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29.へいぼん

 村の若い夫婦に初めての子供が生まれたということで、普段は静かな酒場もいつになく盛り上がっている。

 このところ、暗い話が多かった。

酒場であるにもかかわらず、最近では隣国のものだけでなく国産のものも入荷が減ってきているという状態で、出る話題はどこそこで魔物が出たとか、人が襲われたとか、そんな話ばかりだったのである。

「名前は、もう決まったの?」

 たまたま買い出しに出ていた多紀は、酒場でその話を聞いて、そう尋ねた。

 子供の両親も知らない仲ではない。両方とも、この村で育った人間だ。年もそれほど離れていないから、多紀と一緒に遊んだこともあるし、魔女の店に来たこともある。

 そろそろ子供が生まれるだろうから、何かお祝いをしようと、柚那とも話をしていたところだ。

「いや、まだだ」

 名付けが終わると、村のみんなにお披露目されるだろう。

 楽しみだと、答えてくれた男が笑顔を浮かべた。

「で、生まれたのは男の子? それとも女の子?」

「女の子だそうだ」

 酒場の常連客でもある男の一人が、ついさっき聞いてきたばかりの情報だと、教えてくれる。

「けど、女の子なんて、すぐに大きくなっちまって、どっかの男にかっさらわれちまうんだよな」

 同じく常連であるやせぎすの男が、急に肩を落として、愚痴る。そういえば、この男の末娘は、つい最近、街に住む男と結婚して家を出て行ったのだ。

「お父さんのことが、一番好き、なんて言っていたのに」

「それ、いつの話だよ」

 あきれたように赤ら顔の男は笑い、ばんばんとやせぎすの男の背中を叩いた。

「子供なんて、みんなそういうもんさ。いつまでも家にいても、仕方ないだろう。だいたい、お前のところは、一番上の息子がしっかり者の奥さんをもらって、孫だっているじゃないか」

「でもなあ」

「いつまでも、ぐちぐち言うな。英雄になるんだって言ってた頃の強気のお前はどうした」

 すでに中年に域にさしかかった男は、腹を揺するように笑いながら、隣に座る痩せた男の背中をさらに激しく叩いた。

「やめてくれよ」

 むせながらも、慌てて否定したのは、それはあまり思い出したくない過去だったからだ。

 子供の頃のたわいない夢。大人になれば、きっと誰よりも強くなって、尊敬されるのだと、純粋に思っていた。

 その頃の彼は、仲間内では一番小さくて、喧嘩も弱かったし、剣の扱いも、それほどではなかったけから、一旗揚げようとして飛び出した村の外では、さんざん苦労した。

 よかったことといえば、妻に会えたことくらいだが、その時だって、情けなくも中々告白できなかった自分にあきれて、仕方がないから、私が一生面倒をみてあげると言われてしまったくらいだ。

「あの頃の俺は若かったんだよ」

 遠い目をしてぐいと酒を飲み干せば、いつのまにか興味深げに自分を眺める多紀が目の前に立っていた。

「おじさんてば、英雄になる夢があったんだ」

「だから、昔の話だよ。あの頃は、ちょうど隣国と小競り合いとかあってな。平民上がりの兵士が、圧倒的不利な状況を打破して、あっという間に将軍まで上り詰めたんだよ。英雄扱いで、大人気でなあ。俺ら子供も憧れた」

「そういえば、そんな話を父さんから聞いた気がする。剣を振り回すのがやたら流行ったって」

 いわゆる英雄ごっこが人気だったらしい。

 今ではそれなりに太って、『よっこいしょ』が口癖の父親が酒を飲みながら話す英雄の話は確かに面白かった。ただ、あまりにも現実から遠すぎて、多紀たちにとっては寝物語に聞くおとぎ話程度でしかなかったのだが。

「でも、まあ、あの時は、実際戦に行って死んだ奴も多かったからな」

 遠くを見つめて、赤ら顔の男は沈んだ様子で手元を眺めた。

「軍に入れば、普通に働くよりは金ももらえるが、結局は命のやりとりをするわけだからな。下っ端だと、訓練で命を落とすこともあるっていうし」

「そう、かもね」

 ぎごちなく答えた多紀に、理由を知っている酒場の主人だけは哀れみの目を彼女に向けた。

 軍人なんぞ恋人に持つもんじゃない――そう言った彼の父親は、兵士だった。

彼が幼い頃に、隣国との小競り合いで亡くなったのだという。

だから最近出来た多紀の恋人が軍に所属していると聞いて、何度も本当にいいのかと尋ねてきたのだが。選んでしまったのは自分だから、大丈夫と言うと、苦笑いを浮かべていた。

「確かになあ。普通でいいのかもな、普通の人生で」

 赤ら顔の男が、肩をすくめた。

 平凡に暮らしていくのが一番いい。

 同じことを言ったのは、先代の魔女だったような気がする。

 彼女は、魔女であること以外は、本当に普通の人だった。村のおばさん達と同じように噂好きで、食べることも着飾ることも楽しんで、いつも笑っていた。

 口うるさいこともあったけれど、それは魔女としての小言ではなく、村人と変わりない普通の言葉でしかなかった気がする。

 今、多紀が一緒に暮らす雫も、一見するとただの面倒くさがりの女性だ。

 魔女だから、多少変わっているところもあるが、それでも子供好きなところや、だらしないところも含めて、自分たちとそれほど変わりはない。

 過去は知らない。

 そのことはあまり語りたがらないが、楽しい生き方ではなかったと言っていた気がする。

 ただ、今は幸せだよと、いつか酒を飲んでいた時に呟いていた。

 こうやって、何もなく普通に平凡に暮らしていくのが一番だと。

「今、また魔獣があちこちで暴れているしな。魔王が復活したんじゃないかって噂もあるし、子供達には平穏に暮らしてほしいものだが……」

 酒場の主人は、ため息をついた。

 魔王の噂は確かに流れている。魔獣の襲撃が多くなっているのも事実だ。

 でも、実はなんでもないことだと信じたい。

 普段よりもずっと少ない量の酒瓶が並ぶ棚を見ながら、この胸の中にある不安が杞憂に終わればいい。

 多紀だけでなく、ここにいる皆がそう思っていた。

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