27.ひみつ
薬草を摘もうとして手を伸ばした時、雫の耳元に聞こえたのは、うんうん唸る子供の声だった。
何事かと手を止めて辺りを見回したのは、子供が来るような時間ではなかったからだ。
もう少しすれば、日が暮れる。
森の中は、夕暮れ近くなると、薄暗く見通しも悪くなり、日が沈めば真っ暗だ。慣れた人間でさえ、迷いやすくなる。いくら危険な魔獣がいないとはいえ、もし本物の子供ならば、放っておくわけにもいかない。
やれやれ、面倒なことだ。
ため息とともに、そう呟くと、雫は、もう一度あたりを見回した。
「誰かいるのかい?」
一応、声をかけてみる。
もし、魔物のいたずらならば、それでいい。知らん顔をして、戻るだけだ。
「……魔女のねーちゃん……」
だが、聞こえてきたのは、弱々しいが知っている声だった。
「正樹?」
魔女の店によく遊びに来る男の子の名前を呼ぶ。
すると、木の影から、子供がひとり這い出てきた。
「何やってるんだ、一人で。危ないだろう」
薄暗い中でも、彼の服はあちこち汚れていて、顔にも泥がついているのがわかる。
「泥だらけじゃないか。一体全体、何をどうしてこうなったんだい?」
手を貸して立ち上がらせると、顔や手に擦り傷を作っているのがわかった。普通森の中を駆け回ったくらいではこんな状態になるわけがない。
「ええと、その、鳥の羽を探してたんだよ」
ふてくされたようにそう言ってから、正樹はちらりと雫の方を見上げる。
これは、いたずらを見つかった時の彼がよくする仕草だ。怒られることをしていたという自覚があるのだろう。普段の元気さは欠片も見えない。
「鳥の羽? こんな時間に?」
問い返しながら、雫は首を傾げる。
このあたりに、鳥などいただろうか。
もう少し水場に近い場所であれば、いるかもしれない。だが、ここは、葉や枝も密集しているから、鳥はあまり巣を作らない。いるとすれば、木の実や昆虫を主食とする小動物か、無害な魔獣だけだ。
「鳥の羽を探すのは、もう少し森の入り口に近い方がいいと思うけどね。どうして、鳥の羽なんかをほしがるんだい」
「それが、さ。す、好きな子に、贈り物をしたくて」
もじもじと足の先で地面を掘りながら、正樹は言う。
要するに、好きな子にいいところを見せたくて、一人で森の中に入ったということなのだろう。珍しい花や石など、森には多い。
今はもう大人になった村の人間も、子供の頃、同じような理由でここへ来て、雫や先代の魔女に怒られたり、あきれられたりしている。
「いつまでもお菓子ばかりに興味ある子供と思っていたのに、色気づいたものだねえ」
子供の成長は早い。
そのうち、どんどん大きくなって、将来その子供がまたここへ来るのかもしれない。
そう思うと、自然に笑みが浮かんでくる。
しかし、何故鳥の羽なのだろう。女の子ならば、もっと違うものがよさそうだと思う。
たとえば、花、お菓子、綺麗な髪飾り。最近、そちらの方面に疎くなってきた雫でさえ、ぱっとそれだけ思いつく。
「鳥の羽じゃないと、だめなのかい?」
「花は、もう渡した」
正樹の顔が、あきらかに気落ちしたものに変わった。
「そしたら、たまたま虫がついていて、泣かれた」
虫程度で泣くような女の子が村にいただろうか。
男の子たちよりも元気で、森の中を率先して駆け回っているのは、女の子の方だ。虫程度で泣くのも見たことはない。嬉々として捕まえた姿ならば、知っているが。
「宝物にしている綺麗な石をあげようかとも思ったけど、きらきらした高そうな首飾りとか指輪とか持ってるし」
いったいどこの令嬢だろうと、雫は思う。
首飾りはともかく、村の女の子で指輪を持っているものは少ない。花や木の実や石を組み合わせて指輪を作ったりするが、それは手作りらしく素朴なもので、装飾品に詳しくない少年が高価そうだと表現するとは思えなかった。
