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36.やっと

「少しは片付けたらどうだい?」

 思わず雫が言ってしまったのは、扉を開けたとたん、入り口近くに積み上げてあった本が崩れたからだ。

 まだ部屋の中に足を踏み入れていなかったから直撃は免れたが、運が悪ければ重い本に押しつぶされたところである。

「これでも片付けてる方なんだけど」

 奥から声は聞こえてきたが、人影は見えない。

 本だけでなく視界を遮るように箱がいくつもあるせいで、部屋の中が見通せないのだ。

「前来たときよりも物が増えている状態で、片付けたとは思えないけどねえ」

 そう言いながらも、雫は崩れた本を乗り越えて、部屋の中に入り込んだ。

 縫うように箱や本、得体の知れない物体を避け、声が聞こえたであろう場所までたどり着く。

 そこには、背中を丸めて書き物をする魔法使いの桐の姿があった。

「適当に座ってよ」

 背中越しに聞こえた声に、雫は苦笑する。

 座るもなにも、立っているのがやっとという状態だ。

「じゃあ、適当にやるよ」

 ここが物だらけなのも、足の踏み場がないのもいつものことなので、雫は無理矢理に空間を作り、頑丈そうな箱を引き寄せて、そこに腰かける。

 箱はいかにも貴重なものが入っていそうな作りだが、気にしない。

 そもそも、この部屋の中から椅子を探す方が面倒なのだ。それに、この部屋の主は、雫がどこに座っても―――それこそ貴重な書物を踏んだとしても何も言わなかった。

 本人がまず貴重なものを踏みつけているのだから、人に文句など言えるはずもない。今も、桐の足下にあるのは、魔術書の初版本ではないだろうか。

 指摘するのも面倒だから、雫はそれは見なかったことにして、桐の手元をのぞき込む。

 彼女がこの部屋へ入ってから振り向きもせず熱心に書いているのは、奇妙な文字だった。

 古代に使われたという古い文字は、単純な絵を思わせるが、実際に読み解こうとすると複雑だ。雫も先代店主から幾らか教えてもらったが、途中で面倒になり止めてしまった覚えがある。

 別に魔女の店に必要というわけでもないし、古代文字が読めたからといって、魔力が上がるわけでも売り上げが伸びるわけでもないので、結局ほんの少し読める程度のままだ。

 だが、魔法使いは、魔女達とは違い、古い文献を読むことが多い。古代文字についての知識は必要なのである。

 今も、桐が熱心に解読中なのは、最近ようやく分析できた鉱石の中の謎の術式の一部だ。

 あのときはもうお手上げだと思ったが、桐の同僚である別の魔法使いが編み出した、時間固定の魔法によって、断片的ではあるが、鉱石からいくつかの術を見ることが出来たのは、数日前。

