43.ろうそくをともして
甘い匂いは部屋中に漂っている。
外は雪でも降ろうかというほどの寒さで、窓を開ければ入り込む冷気に、匂いを逃がすことはあきらめているのかもしれない。
「すごいな、これ」
入ってくるなりそう言った桐が、色とりどりに並べられた蝋の塊と、その蝋を溶かしているらしい大鍋と、はしゃぎまわる子供たちをぐるりと見回す。
両手に抱えるようにして持つ紙袋を床に置くと、すぐに子供たちが桐を囲んだ。
「ねーねー。にーちゃんが多紀おねーちゃんの男?」
いきなりの問いかけに、桐はにんまりと笑った。
「どう思う?」
聞き返してみれば、目の前の少年の目がまんまるになった。
「馬鹿ねー、正樹。多紀おねーちゃんの彼氏は、もっと渋かったわ。こんなにひょろひょろしてないわよ」
つんと唇をとがらして、少年に横にいた少女が腰に手を当てて言う。少年と年は同じくらいに見えるが、態度は強気だ。
「ひょろひょろはちょっとひどい気がするな」
確かに、桐は今話題になっている『多紀の男』に比べれば、細身だ。魔法使いという職業柄もある。それでも、軍所属ということもあり、ある程度は鍛えているつもりだった。
ひょろひょろではないと、自分では思っている。
「僕は多紀の恋人じゃないよ。でも、それなりに親しい関係かな」
一応、桐は多紀の恋人である男の養子になる。
何度か会ううちに、彼女と親しくなったのは事実だし、妹が出来たような感覚になっているのも間違いない。彼女なら、いろんな面で不器用な養い親を助けてくれるだろうと考えるようになってからは、その距離も縮まった。
「で、その多紀はどこ? 僕は、荷物を届けにきたんだけど」
そう告げた時、奥の扉が開いて、染みだらけの大きな前掛けをかけた女性が出てきた。
桐と目があうと、困惑した表情を浮かべる。
「どうして桐さんがここに?」
自分がいることが意外だったのだろう多紀に向かって、とっておきの華やかな笑顔を向ける。
「僕もお休みをもらったんだよね。久々の長期休暇」
「え、でも、独り身の人は、中々休みを取れないって」
年の終わりや始めは、妻帯者が優先して休みをもらえると多紀は聞いていた。
だから、本来ならば、多紀の恋人である界も、現在独り身である桐も、よほどの理由がなければ仕事のはずなのだ。
今回界が休みをもらえたのは、事情を踏まえて休暇を申請したところ、何故か簡単に通ったからだ。堅物と言われる界が恋人の元で過ごすということに、人のよい上官は何故か大喜びし、休暇届に判を押していた―――というのは、今目の前いる桐からの情報だ。
本当かどうかはわからないが、上官はいつまでも一人である界を心配し、お見合いを勧めていたということだから、独り身脱出の後押しのつもりだったのかもしれない。
ただ、これは例外中の例外で、本来、一日か二日、交代で短い休みを取るだけだ。それも、何か問題が起こると簡単に休みは取り消される。
そのせいで、毎年、年が明けて落ち着く頃には、くたくたになっているのだと、愚痴めいたことを、桐に教えてもらったのだ。
だから、界はともかく桐は仕事なのだろうと単純に考えていたのだが。
「だって、多紀は将来の『母親』だしね。そのあたりから無理にねじ込んで休みをもらったんだよ」
「……陰謀の匂いがしますが」
「いいじゃないか。僕、こういう行事って好きなんだけど、滅多に参加できないでしょ。実は密かに楽しみにしているんだよね」
そう言われてしまえば、これ以上多紀も文句が言えなくなる。
諦めと、人手は多い方がいいということを思い出したため、多紀は気持ちを切り換え、桐が持ってきた荷物を見た。
