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20.とけい

 転移魔法には、いつまでたっても慣れない。

 小さな家の前で、むかむかする胸を押さえながら、多紀はため息をついた。

 最初の時は、余裕がなかったのでわからなかったが、強制的に空間を移動するというこの魔法は、はっきりいって体に優しくない。多紀は症状が軽い方だが、中には気を失ってしまう者もいるのだという。

 出来ることならば、こんなものは使いたくないが、魔女の家から目的地まで、普通に移動すれば3日はかかる。

 そういうわけで、今現在、多紀は嫌々ながらも魔法使いに頼り転移魔法を使うという状況に陥っているのである。魔法使いも、家族のためという理由で、面倒そうな顔をしながらも、魔女の店とここを往復してくれているのだ。

「あいかわらず、慣れないなあ。大丈夫?」

 目の前にいる魔法使いに、「大丈夫なわけない」と返すと、それだけ元気があれば平気だねと、あっさりと言われてしまった。

 それでも、青い顔の多紀に、冷たい水を手渡してくれる。見た目に反して彼が優しいという証拠なのかもしれない。

「もう大丈夫です」

 水を飲み、息を整えて、多紀は魔法使いに告げる。

 その言葉を確認すると、彼は黙って家の扉を開けた。



 部屋に入ると、寝台の上に起き上がっていた男が顔を多紀の方に向けた。

「こんにちは」

 呼びかけると、ほんの少し唇が動いて、笑ったのがわかる。あいかわらず表情の少ない相手だが、何度か通ううちに、なんとなく細かい表情の動きがわかってきた。

 それとともに、前よりも話も弾んでいる気がする。多紀の方が何倍――もしかすると何十倍もしゃべっているのだが、それでもちゃんと会話が続くのだ。かなりの進歩である。

「ええと、雫さんからお薬を預かってきました。もう、瘴気を消すお薬は飲まなくていいそうです。後は、この新しい薬を朝と晩に一包ずつ飲んでくださいとのことでした」

「ああ」

 多紀の手から薬の袋を受け取り確認する男の顔色は、随分よくなった。

 この調子ならば、雫の薬もすぐにいらなくなるだろう。

「体調がいいようなら、少しくらいは動いて構わないそうです。その辺りのことは、あの人――魔法使いの方が詳しく聞いていたようですので、後で確認してください」

「わかった」

 必要なことを告げてしまうと、もうすることはない。

 いつもは一緒に寝室に入ってくる魔法使いは、お茶でもいれてくると言っていなくなってしまったから、今日に限って二人きりだ。

 居心地は、悪くない。

 前よりは会話が続くとはいえ、やはり男は寡黙なのだが、それでも沈黙が嫌ではないのだ。

 不思議だなと思う。常連客とはいえ、そこまで親しくはなかったはずなのに、雫と一緒にいるときのように、穏やかな気持ちになれる。反対に魔法使いがいた方が落ち着かないのだ。

 どこが違うのだろうと、悩んでしまう。話しやすいのは、魔法使いで間違いないのに。

「多紀」

男がふいに彼女の名前を呼んだ。

そういえば、いつの間にかこんな風に気軽に名前を呼ばれるようになっていた。確かに遠慮せずに呼んでくださいと最初に言ったのは多紀だが、店に来ていた頃は、一度も彼がその名前を口にすることはなかった。

その変化の理由も知りたいのだが、なんとなく聞けないでいる。

今も、そのことには触れずに、多紀はなんでしょうと答えた。

「いつもすまない。ここへ来るのは大変だろう」

 おそらく、薬のことを言っているのだと思い、多紀は慌てて首を振る。

「いえ。配達は私の仕事ですから」

 お礼を言われて照れくさくなる。薬を届けるのは、男のところだけではない。お礼だって、彼にだけ言われているのではない。

 それでも、まっすぐにこちらを見て告げる男の言葉は、妙に気恥ずかしかった。

「礼に、これを」

「え?」

 男は手を伸ばし、傍らの卓に乗っていた小さな箱を取り上げた。

 それを多紀の方に差し出す。

 なにげなく受け取った多紀だが、箱を開けて中に入っているものを見て驚いた。

「これ、時計、ですよね」

「最近、町ではやっているのだそうだ」

 そのことは多紀も知っていた。

 以前、村を訪れた旅人が教えてくれた。男性が持つ懐中時計よりも小ぶりで、かわいらしい形の針や文字盤がついている。時計につけられた鎖も、女性が好むような華奢で繊細なものだ。

