13.すんでのところで
玄関の外で声がした気がして、多紀は扉を開いた。
けれども、見渡す限りに、誰かがいるような気配はしない。
溶けた雪がぬらした地面も、葉っぱがすっかり落ちた木々も、何もかもが朝のうちに見た光景と同じだ。変わったことといえば、朝よりも日差しが暖かくなったことだろうか。
「誰か、いるんでしょうか?」
念のため、確認するように辺りに呼びかけてみる。
たまに、姿をなかなかみせない魔物が訪れることがあるからだ。初めてここに訪れる魔物は、警戒していることが多い。自分が安全だとわかるまで、用心深くこちらを伺っていることもよくあることだった。
だから、声をかけたあと、多紀はしばらく返事を待つ。
その時である。
「あの」
と、小さな声が聞こえた。
小さすぎてうっかり見逃すくらいの声。
だが、やはりあたりを見回しても、誰もいない。
やはり隠れているのだろうか。そう思って玄関から一歩踏み出した時だった。
「ぎゃ!」
先ほどよりも大きいけれども、小さな悲鳴が確かに聞こえた。
そこで、ようやく気がつく。
声は下から――多紀の足下から聞こえているのだ。
「え、ええ? どなたですか」
やや間抜けな声が出てしまったのは、下を見ても、やはり何もなかったからだ。
「ここ、ここだよ」
再び聞こえた声に、多紀は目をこらす。
それでもわからないので、身をかがめると、再び「ぎゃ!」という声が聞こえた。
「た、頼む! 急に動かないでくれ。飛ばされるかと思ったよ」
その声に、不安定な格好で固まった多紀は、さらに目をこらして地面を見た。
「あ!」
そして、そこに見つけたのだ、小さな小さな人の形をした生き物を。
多紀の親指ほどしかない見た目が初老の男は、彼女の足下、少し動けば踏みつぶされるであろう場所にたっていた。
「だ、大丈夫ですか! つぶれていませんか」
先ほどの悲鳴は、多紀につぶされそうになっていたせいだと気付き、慌てる。
今も多紀が動けば、わずかな衝撃でも飛んでいってしまいそうだ。
「なんとか、無事だよ。ただ、申し訳ないが、おまえさんの手に、ちょっと乗せてはくれないかね。おまえさん、この店の人間だろう?」
ということは、やはり彼は客なのだろう。
衝撃を与えないように、多紀はそっと小さな男に向かって手をさしのべる。彼はそれを見て満足そうにうなずくと、多紀の手に呼び上り、手のひらの上で優雅な仕草で礼をした。
「ありがとう、お嬢さん。ところで、ここは魔女の店に間違いないかな」
「はい。ここでは寒いですから、どうぞ中へ」
小さな客に向かって笑いかけると、多紀は手のひらに彼を乗せたまま、店の中へと戻った。
「うんうん、なかなかよさそうな店だな」
多紀の手の平の上で、店内を見回しながら、男はそう感想を述べた。
「ありがとうございます。何がご入り用ですか? それとも、魔女に直接依頼されますか?」
「ということは、おまえさんは魔女ではないのかな」
「はい。この店の店員というところです」
「なるほど、なるほど」
頷きながら男が手の平でぴょんぴょん跳ねた。それがくすぐったくて、多紀は男を落とさないように気をつけなければならなかった。
「ここの魔女の薬はなかなか役に立つと知り合いに聞いたんだ」
伝達手段が整っていない場所では、人づてで店の評判が広がるというのはよくあることだ。少しばかり大げさな噂が広がることも多いが、それを聞いてわざわざ尋ねてきてくれる客もいる。
この小さな魔物もそうなのだろう。
「では、薬をご希望ですか?」
魔女の店にやってくる大半は、瘴気避けの魔法をかけてもらうか、魔女特性の薬が目当てだ。
「そうだな。必要なのは薬だが、私のように小さき者でも害の少ないものがあるかな」
「そうですね」
薬にもいろいろ種類がある。
人と魔物では同じ傷薬でも出てくる反応は違うし、成人した人間と子供ではまた変わってくる。特に魔物に関しては、人にとっての毒が薬にもなりうるということもあるらしいので、うかつに多紀が答えることはできない。
「やはり魔女を呼んできます。細かいことは、彼女と話しながらの方がいいと思いますから」
「そうしてもらえると、助かる」
「では、お待ちいただけますか」
そう言いながら、多紀は店に隅に取り付けられた鈴を鳴らした。
出入り口についているものと音はよく似ているが、これは住居部分にいるはずの魔女を呼び出すためのものだ。
聞こえる範囲にいれば、来るはずである。
とはいうものの、相手は魔女だ。
呼んだらすぐ来るような相手ではない。そのことを一応断ってから、多紀は時間つぶしにと、今朝作ったばかりのお菓子を差し出したのだった。
お菓子は、どうやら気に入ったらしい。
小さな体で、多紀が適当な大きさに切った塊を黙々と食べている。本当なら、お茶も一緒に出したかったのだが、あいにく彼に合うような食器の類はなく、断念してしまった。
