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1.あめ

 その店は、村に近い森の中にあった。

 比較的穏やかな獣や、大人しい魔獣しかいないため、子供たちの遊び場にもなっているその森に、いつ頃その店が出来たのかは、わからない。

 村で一番の年寄りも、自分の祖母が生まれた時にはもうあったと言う。

 今の店主が村にやってきたのは20年も前のことだが、それまでは、違う女性が店にいた。

 その女性以前は、若い夫婦だったらしいが、彼女らの代替わりがどうやって行われ、どういう理由があって次の店主に選ばれるのかも、誰も知らない。

 ただ、扱うものはいつも同じで、役に立つ薬草から、得体の知れない薬や物まで様々で、必ず店主は魔女なのである。それだけは、ずっと変わらない。

 そして、現在そこに住んでいるのは、店主である魔女と、近くの村出身の女性二人きりだった。



 しばらく雨が続いている。

 どこか湿り気をおびた店内を眺めながら、店番を兼ねてこの家に住んでいる多紀は、溜息をついた。

 時期とはいえ、こう雨が続くと、建てられた年代もわからないくらい古い店舗兼住居である建物は、あちこちで困った事態になる。

 例えば、湿気で扉がうまく開かなかったり、普段使わない部屋で雨漏りがしたり、部屋の椅子や敷物がかび臭くなったり、などである。

 掃除はこまめにしているし、空気もなるべく入れ換えるようにしているが、どうにもならないこともあって、店と住居部分の管理を任されている身には憂鬱な時期なのだ。

 客足も鈍るが、それでも、雨の日が続くと、やってくる客もいる。

 その客の目当ては、森の中で採れる石だ。

 晴れた日には他の石と同じにしか見えないが、雨が降り、水を蓄えると独特の光を放つ。魔女だけでなく魔法使いと呼ばれる人々から、魔力の宿るそれは重宝されており、好んで装飾品に使ったり、砕いて一般の人向けのお守りを作ることもあった。

 この森には、その良質の石が多数存在している。

 森の所有権を主張する店主は、それを結構な高値で売りさばいていた。そのため、魔女は石探しには比較的熱心なのだ。

 多紀は、窓の外を眺める。

 前回来たの日から数えても、そろそろ『常連』が訪れてもいい時期だった。

 そう思って、暇潰しに拡げていた雑誌を閉じる。

 時刻はちょうど、お昼の少し前。

 朝の弱い魔女も起きてくるだろう。そう考えて立ち上がりかけた時だった。

 重い扉がゆっくりと開き、風と雨が室内に吹き込んでくる。

 客が来たことが分かるように取り付けられた小さな鈴の音も、今日は風に吹き消され、聞こえない。

 それでも、扉が開いて入ってくるのは『客』とわかっているので、愛想笑いを浮かべつつ、多紀は顔を上げる。

「いらっしゃいませ」

 いつものように声をかけるが、開いたままの扉の向こうから、雨の雫だけでなく木の枝や葉が舞い込んできて、思わず動きを止めてしまう。

 それに気が付いたのか、外にいた男が慌てて中に飛び込み、扉を閉めた。

「悪い、汚しちまったか」

 申し訳なさそうに謝った男は、扉の前から動かずに立ち尽くしている。

 着ている外套はびしょ濡れで、そこから垂れた水滴が床を塗らすことを気にしているのかもしれない。

「お気になさらず。魔女の部屋の惨状に比べたら、そんな水滴や風で飛んできた木の葉なんて、かわいいものです」

「雫さん、相変わらずだなあ」

 店主の名前を口にすると、男は笑う。

 この店舗兼住宅の主は、散らかすことは得意だが、片付けるのは苦手という困った性分なのである。多紀が何度部屋を片付けても、嫌がられるくらい文句を言っても、面倒の一言で終わらせてしまう。

 住居の様子は客には教えていないが、雫がこちらへ来るときは、だらりと服を着崩していたり、髪が跳ねていたり、どこに物を置いたがわからなくなったと言っては、多紀に怒られているので、客も大体の様子を察しているのだろう。

「いつもの、あれでいいんですよね?」

 男の脱いだ外套を受け取りながら多紀が問いかけると、ああ、と彼は言った。

「どうしても、ここの森のじゃないとダメっていうからさ」

 困ったような顔をしても、どこか男は嬉しそうだ。

「用意してあります」

「さすがだね」

 面倒、眠いが口癖の魔女だが、金払いのいい客に対しては重い腰も簡単に上げる。

 そろそろこの男が来るころだと、ふつぶつと文句を言いつつも、魔女は昨日森の中へ出かけていったのだ。

「今回の石は、上物だって言っていましたよ」

 外套をかけた後、男に椅子を勧めると、多紀は用意していた袋を手渡す。

 確認のために、男は中身を見るが、小さく肩を竦めて首を振った。

「やっぱり、どこがどうすごいのか、わからない」

 男の言いように、多紀も笑う。

 そうなのだ。この石は、魔力を持たない者が見ても、小汚いただの石だ。当然、多紀にもそこらにごろごろしている石と同じにしか見えない。

「私もですよ。だから、うっかり捨ててしまわないように気をつけているんです」

 拾ってきたものを所定の位置に雫が置いてくれないので、大事なものが行方不明になるたびに、家の中を歩いて探し回るのは多紀だ。それほど広くはないし、雫の大体の癖を把握してしまった今では、どこらへんに何を置き忘れるかなどわかっているが、ここへ来た当初は失敗もよくしたものだ。