 だが、いくら最近手軽に手に入るようになったとはいえ、それほど安いものではない。

 そのため、自分で買うといよりは、何かの記念やお祝いの贈り物として渡されるのが普通だった。

「こんな高価なもの、もらえません!」

 慌てて断ろうとすると、彼にやんわりと手を押し戻される。

「困ります」

 そう訴えたものの、男は返してもらうつもりはないようだ。お礼なのだと言い張って、黙り込んでしまった。

 どうすればいいのだろうと、手の中の時計を見つめながら途方に暮れていると、後ろで扉が開き誰かが入ってくる気配がした。

「いいんじゃないの、もらっとけば」

 そんな声に、多紀は慌てて振り返った。

 そこにいたのは、やはり魔法使いだ。

「この間、看病してくれたお礼なんだしさ」

「でも、あの時は、後から多いくらいのお礼をもらったはずです」

「それは、薬と魔女に来てもらった報酬だろう? あんたに来てもらったのは、別の話」

「一緒でしょう?」

 不思議そうに首をかしげる多紀に、魔法使いは大げさに肩をすくめてみせた。

「一緒じゃないって。なにしろ、その時計は、そこの親父さんが……」

「余計なことは言うな」

 不機嫌そうな声に遮られ、魔法使いは肩をすくめる。

「はいはい。不肖の息子は、とっとと消えますよ」

 ひらひらと手を振って、魔法使いは出て行った。

そういえば、彼はお茶を入れてくるといっていたはずなのに、手には何も持っていなかった。何をしにここへ来たのだろう。様子を見に来たというふうには見えなかった。どちらかといえば、茶化すために覗いていたようにしか思えないのだが。

「……育て方を間違えたか」

 ため息とともに呟いた男の言葉に、多紀は思わず笑ってしまう。

 あの後、多紀は雫から、彼が実の息子ではなく、戸籍上の親子関係にあることを聞かされた。二人の正確な年齢は知らないが、確かに親子にしては、年が近すぎるように見えたから、それを聞いて納得したのだ。

「出会った頃は、もう少し素直だったんだ」

 いいわけのような言葉が、あまりにも悔しそうだったので、ますます多紀の顔は笑み崩れた。男が、こんなふうにいろいろな表情を見せてくれるようになったのは、嬉しいことだ。

 それに、魔法使いの出現で気が抜けてしまったのは事実である。頑なに断るのも、男に対して失礼だろう。

「本当にいいんでしょうか?」

 もう一度、確認するように尋ねると、男は頷く。

「そんなに、高くない」

「そうかなあ」

「疑っているのか?」

「だって、村でも持っている人って、村長の奥さんくらいですよ」

 流行り物が大好きな村長夫人は、町で若い子に人気があると聞いたとたん、すぐに時計を注文した。一度見せてもらったが、特注だったのか、今多紀の手元にあるものと違い、宝石がたくさんついていたように思う。日の光があたるたびにきらきらと輝いて、本当に綺麗だった。

 この時計は、宝石がついているわけではないが、細かく掘られた模様が美しい。安物にはとても見えないのだ。

「いらないというなら、無理には……」

「いえ、あの。ごめんなさい。とても嬉しいんです。こういう贈り物はもらったことなかったですから。ただ、申し訳なくて」

「気にすることはない。それは……その、俺が作ったものだから」

「はい?」

 作った、と男が言ったような気がする。

 ……作れるようなものなのだろうか。時計というのは、かなり精巧なものだと聞いている。そのへんの素人が簡単に作れるものではないはずだ。

「昔、時計職人のところで修行をしていた」

 軍に入らなければ、職人になっていたと思うと、男は言う。昔から手先が器用だったのと、その時には生きていた肉親が、手に職をつけたほうがいいと勧めたからだ。いろいろあってやめてしまったが、その時覚えたことはまだ体に染みついていて、時々趣味として作ることがあるらしい。

