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14.せすじをのばす

 奈津という少女に多紀が初めて会ったときは、目を合わせるどころか、顔を上げることも許されなかった。奈津が貴族の令嬢で、多紀はただの村の子供だったからだ。

 二度目に会ったときも、もちろん顔は伏せたままだったけれど、こっそりと相手の腰から下――綺麗に広がった服の裾と、そこから少しだけ見える何故か日に焼けた足、赤い靴に曇りひとつないことを確かめることしかできなかった。

 三度目に会ったとき、「友達になりましょう」と言われたけれど、それは一方的なことで、多紀に拒否権はなかった。ようやく顔を見ることができたのもその時だ。顔がどうだったかというよりも、まっすぐ背筋を伸ばした姿の方が印象的だった気がする。

そして、四度目に会ったとき、何か小さな諍いがあって、大げんかになった。

 どちらが悪かったのかも忘れてしまうほど些細なことがきっかけだったけれど、喧嘩の後、二人ともひどく怒られたのだ。

 そのとき多紀たちを怒ったのは、奈津についてきていた家庭教師と名乗る女性で、淑女はこうあるべきというお小言をさんざん聞かされた。

 確かにあのときの喧嘩は、多紀も奈津も、口だけではなく、手も足も出ていたから、幾人もの令嬢を育ててきたであろう家庭教師にとっては、信じられない出来事だったのだろう。

 村の子供ならともかく、自分が世話をしている令嬢が、聞いたこともない下品な言葉を使い、とっくみあいの喧嘩をしているのを見れば、どこで育て方を間違ったのかと思わないわけがないのだ。



 そもそも、奈津は変わった女の子だった。

 貴族の令嬢だと言うが、それらしくなかったのだ。

 同じ年の子たちに比べてひょろりと背が高く、ぱさぱさの栗色の髪とそばかすだらけの顔は、いくら香油を塗っても白粉をはたいても変わりなく、着ている豪華な服が不釣り合いに見えた。

 本人もそれをわかっているのか、家庭教師が側にいるときは済ました顔で令嬢らしい服を身につけているけれど、自由な時間になると、すぐにそれは脱ぎ捨ててしまい、まるで男の子のような格好になった。

「ここへは、静養に来たんじゃなかったの」

 家庭教師には内緒で、村の子供たちと混じって遊ぶようになった頃、多紀は奈津にそう訪ねたことがある。

 奈津は、この村の近くにある貴族の別宅に滞在している。元々は領地を納めていた領主が、地方の視察の時に利用していたものらしいが、最近、奈津の父親が買い取ったようなのだ。

 そこいるのは静養中の貴族の令嬢だと聞いていたから、奈津が家庭教師とともに、この村までやってきたときは、本当に驚いた。なにしろ、今まで一度だって、その屋敷の持ち主である貴族が、村へ来たことはなかったし、現れた貴族の令嬢は、とても病弱には見えなかったのだから。

「療養しているのは、一番上の姉様。あの人は体が弱くて、街の空気が合わないみたいなんだよね。ここの空気は綺麗だし、身体にいいんじゃないかって医者に勧められたんだ。で、私は、単におもしろそうだからって理由で、遊びにきただけ。だって、王都って、ものすごく退屈なのよ」

 ぺろりと舌を出し、なんでもないことように言ったから、多紀たちの方が言葉を失ってしまう。

 なぜなら、大きな街から来た人たちは、みんなそろって、この村は退屈だと、正反対のことを言うのだ。店も品揃えの悪い雑貨屋と、酒場を兼ねた宿くらいしかなく、街にあるような娯楽施設もない。自然だけは豊富だし、魔女がいる森が珍しいといえばそうだが、それがおもしろいかといえば、答えに窮する。

 だが、奈津は楽しいと言い切るのだ。

「だって、考えてもみてよ。街には探検するような洞窟はないし、魔獣だって出ない。本宅にいると、走り回るのは禁止だし、こっそり街をうろうろするのも、街の外に出るのもだめだって言うし」

 大袈裟なため息はどこか芝居がかっていて、それが本心かどうかは多紀にはわからなかった。

 ただ、その発言があまり貴族の令嬢らしくはないということは、なんとなく理解できる。

「そうだよね。奈津を探しに来る家庭教師の先生も、そういって怒ってるし」

「そうよ! まさか着いてくるとは思わなかった。せっかく勉強しなくていいと思ってたのに」

 唇をかみしめる姿は年相応だが、目は笑っていない。

 一度彼女に怒られたことがある多紀も、その恐ろしさを知っているので、同情してしまう。家庭教師は真面目で自分の仕事に関しては、妥協しない人なのだ。あれを毎日やられれば、多紀など立ち直れないかもしれない。

「奈津って、勉強嫌いだもんね。令嬢らしい作法も苦手なんでしょ」

 一緒にいた柚那が、笑いながらそう口にする。

 奈津が怒られる主な理由は、令嬢らしからぬ行動ではない。勉強をいやがってすぐに逃げ出すことなのだ。

「そういう柚那だって、勉強嫌いなくせに」

 数日に一度、街からやってくる神官が、子供たちに勉強を教えてくれるのだが、柚那は面倒だと言って、時々サボっている。そのことは、村の人間ならば誰でも知っていることだから、奈津も誰かに聞いたのだろう。

「勉強は、生きていく上で必要な程度で十分だよね」

 言い切るには、どこか説得力が欠けるような理由のような気がしたが、奈津があまりにも自身満々なので、反論しそこなう。大人たちに聞かれると怒られるような内容を平然と言える彼女がうらやましくなったせいもあった。