「でも、雫さんが見つけたものは、いつも品質が良いって、誉めてる。この森の状態もいいんだろうなって。俺たちがいる場所は、あんまり良い感じの場所じゃないしな」

 男の顔は、話しながら、段々と緩んでくる。

 頭の中には、この石を欲しがっている相手―――魔女なのだが、その姿が浮かんでいるのだろう。

 雫が言うのだから、どこまで本当かはわからないが、この男は、魔女に惚れて、その彼女を振り向かせようと、熱心に贈り物やらなにやらを渡しているらしいのである。雫の扱う石も、どこで聞きつけたのか自分の惚れた魔女が欲しがっていることを知って、わざわざ隣国から買いに来ているのだ。

 雫のように主を持たない魔女は自由気ままに生きているが、男の思い人は、生まれた時から仕えている主がいて、他国にはほとんど出られない。だから、代わりに俺が、ということらしいが、その熱心さと根性には、頭が下がる。

 もっとも、雫に言わせれば、魔女は変わり者が多いし、恋愛に関しても淡白なので、そのくらいしても振られることがほとんどらしい。

 それでも諦めない男に、雫は、どこまであの根性が続くのかが気になるらしく、密かに男の来店を楽しみにしているようだった。

 案の定、多紀と男が話している声が聞こえていたのだろう。

「相変わらず、骨抜きだねえ」

 店と住居を隔てる扉が開き、中から中年の女が出てきた。

 いつもとは違い、少しだけちゃんとした格好―――といっても、一歩間違えれば寝間着と間違えられそうな着方ではあるが、雫にしては上出来な姿をしている。

 髪もちゃんと梳かした状態だ。

「魔女なんかに惚れて骨抜きにされちまうなんて、どうかしているよ」

 いつもと同じように、皮肉なんだか、面白がっているのかわからない言葉を、男に投げかけた。

 しかし、男の方は、気にしていない。反対に、骨抜きなのは確かだなどと、呑気に言っている。

「まったく、嫌味も通じないとはね。ところで、いい返事はもらえそうかい?」

「どうかな。でも、笑ってくれるようになった」

 彼の思い人の魔女は、無愛想で、あまり笑わないという。今目の前にいる魔女とは大違いだ。

「それに、名前を呼んでくれるようになったし」

 きちんとしていればそれなりに整った顔をしているのに、『でれでれ』という言葉がぴったりの表情を浮かべているため、全部台無しだ。

 雫はそれを見て、笑いをかみ殺している。

「おまけに、次の休みに日に、部屋に招かれた」

 男のにやにや笑いは止まらない。さっきよりもひどくなっている。

「惚気はそこまで。耳がおかしくなるよ」

 棚においてあった煙草に手を伸ばすと、雫はわざとらしく溜息をつく。

 雫の気持ちは、多紀もわかる。

 来る度、惚気話はどんどんふくれあがっていくのだ。

 それでも多紀が黙って聞いているのは、男が本当に嬉しそうだからなのかもしれないし、こんなに愛されている魔女というのに興味があるせいかもしれない。

 多紀が唯一知っている魔女は雫だけだから、様子もまるで違う魔女がいるのだと思うだけで不思議な気分になるのだ。

 世の中の魔女には変わり者も多いと言うが、男から聞く件の魔女は、変わってはいるが、雫とは違うおもしろさを持っているような気がしている。



「また、来る」

 そう言って、嬉しそうに帰っていった人が、再び訪れることはなかった。

 魔女の手をとって、二人で逃げたと聞いたのは、季節を越えた頃だろうか。

「どうしようもないね」

 そう言って雫は笑っていたが、念願かなって魔女を手に入れた男に対して、悪い感情は持っていないのだろう。

 そうでなければ、彼女が、言われる前に石を探しに森をうろついたり、客の相手をするために、店へ顔を出すことはない。

「幸せになれるといいですね」

 多紀が言うと、雫はなれるさと自信たっぷりに答える。

「なにしろ、根性で魔女を口説き落とした男だよ」

「いいなあ、私にもそういういい男が現れないでしょうか」

「むりむり。こんな森の奥で、魔女と暮らしている限り、いい男なんて現れたりしないよ」

「ですよね」

 やってくるのは、得体の知れない相手ばかりだ。

 その中の、たまにいる『男』は、すでに相手がいるか、何か裏がある者ばかりなのである。

 あまり、恋愛方面でお近づきにはなりたくはない。

 かといって、多紀の幼馴染みの男達はほとんど結婚してしまっているし、年の近い知り合いの男性もいない。このままでは出会いがないまま行き遅れ人生まっしぐらなのは間違いなかった。

 だから、あんなふうに純粋に思いをぶつけられた魔女のことは、少しだけ羨ましくもある。

「ほとぼりが覚めた頃、二人で店を覗くと言っていたよ。あの魔女は、この森に興味があるようだからね。自分の手で石を採ってみたいんだとさ」

「本当ですか? 私、楽しみにしてます」

 男がベタ惚れだという魔女に会ってみたいと、多紀は思っていたから、その約束は嬉しい。

 


 雫が吐き出した紫煙が、静かに立ち上っていく。

 少し籠もった空気を入れ換えようと、多紀は窓を開けた。

 窓から見えるわずかな空を、雲が厚く覆っているのが見える。

 また、雨がしばらく続くのかもしれない。

 もし、二人がやってくるとしたら、やはり雨の日なのだろうか。

 いつか叶えられるかもしれない約束を思いながら、多紀は今にも降り出しそうな空を見上げた。

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