それでも、時間つぶしには役だったらしい。
結局、雫が出てきたのは、彼が4つめの塊を食べ終わった時だったのだから。
「待たせたようで、悪かったね」
いつものように、時間がかかったわりには寝起きとしか思えない姿だったので、多紀はまたそんな格好で、と苦笑した。さすがに初対面の客がいる前で説教するわけにはいかないので、それ以上は何も言わなかったが。
「雫さん、薬のことで、相談したいそうですよ」
だから後はお願いしますとばかりに面倒そうな様子の雫を引っ張った。
やる気はなさそうに見えても、雫は仕事そのものが嫌いなわけではない。特に薬の調合に関しては、熱心な方だ。
椅子に腰掛けたとたんに、机の上に乗った小さな男と、すぐに薬についての話を始めてしまった。
こうなってしまうと、多紀にはすることがない。
部屋の隅においてある肘掛け椅子に座り、膝の上に雑誌を広げると、時々、二人の様子を眺めながら、話が終わるのを待つことにした。
いつのまにか、話し声がやんでいた。
そのことに気が付いて顔をあげると、欠伸をかみころしている雫と、満足そうな顔をして、まだ残っていたお菓子の塊をかじっている男が目に入る。
どうやら、話は済んだらしい。
お互いが満足そうな顔をしているところを見ると、うまく折り合いもついたのだろう。
「多紀。私は奥へ戻るから、後はたのむよ」
そういいながらも、多紀の返事を待たずに雫は立ち上がっている。おおかた、今話がまとまったばかりの薬の調合を試してみたいのだろう。
長く話し込んでいたし、普段ここに置いてある比較的安価な薬ではない、この小さな男性用のものを作ることになったのかもしれない。
そうなってしまえば、雫は邪魔されたくないはずなので、「わかりました」とだけ答えて、雫を見送る。
「魔女殿は、意外とせっかちだな。次に来るのは数日後だから、それほど急がなくてもいいと言ったのだが」
多紀にとってはいつもの光景だが、男にとっては珍しいものだったらしい。
両手にお菓子を持ったまま、雫が消えていった扉を見つめている。
「薬の調合となると、ああなってしまうんです」
「なるほど、なるほど。確かに聞いた通りだな」
頷く男の顔は、なぜかにやにやという表現がぴったりなものだった。いったいどんな噂話を聞いたのか、少しだけ気になった。
「そういえば、あなたは誰かから、このお店のことを聞いたんですよね。勧めてくれた方に感謝しないと」
どなたかとは聞かない。
常連かどうかはわからないが、彼らのほとんどは素性を隠している。横の繋がりもあまり話したがらないのだ。
本音を言えば、相手のことを知りたいと思ったが、目の前の男が言いたくないのならば、無理に聞き出すのはためらわれた。
「そうなんだ。なかなか思うような薬がなくて、古い知り合いに相談したら、ここを教えてくれたんだ。そいつが、この店の傷薬には、いつも助けられていると言っていたよ」
いつもというからには、やはりその人物は常連なのだろう。
嬉しいことだと素直に思えるのは、雫の腕が確かなことを認めてもらえているという事実を再確認したせいかもしれない。
男は、その相手については何も言わなかったが、そこまで言ってくれる客が一人でもいると知れば、彼女もやはり喜ぶだろう。
そして、その評判に、少しでも自分が役に立てていればいいとも思う。
もちろん多紀は魔女ではないから、こうやっていつも店を居心地よくしておくらいしかできないのだが、少なくとも、ここに来てくれた人が、感じがいいと思ってくれればうれしい。
「次に来られるときまでに、ちゃんとお茶がごちそうできるように、食器も用意しておきますから」
だからこそ、少しでもこの新しいお客が気持ちよく買い物ができるようにと、多紀はそう言った。
雫が満足のいく薬を調合し終わり、多紀が村の手先が器用な老人に小さな木製の食器を作ってもらった頃、その小さな男は再び訪ねてきた。
あのときと同じように扉を開けて、小さな声に耳を澄ませようとしたところで、多紀は「ぎゃ」という叫びを聞く。
どうやら、再びあと少しで踏みつけそうになっていたらしい。
慌てて謝ると、彼は髭を小さな手でなでつけながら、にんまりと笑ってみせた。
「そうだなあ。前に出してくれた焼き菓子を腹一杯食わせてくれたら、許してやってもいいよ」
えらそうに胸を張りながら言う姿は、どうみても愛らしいという表現しか浮かんでこない。
思わず笑みを浮かべてしまった多紀だが、すぐに手をさしのべて男にその上に乗るようにと言う。
「ちょうどよかった。今朝、焼き菓子を作ったところだったんです」
「そうかそうか。それは楽しみだ」
そういうと、男はとても嬉しそうに多紀に笑いかけたのだった。