「それにね、私には夢があるの」

 森の中、子供たちしかいない場所にもかかわらず、奈津は声を潜めた。

「私、冒険者になりたいんだ」

「ええー!」

 そう思わず叫んでしまったのは、冒険者というのはどちらかといえば、ならず者とか、まっとうな職業に就けなかった人、あるいは傭兵崩れの人がなることが多い職業だからだ。

 もちろん全ての人が、悪い評判を持っているわけではない。

 乱暴ではあるが、きちんと役に立っている人もたくさんいる。

 それでも、普通の職業と違って、怪我をしても何の保証もないし、洞窟や山に入っていって二度と帰ってこなくても、探されないこともある。貴族の令嬢で、ある程度の身分が保障されている女の子があこがれるようなものでは決してなかった。

「わかってる。私みたいな人間が冒険者になるなんて、無謀だって」

「無謀っていうより、そんな現金収入があるんだかないんだかわからない、常に危険が隣り合わせの職業なんて、やめときなよ」

 妙に現実的なことを、柚那が真剣な顔で言う・

 けれども、ここにいる誰もが、彼女の夢が叶うなどとは思っていなかった。なろうとおもってなれるのならば、この世の中、冒険者はあふれているはずだ。それほどまでに、冒険者が命を落とす確率は高い。

 だが、彼女は有言実行の人だった。

 こうと思ったら、まっしぐらに突き進む。女の子だとか、貴族だとか、そういうものを不利とせず、周りをとことん説得し、気がつけば、本当に『冒険者』になってしまったのだ。



「こんにちは!」

 扉につけられた鈴の音とともに、明るい女性の声が店内に響いた。

 顔を上げた多紀は、その相手を確かめてから、笑顔を浮かべる。

「奈津。久しぶり」

 かつて共に森を駆け回った少女は、今すっかりたくましくなって、自ら『冒険者』と名乗っていたが、相変わらずのぱさぱさな髪や、今も消えないそばかすは、昔と変わらない。

 だが、その関係は、変わった。

 客と店員。

 心配する者と、心配される者。

 今の彼女は、それなりに強いが、時々無謀にもなる。

 その顔にも、手にも、足にも、見えない場所にも、たくさんの傷跡があることを多紀は知っている。

「また傷が増えている」

 多紀の言葉に、奈津は大きな声で笑った。

「最近、忙しいからね。多紀も聞いてるんじゃない? 国境辺りで魔物が最近多くてね、討伐の依頼をよく受けるんだ」

「無理しないで。小さな傷だって、侮れば大変なことになるんだから」

「ああ。それ、さっき村で柚那にも言われた」

 そう言って困ったように顔をしかめたのは、柚那が大げさなくらいに心配したからだろう。

 柚那にとっては、奈津はいつまでたってもお転婆で何をやらかすかわからない妹分なのだ。

 多紀も同じ気持ちなので、奈津の細すぎる身体を上から下までじっくり眺めた後、ため息混じりに言葉を続けた。

「ちゃんとご飯は食べてる? この間よりもやせたような気がするけど」

「あー。まあ、適当に」

 気まずそうに、奈津が視線をそらした。そういう態度をとるときは、心にやましいことがある時だ。

「ちゃんと食べないのは、だめなんじゃないの? 冒険者は身体が基本って、確か前に言っていたような――」

「わかってるんだけど、忙しいとつい、ね。ほら、仕事中はろくな物が食べられないし」

確かに、冒険者たちが行く場所は、山の中とか、洞窟内とかが多い。出発前には十分な食料を用意するが、それほどたくさんは一人では持てない。現地調達もよくあることだという。

最近は、魔物退治をよく頼まれるというから、そういうときには落ち着いて食事なども出来ないだろう。生活が不規則になるというのもわかるのだが。

 奈津は、ひとつのことに夢中になると、周りが見えなくなる時があるのだ。

 仕事に夢中になると、途中で休憩したり食事をとったりということを忘れてしまうこともよくあることで、だからこそ周りは心配で仕方がない。

「本当に、無茶しないでよ。冒険者の死体が見つかったとか聞くたびに、奈津だったらどうしようって心臓が飛び出そうになるんだから」

「柚那と同じこと言ってる」

「だって、時々二人でそんな話しているから」

 奈津はどうしているかなとか、無茶して怪我しているんじゃないかとか。

 多紀たちにとって、大事な幼なじみの一人であることに、間違いはないのだ。

「ごめんね。心配ばかりかけてるのはわかってるんだ。だから、本当はもっときちんとしないとって思うんだけど」

 無理なんだよねえ、と困ったように笑う。

「仕方ないなあ」

 苦笑しながら、彼女のおでこをつつく。そこにはまだ新しい傷跡があった。女性なのに顔に傷をつけるなんてと言う人もいるかもしれないが、奈津は気にしないのだろう。たとえ傷跡が残ったとしても、顔を下げることなんてせず、まっすぐ背中を伸ばして立ち、真正面から相手を見ることができる人なのだ。

 多紀はそんな彼女のことが好きだし、その潔いほど前だけを見る姿がうらやましくもあった。

「ちゃんと無事に戻ってくるのを、待っているんだからね」

 多紀の言葉と、奈津は照れくさそうに頷く。

「ありがとう。そういってくれるから、何がなんでも生きて帰ろうって思うんだ。どんなことがあっても、絶対無事に戻ってくるよ」

 そう言って笑う彼女の言葉を信じることができるのは、彼女がいつも迷いなくまっすぐ立っているせいかもしれない。

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