もし、可能性があるとすれば、金のある家の子供が村に滞在している場合だ。何もない村だが、穏やかで静かなせいか、時々、療養と称してやってくる物好きもいる。
実際に、村の近くには、貴族の別邸もあって、そこには時々、人が訪れていた。
「村の子じゃないのかい?」
尋ねると、正樹は恥ずかしそうに下を向いた。
「うん。街から来た子。村長さんの家にいるんだ。親戚の子供なんだって。俺のかーちゃんが村長さんのとこで働いてるから、時々会うんだ。おとなしくて優しい子だよ」
村の女の子たちとは違い、外を駆け回ることはないが、いろんなことを知っていて、正樹に教えてくれるのだと言う。
特に鳥のことに詳しくて、めずらしい鳥がたくさん描かれた本も見せてもらったらしい。
「だから、綺麗な鳥の羽なら喜ぶかと思って」
この辺りに、極彩色の鳥が飛んでいるのを、以前正樹は見ていたらしい。
「森から飛んでくる、綺麗な鳥なんだって言ったら、すごく興味があるみたいな顔したんだ」
その言葉に、雫は正樹がいう生き物に心当たりがあることに気がついた。
「ああ、あれは鳥じゃないよ。鳥に似た、魔獣だ。羽はお守りにもなるから、乱獲されて、数は減ったけどね」
雫が生まれた頃には、滅多に見られなくなってしまったが、昔はどこの森にもいた魔獣だ。
鳥のように羽があり、空を飛ぶこともできるが、ほとんどは地面で生活している。飛ぶのは、番を探す時だけで、その時期だけは雄も雌も華やかな色になる。その色彩は派手で美しく、魔力を秘めた羽は、夜になると淡い光を放つのだ。
「あれ、魔獣なんだ。普通の鳥に見えたのに」
「魔獣の中では、無害な方だよ。瘴気はまき散らさないし、人も食べない。鳥よりは、獰猛だけどね」
もちろん、そうはいっても魔獣なので、普通に近づけば無事ではすまない。
正樹も、魔獣に近づいてはいけないと常日頃から親に言われているのだろう。
魔獣の羽なら仕方ないと落ち込んでしまった。
「なあ。魔女のねーちゃん」
ぐりぐりと、さきほどよりも深く地面を足の先でえぐりながら、正樹がか細い声を出した。
「今日のことは誰にも言わないでくれよ! なんか、恥ずかしいし、それにかーちゃんにばれたら怒られるし」
必死で言う彼の顔がおかしくて、雫は笑った。
「はいはい、言わないよ。ただ、一人で夜の森へ入るのは、駄目だ。もしその約束を破ったら、あんたの母さんにばらすからね」
「え-!」
「危ないことをして怪我でもしたら、悲しむのは誰だと思う?」
両親や、友達。
雫や多紀だって、悲しい。
そして、自分のせいで怪我をしたとすれば、その『女の子』も嘆くだろう。
そのことに思い当たったのか、少年はしょんぼりと肩を落とした。
「……ごめんなさい」
「わかればいいんだよ」
正樹に悪気があったわけではないことくらい、雫にだってわかっている。
だからといって、無茶をしていいという理由にはならないから、そのことだけはしっかり釘を刺したのだ。
「さてと、明日、朝になったら森においで。一緒に羽を探してあげるよ」
「いいの!?」
「相手は魔獣だよ。あんた一人で拾うのは無理だ。ついでに、多紀に、羽をつかってできる装飾品を教えてもらえばいい」
「多紀おねーちゃん、教えてくれるかな。というか、おねーちゃん、装飾品なんて作れるの?」
「大丈夫、大丈夫。あれで、結構器用だからね」
多紀が聞けば、失礼だと言いそうなことを口にしながら、雫は正樹の手を取る。
「森の外まで送ってあげるよ」
「うん!」
先ほどまでとは違い、元気いっぱいに返事をする正樹に、雫は、笑みを深くした。
子供のことは嫌いではない。
うるさく思うことがないわけではないが、慕われるのは純粋に嬉しかった。
自分には、持つことが出来なかった存在だからかもしれない。
少年の初恋が実るかどうかわからないが、どんな結果になっても、味方でいようと雫は思った。