 

 そして、『おかえりなさい』と言える相手がちゃんといることは、なによりも幸せなことなのかもしれなかった。

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