 わずかしか読み取れず、油断すればくずれてしまうその術式は、誰も見たことがないものだった。

 魔法使いや魔女が使う魔法とは異なっている。

 魔物の使う魔法に似ているが、元々魔物は術式など使わない。

 古代文字で組まれていることから、古い魔法だとはわかるが、過去の文献をあたっても、似たものはなかった。

 そこで桐は独自にそれを読み解こうとしているのだ。

「しかし、軍の施設っていうのは、もっとすっきりして整理整頓が行き届いていると思っていたんだけどね」

 雫の言葉が聞こえたのだろう。桐はあーとかうーとか唸った。

 一瞬、手が止まったのは、反論できないほどにこの部屋―――研究室が散らかっているからだろう。

「……魔法使いの常駐しているこの建物が、綺麗じゃないのは自覚しているんだってば」

 拗ねたように言うのは、こんな状態はここだけではないのだと主張したいのだろうか。

 確かに、玄関からここにたどり着くまでの廊下には、箱や得体の知れない物が散らばっていた。部屋の扉越しから、妙な臭いが漂ってきたのも、一回や二回ではない。

 片付けるのが得意ではない雫さえ眉をひそめたほどだ。

 軍施設の正門から建物の入り口までは、綺麗だった。ごみひとつ落ちていなかった。

 外部からの来訪者が訪れる受付も、塵一つなかった気がする。ぴかぴかに磨き上げられた床についた自分の足跡に、いたたまれない気持ちになったものだ。

「魔法使いに変わり者は多いっていうけれど、それと掃除しないのとは別な話だと思うよ。人のことは言えないけどさ」

 雫も、掃除は全て多紀にまかせている。多紀が来る前は、面倒だと考えながらも、必要最低限のことはしていたつもりだ。

 確かに、本が積み上がったり、届いた荷物がそのままだったりしたことは多かったが、足の踏み場がないほどではなかったと思いたい。

 だが、部屋の片付けについては、ここの人間の話だ。今日、雫が来たのは文句を言うためでも説教するためでもなく、まったく違う用件である。

「で、何日もにらめっこした結果、何かわかったかい?」

「わかったというか、余計謎が増えたというか」

 真面目な顔の桐が、ようやく雫の方に振り返った。

 いつもはきらきらしていて、どこかふざけたふうな表情を浮かべるのだが、今はその目には隈が出来、心なしか痩せてしまったようにも見える。

 彼と雫が共同で不可思議な鉱石の分析を始めて数日たった。最初の頃は失敗ばかりだったが、他の魔法使い達の協力も得て、ようやく断片的ではあるが術の片鱗を掴んだのだ。それを調べているのは、そういう方面に詳しい桐である。

 雫は、今日はその経緯を聞きにきたのだ。

「この術、特定のものを引き寄せる効果があるみたいなんだ」

「特定のもの? それは人物や物ってことかい」

 物を引き寄せる魔法というものはある。

 たとえば、模造花に魔法をかけ、虫を呼ぶ。あるいは、店の看板などに魔法をかけ、人を呼ぶこむ魔法。だが、大がかりになればなるほど成功する確率は下がり、術者の負担も増える。

 世間一般で見る魔法は、せいぜいうまくいけばいいという程度の、簡単なものばかりだ。

「断片的にしか術が解読できてないからはっきりしないけれど、恐らく普通の人や一般的な魔物とは違う、異質な存在を呼び寄せているんじゃないかと」

 異質という言葉に、雫は眉をひそめた。

 人より抜きんでた才能を持っているという表現でもなく、天才と称される人間や魔物でもなく、わざわざ意図的にそんな言い方をするからには、何か意味があるということか。

「界たちが言っていたよね。その鉱石のあるところに変な化け物が現れるって」

「『名無し』?」

「そうそう。あれも異質な存在だと思う。普通の魔獣とは違うし、現れ方も異常だ。まあ、鉱石が呼び寄せたかどうか、もう調べようがないけどね」

 ある日突然噂になり、あちこちで被害が出た。死人が出ない事が不思議だが、それでも怪我人はいる。混乱のために、荷を失った商人も多い。

 鉱石と魔獣の関係はいまだ解明されず、憶測の域を出ない。雫自身も鉱石の術式の解析に協力しているが、わかることの方が少ないことは理解している。

「東方に現れた勇者だけどさ」

「いきなりなんだい?」

 手を止めて考え込んでいる桐が、ぽつりと言葉を発した。

「この国出身だって知っていた?」

「そうなのかい?」

「うん。これは東方に行っている軍の関係者が報告してきたことだから間違いない。あきらかに容姿が東方の民じゃないから、そのあたりから調べたら、生まれも育ちもこの国だった。魔獣に襲われた時、勇者としての力に目覚めた……ということになっている」

 良くある話だ。

 どの物語でも、勇者は最初からそうだったわけではない。ある日突然勇者としての能力に目覚める。魔王がそうであるように。

「勇者っていうのもさ、魔王と同じで、ある意味異質な存在だよね」

 魔王は強い。その圧倒的な魔力は、同族とされる魔物たちが束になっても勝てないほどだ。人間など、歯も立たない。

 そんな魔王と対抗できる存在なのだ。

 少しくらい魔力や腕力が突出していたからといって、勝てるものではなく、勇者の持つ能力もまた、人が普通持ち得るものではない。

 ああ、だから、『異質』だと桐は言ったのか。雫は先ほどの彼の様子を思い浮かべながら、ため息をついた。その言葉を口にするとき、彼は不機嫌そうな顔だったはずだ。魔法使いも魔女も、人とはどこか違う魔物に近い存在とされ、異質な者を見る目を向けられることもある。