「店で売り物として出ているものに比べれば、随分劣るものだが」

「そんなことないです」

耳を近づけると、村長夫人のものと同じように、規則正しく時を刻む音が聞こえる。

その心地よい音は、決して、他の時計より劣るとは思えない。

「不思議ですね。聞いていると気持ちが落ち着きます」

「そうだな」

男の穏やかな微笑み――のようなものを見ていると、彼も同じことを考えているのだなと思った。

「あ、でも、問題が」

 なんだというように顔をしかめる男に、多紀は困ったよう笑う。

「時計って、確か神殿がならす鐘の音色で時間を合わせるんですよね」

「ああ」

「森の中では、鐘の音が聞こえません」

 大真面目な顔でそういう多紀に、男がわずかに目を見開いた。

「忘れていた」

「私も忘れていました。雫さんの部屋にも時計があったはずなんですけれど、時間、全然あってなかった気がします」

 村には神殿はない。時計はあるが、鐘の音など聞こえないので、たまにやってくる行商人に時計を合わせてもらうということも、よくあることだった。

 中には、時間がずれていることを前提に利用している強者もいる。

 もっとも、村では時計などなくても、日の高さや、月の昇り具合でだいたいの時間を計り生活している。大抵の村の人間は、時計など気にしていないのだ。

 だが、この時計は、男から貰ったものだ。駄目にはしたくない。自分では合わせられないが、町にいる職人に定期的に見てもらえば、なんとかなるだろう。

多紀は、暢気に考えていていたのだが。

「くればいい」

 そう男は言った。

「はい?」

「時計はそんなに狂うものではないが、それでも時々は調整が必要だ。だから」

 そのときは、他の場所ではなく、ここに顔を出してくれ。

 甘く囁かれ、多紀は固まった。

 伸びてきた男の指先が、多紀の髪に触れる。こちらを見る眼差しが、やけに熱い。

 多紀、と名前を呼ばれた。かすれたような低い声に、背中がぞくぞくする。

 ああ、なんだか、これってやばいかも。

 漠然と、そんなことを思う。

 部屋には二人きりだ。さきほど、一度だけ入ってきた魔法使いが、再び戻ってくる気配はない。

 こういうとき、次にどうなる可能性があるのか――わからないほど、多紀は子供ではない。

 逃げない自分が不思議だった。親しくなってきたとはいえ、まだよく知らない男だ。こうやって、簡単に触れるのを許すなど、本当はいけないことだ。

 でも。

 嫌じゃないかもしれない。

 初恋の男の子の、ぎごちない指先とは違っている。

 好きだったあの男の、からかうような眼差しとは、正反対だ。

 ただ、不快ではなかった。

 嫌いじゃないのかなとも思うし、好きとは違う気もする。時計の音を聞いていたときのように、心地いい。

 ああ、そうだとすれば、やっぱり嫌いじゃないんだろうな。もしかすると――。

 男の顔がゆっくりと近づいてくる。多紀はわずかに目を伏せて、時計を握る指先に力を込めた。

 だが。

 ふいに、夕方を知らせる鐘が鳴った。

 緩やかな間延びした音に、男の動きが止まる。

「ああ、もう夕刻か」

 残念そうな口調に、多紀は慌てて男を見上げた。

「時間切れ、だろうな。あまり遅くなると魔女も心配するだろう」

 男の手が、多紀から離れた。

 それが残念だと思う気持ちに、多紀は苦笑する。続きを期待していたのだということに、気がついてしまったのだ。

 やはり、自分はどうかしているのだろう。

「次に来るのを、楽しみにしている」

 男の眼差しは、ただ、まっすぐにこちらを見ていた。その瞳に、まだ熱っぽさが残っていたせいで、多紀は頷くことしかできなかっった。



 あれは、どういう意味だったのか。

 店に戻ってから、あの言葉をずっと思い返している。

 多紀も、薄々はわかっているのだ。

 男の人が、あんなふうに熱っぽい目で自分を見ているとき、何を考えているのか。それに、気がつかないほど鈍くもない。

 わからなかったことにすることも出来る。

 でも。

 手の中で光る時計を見ながら、自分はどうしたいんだろうと、考えている。


 答えは、なかなか見つかりそうになかった。

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