28.ふいうち
静かな朝だった。
天気もいいし、木々を揺らす風も気持ちいい。
寝起きもすっきりだった多紀は、いつものとおり、家の周りを掃くために、外に出る。
今日も、いい1日になるだろう。
そう思った時だった――どかんと大きな音がしたのは。
何事かと驚いて振り返った先にいたのは、罰が悪そうな顔をした顔見知りの魔法使いだった。
「びっくりしましたよ! どうして、ここにいるんですか!」
腰が抜けるかと思った。
あいさつもそこそこにそう詰め寄ったのは、魔法使いがいきなり現れたからだ。
彼が立っているのは、多紀と建物の間。ついさっき、多紀自身がそこから出てきたばかりで、確かに誰もいなかったのだ。
もちろん、彼は転移魔法が使えるから、急に出てくるのは不思議ではない。
しかし、今までの経験から、彼が移動魔法を使う時に、音などしなかった。空気が動いたような感覚はあったが、思っていたよりもずっと静かな魔法なのだ。
こんな、驚いてしまうほどの大きな音を立てて出てくるなど、普通ではない。
「……転移魔法を使ったんですよね?」
念のため、聞いてみる。
「いや、違う。実は、試しに使ってみようかと思って」
「何をですか!?」
意味ありげに魔法使いが言葉を濁したのが気になる。
「簡易移動魔法、改良版その12」
答えを聞けば、さらに怪しげだ。
聞いただけで、胡散臭い何かを感じる。
「術式と魔法陣を石に刻み込んでみたんだ。これを使えば、魔力がない人でも、簡単に移動が出来る。ちなみに、石は、この森で拾ったのを利用してみました」
手の平に乗せた石を見せながら、すごいだろうと言いたげに胸を張った魔法使いに、多紀はため息をつく。
「使うたびに、あんな大きな音が出たら、近所迷惑なんじゃないですか」
幸い、ここには魔女の家しかないから、驚くのは雫と多紀、それから森に住む生き物くらいだろう。とはいえ、迷惑なのは同じだ。雫はまだ寝ている時間だし、多紀も、さっさと掃除を済ませてしまいたい。
「そうなんだよね。買うと高いから、自作しようと頑張ってるんだけど、意外に難しくてさ」
「確かに、値段は高いですよね」
多紀は実物を見たことはないが、王都では貴族たちが魔法使いたちに開発させた移転用の簡易方魔具を使っている。
手間暇がかかっているせいか、とても高価なもので、一般庶民は手に入れられない。
「そんなすごいものが作れるなんて、優秀なんですね」
「見直した?」
「ええと、少しは」
軍に入るくらいだから、当然優秀なのだと頭ではわかっているのだが、この派手で軽そうな外見のせいか、そう見えない。
「まあ、それほど自慢できるほどじゃないんだよ。俺、細かいことは苦手で、術を組み上げて、こうやって何かの対象物に移すのって、下手なんだ。たぶん、他の奴が作ったら、もっといい感じになるんじゃないかな。俺のは場所限定で使い捨てだから、これでも簡単はずなんだけどさ」
そういいながら、彼は手の中に持っていた白い石を放り投げた。
それはまっすぐに多紀のところまで飛んできて、ぽとんと足下に落ちる。
「それ、思い切り足で踏んだら、魔法が発動する。……やってみる?」
「え、嫌です」
即答してしまう。
魔法使いの腕を疑っているわけではないが、使ったことのない、試作品と言い切る代物を試してみたいとは、普通思わないだろう。
「ちっ」
今、確かに舌打ちした。
多紀は、思わず、一歩後ろに下がる。
うっかり石を踏んだら、大変なことになってしまうに違いない。
「そもそも、どうして、そんな物騒なものを、ここへ持ってきたんですか」
視線をそらしても気になってしまう石だが、何のためにここへ持ってきたのだろう。
確かに、魔法使いには、何度か移転魔法で運んでもらったことがある。結構魔力を使うのだと言っていたから、もしかすると面倒になってしまったのだろうか。
だが、ここしばらくは彼に、移動を頼んだ覚えはなかった。
「実は、俺、軍の魔獣討伐隊に加わることになって、しばらく家を留守にするんだよね。だけど、あの人、一人にしとくと心配じゃない?」
「なんとなくわかります」
すぐに無茶としてしまいそうな男――今は一応多紀の恋人でもある界のことを思い浮かべて、苦笑した。
「一応、通いで家のことをしてくれている人もいるけれど、いつも来るわけじゃないし。だから、時々様子を見に行ってほしくて。何かあったとき、俺がいないと、すぐに魔女にも頼れないだろ?」
「それは構いませんけれど」
男のことが心配なのは確かだ。
一人でいて、もしものことがあればすぐに駆けつけたいのも事実。普通に移動では3日もかかってしまうのだ。
だが、だからといって、そんな得体の知れない石に頼るのは怖い。
変なところへ移動してしまったらどうするのか。
男の体がどうにかなる前に、多紀の方が酷い目にあう気がする。
「それに、やっぱ会いたいでしょ、二人きりで」
にやりと、魔法使いは笑った。
きらきらしい外見だから、何か企んでいそうな笑顔も、どこか煌びやかで、同時に胡散臭い。
嫌な予感しかしない。
そう思って、多紀はさらに後ろに下がろうとした。
「というわけで、行っておいで」
「はい?」
ぐいっと、いきなり手を掴まれ引かれた。
そのまま、体制を崩したところで、ひょいと腰を捕まれて持ち上げられる。
「な、なにするんですか!」
「いや、ちょっと実験」
「えええ!」
すとんと地面に下ろされた。
そこにあったのは、件の白い石。
自分では意図せずに石を踏んづけてしまうことになる。
「なんてことするんですか!」
そんな抗議の声は、ふいにゆがんだ空間に多紀ごと吸い込まれていった。
「気をつけて」
脳天気なその声が多紀に届いたかどうかは――わからない。
一応、無事に男のところに辿りつけた多紀だったが、その移動の気持ち悪さに、できれば使用したくないと、さんざん雫に愚痴ったという。
ちなみに、魔法使いの方は、保護者である男に、出発間際まで説教されたらしい。
それでも、いくつか預けられたその石は、魔法使いが帰ってくるまでに数個使われていて、帰ってきた彼は、結局【改良版その17】まで作らされるはめになったのだった。