「ああ、これ、界に頼まれたんだ。追加分を持ってあいつも後から来るよ」
桐が持ってきたのは、街で売られている染料だ。変わった色が欲しいといった多紀の希望に応え、界が買い求めたものだった。
「助かります」
界の名前を出したとたん、多紀が柔らかく微笑んだ。営業用でもなく、ごく自然に出たであろう笑顔に、桐の方が照れくさくなってしまう。
いまだ真剣に特定の相手と付き合ったことはない桐だが、こんなふうに笑ってもらえるのなら、本命を捜すのも悪くないかもしれないとさえ思った。
「何か手伝おうことがあれば言ってよ。どうせ、そのつもりで早めに来たんだから」
そんな桐の言葉に、彼女は奥を示し、雫を手伝ってほしいと言った。
今年の年越しの祭は盛大に、ということで、村の女性たちは料理、男達は村中の飾り付けをしているらしい。
そして、この森唯一の魔女と多紀、それから子供達は、祭を彩るある物の製作で、大忙しなのだという。
「一番大事な部分は魔女や魔法使いじゃないと出来ないことなので、よろしくお願いします」
「わかった。雫さんを手伝えばいいんだよね」
小さな頃は、住む家ももたず、界に引き取られてからも、魔法使いの修行ばかりで、こんなふうに祭の準備などしたことがなかった桐である。
どこかわくわくする気持ちに苦笑しながら、魔女がいるであろう奥の部屋へと移動しようとする。
「ねーねー。その界っていう人が、多紀おねーちゃんの恋人?」
そんなふうに言われ、困ったように笑う多紀を横目で見ながら、桐はふいに独り身が寂しくなった。
「甘い匂いの原因は、これなんだ」
店の奥、以前来たことのある魔女の作業場へ足を踏み入れたとたん、さらにきつくなった匂いに、桐は鼻を押さえた。
多紀と同じように染みだらけの前掛けをした雫が、熱心に細い糸を編んでいる。
それがある程度の長さになると、傍らに置いてある甕の中に放り込んでいるのだが、件の匂いはその中から漂っていた。
「森に生える苔を煮込んだものだよ。魔法が定着しやすくなるのはいいんだけど、匂いがすごくてね」
「鼻がおかしくなりそうだね。菓子屋の方がましって感じだ」
ずっとかいでいると胸焼けをしそうだ。桐も菓子類は嫌いではないが、これはちょっと強烈すぎる。
「で、これって何なの」
「仕掛け蝋燭に使う芯だよ。街でも売っているだろう?」
「ああ、そういえば、年の終わりが近づくと、魔女の店や、小物を扱っている店に置いてあるね」
桐は経験がないが、魔法使い達が小金稼ぎに作っているのを見たことがある。蝋燭の芯に魔法の術が仕込んであり、火を灯すと、幻想的な輝きを放ったり、花などの形をした光が飛び出したりするのだ。
年越しの時、それに火を灯すのは、子供たちの役目で、街を警備のためにうろついたとき、彼らがそれを持って大騒ぎするのを何度か見ている。
店で既製品を購入するのが一般的だが、凝った物や変わった物が欲しい場合は、特注したり、芯だけ購入して蝋の部分だけ好きな形に作るという場合もある。
ここには魔女がいるから、街まで買いにいったり、行商人に頼んだりしなくてもいいのだろう。
「ちょうどよかったよ。一人で作るのは結構大変だったからね」
毎年のことだけど、大騒ぎだよと苦笑する雫だが、楽しそうだ。話をしながらも手を止めず編み続けていた紐の最後の一束を甕に放り込み、傍らに置いてあった前掛けを手にし、桐に差し出す。
「今年はなるべく派手にやろうってことになったからね。そのつもりで、手伝ってほしい」
染みだらけの前掛けからも甘い匂いが漂っていて、思わず顔を顰めるが、手伝うといった以上、逃げるわけにもいかない。