「これを誰が作ったにしろ、碌な物じゃないよ。まさか、勇者を見つけるために、魔王が作ったってことはないだろうけれど。目覚める前に殺しちゃおうとかさ」

「反対も考えられるんじゃないか。勇者を目覚めさせようとした誰かかもしれないだろう。この世界を救うために」

 同じことを考えていたのか、桐は顔を顰めた。

「でも、どっちだとしても、いいものじゃない。勇者なんて、どう考えても幸せになれそうにない職業じゃないか」

 こんな世の中だから、必要な存在とも言えるが、東方が言う魔王とやらを倒して、その後に待っているのが幸福だとは思えない。

「それに、勇者はまだ若い女性みたいだよ。優秀な仲間をつけたっていうけれど、無事に帰れるかどうかもわからない。むしろ、帰った後にどうなるか考えるとね」

 勇者であったという事実は、消えることはない。利用されるか、したたかに相手を利用するか―――それなりに人生経験を積んだ人間でさえ難しいのに、それが若い女性だという勇者に出来るかどうか。

 一般には勇者のその後はあまり伝えられていないが、ある程度古い文献を調べる事が出来る桐は、あまりにも素っ気なく簡単な勇者についての記述に、書かれなかった事実にこそ彼らの真実があるのではないかと思っている、

「でも、僕たちは、所詮脇役みたいなものだ。ここで勇者のことを憂いたって、何もできない。どんなに頑張ったって僕たちは魔王には勝てないし、勇者と行動を共にしても足手まといだろうからね」

 実際、勇者が認定される前に派遣された東方の軍は、ほぼ壊滅状態だったという。

「それに、僕たちが考えなければならないのは、勇者の今後のことじゃない。どうやって、この国を守るかだ」

 勇者は魔王を倒す。

 そこにいたる課程で通りかかった村や国はその力で助けてくれるかもしれない。

 だが、東方から遠く離れたこの土地に、勇者はやってこない。魔獣の被害がどれだけ広がっても、助けになど来てはくれないのだ。

 だからこそ、自分たち自身の力で、必死で自衛するしかない。

「……僕も、明日から魔獣の襲撃が激しいところに行くことになった。魔法使いに幾人か負傷者が出て、その代わり」

「そうか」

 雫と暮らしている多紀の恋人も、2日ほど前に軍に復帰して、今は国境付近の砦にいるはずだ。怪我が治ったばかりの彼がすぐに派遣されるほどに、軍の被害も広がっている。

「僕なんて、それほど実戦経験もない下っ端なんだけどね。いないよりましってこと」

 桐は立ち上がると、手にしていた大量の紙を雫に差し出した。

 それは細かい文字でびっしりと埋め尽くされている。

「術式を分析して、僕なりに組み立てなおしてみた。同僚たちの意見も加えて、いろいろ改良して、異質な魔獣を退けるようにしてみたんだ。まだ未完成だけどね」

 術を組むのは苦手だと言っていたが、良く出来ている。

 古い言葉がほとんどだが、今の魔法使いや魔女たちが使うにも、それほど不自由はなさそうだ。

「魔女の意見を聞いて完成させたかったけれど、もう時間がないから」

「続きをやれと?」

「ああ。ここの施設には僕がいなくても出入りできるようにしたし、他の魔法使いも協力してくれるようにとりつけた。これが出来れば、戦う力のない村や街の被害を少しでも減らせるかもしれない」

 結局、鉱石の目的はわからなかったが、古い術を得られたことは益になったということらしい。

「仕方ないね。首を突っ込んでしまったんだし」

「頼むよ。なんだかんだいったって、僕はここが好きなんだ。魔王や魔獣なんかに滅ぼされたくない」

 こちらを見る桐の目には迷いがない。

 そこには、抗えるだけ抗おうという強い意志があった。

「たまには本気を出してみるのも、悪くないね」

 冗談めかしてそう言うと、雫は改めて紙の束を見た。

 ほとんど手を加える必要もないが、ここに魔女の知識を加えれば、もう少しいいものができるかもしれない。

「私も、この国を無くしたくないからね」

 目の前の青年と同じように、雫の生まれはここではない。

 だが、今は故郷よりも大事だ。

 大切な人や、大切なものがたくさんある。

 口に出すことは少ないが、守りたいと思っているし、その力があれば迷うことなくそうしているだろう。

「なるべく早く完成させて、あんたのところに届けるよ」

 だがら、必ず無事に帰っておいで。

 小さく呟いた言葉に、桐は驚いたように目を見開き―――まるで幼い子供が家族に向けるかのような無垢な笑顔を浮かべた。



 その後、多紀が驚いて言葉を失うほどに熱心さで、雫は軍の魔法使いと研究を続け、その結果生まれた魔法の術式が、この国での魔獣被害を減らしたと、後の文献は伝えている。

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