どうせならもう少し綺麗な前掛けが欲しかったと思いながら、それを身につけると、何をすればいいのか具体的なことを雫に尋ねる。
「そこに、紙の束があるだろう。代々の魔女が書き留めた仕掛け蝋燭の術だよ。おおよその効果が下にあるから、それを参考に適当に作ればいい」
「うへー、僕はそういうのが苦手なんだけど」
術を組むのは好きだが、それを物に写すのは下手な桐だ。おもちゃのような仕掛け蝋燭でさえ、躊躇してしまう。
「そのために、この苔があるんだよ。少々適当な術でも、きちんと定着して作動するから、便利なんだ。魔力や知識が少ない人間でも扱えるからね。もっとも、その性質のせいで、簡単な術しか写せないが」
そういうと、雫は先ほどとは違う甕を引っ張り、その中から苔の色に染まった紐を取り出した。
「乾くまでに術を映すせばいい。で、出来たらそれをこの板の上に並べる」
卓上には、すでに乾いた紐がいくつか並べられていた。
「術がちゃんと定着すれば、匂いが取れるよ」
「なるほどね。どんな効果をつければいいんだ?」
「好きなように。思うまま、思いつくままに組めばいい。法則なんかないよ」
言われるままに、術が書かれた紙を見ながら仕事を始める。最初はなかなかうまくはいかなかったが、何度か失敗するうちに、形になってきたようだ。
元々、仕掛け蝋燭に使う術自体は単純なものなのだ。それほど苦労もせずにすむ。
だからなのか、珍しく無口な雫と、何故か夢中になってしまった桐は、無言でひたすら術を紐に組み込んでいく。
その沈黙を破ったのは、扉を開く音だった。
「雫さん、蝋の準備が出来ましたけど、どうします?」
覗いたのは多紀だ。
「ああ、出来た分から持って行ってくれ」
さきほど店内においてあった蝋の塊を桐は思い出す。恐らく今それらはとかされ、蝋燭にされるのだろう。楽しそうに走り回っていた子供たちの周りには蝋を固めるための木型もたくさんあった気がする。
「また、取りに来ますね」
そう言って慌ただしく去って行く多紀の姿を見送ると、桐はまた同じ作業に戻った。
芯に術を写し終わり、作業場と化した店内に戻れば、そこにはすでに固められた蝋燭があった。
色も形も様々で、中にはいびつなものもある。
いつのまにか来ていた界が、子供達に囲まれ一緒に蝋燭を固める作業をしているのも、どこかおかしかった。
「試しに火を付けてみな。街で売っているほど派手じゃないが、綺麗だと思うよ」
雫は、並べられた蝋燭のひとつを取り、桐に差し出す。わずかに感じる魔力から、それが自分が製作した芯が使われているものだとわかる。
「どうかな、僕が作ったものだし」
なにしろ、初めて作ったものだ。うまく出来ているかどうかは、実際見てみないとわからない。
おそるおそる火を灯すと、ふんわりと花が散った。
淡い桃色で、ろうそくの周りをくるくる回りながら、溶けていく。
いつのまにか、こちらを見ていた子供たちの間から歓声があがった。
「えらく可愛らしいじゃないか。見かけによらず」
「う、うるさいな。花は好きなんだよ」
同僚には笑われるが、花は見るのも育てるのも好きだ。庭の手入れも欠かさないし、自分が遠征などで家を離れる時は、近所の花好きなおばさんに頼んでいくほどである。
「村の女性たちは喜ぶだろうよ」
「そうかな」
喜んでもらえるのは嬉しいが、それを口にするのは恥ずかしくて、素っ気なく答える。
だが、女性たちはともかく、子供たちには受けがよかったようだ。
「おにいちゃん、すごい」
そう言われて、嬉しくないはずがない。
つい自慢げに頷いてしまい、雫に笑われてしまった。
結局、その可愛らしい仕掛け蝋燭は子供だけでなく女性陣に好評で、また来年も作ることを約束させられたのだった。