宇宙にゴリラがあふれたら
清坂正吾さまの「ゴリラパーティー」参加作品です。
押すべきか、押さないべきか? いや、今更か。
ボタンをぐっと押し込むと、培養テーブルの上のゴリラが二頭に増えた。
この調子、この調子だ⋯⋯。僕の悲願が達成されるまで。
***
人間が嫌いだった。
みんな自分のことしか考えていないし、一緒にいて楽しくない。
人間が嫌いだった。
建前と本音を使い分けて、どこかには黒い部分が隠れている。
人間が嫌いだった。
人間が嫌いなのに、僕も人間だった。
それでも人間が嫌いだった。
「みんなと一緒に行動しましょうね」
最初に僕を強制したのは、誰だったのだろうか。
母親? 父親? それとも幼稚園の先生?
とにかく、猛烈に嫌だと思った。
人間なだけで、人間と共に生きなければならないなんて反吐が出る。
一匹狼になるのも悪い手ではなかったけど、しつこく絡まれるリスクを考えると、僕にとって楽な生き方は、いろんな人を適当におだてて過ごすことだった。決して目立たず、空気と同化するのだ。
「みてみて、ぼくのカブトムシ!」
「わーかっこいい」
話題を広げることは面倒だったので決してしなかった。リアクションと相槌、それだけで場はやり過ごせた。
相手は単調な反応しかしない僕にそのうち飽きて去っていく。それでよかった。
暇だった。
人間が作り出した物に良い感情がない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつだ。
マンガもアニメもゲームも、この世にあるエンタメは全て人間が作ったもの。そんな娯楽は一ミリも楽しめなかった。
僕は言葉を使わず生きていくことができない。けれど、文字もことわざも、どっかの顔も知らないはるか昔のおっさんとかおばさんが作ったものなのだ。
それだけじゃない。ご飯も家もインフラも、親とか給食のおばさんとか大工さんとか名前も知らない職業の人でできている。
人間に頼らず生きていくことは、僕にはできなかった。
「本を読め」
日課である四面楚歌のような夕食が終わって自室に戻ろうとする僕を、呼び止める声があった。父親。僕の家族という不名誉な称号をもつその人に、一冊の本を差し出された。
おそらく家族には、僕が異質な存在だと受け取られていたことだろう。
だから、見聞を広げろと。そういうわけだ。
でも本は読みたくない。どっかの眼鏡をかけて無精髭を生やして博識を名乗っている人間が書いたものなんて。
ただ、表紙の写真に目が止まった。
人間ではない生き物。毛がいっぱいな体。黒。バナナ。
「ゴリラの生態」
父親の本のチョイスは謎だったが、とにかく僕はその本を毎日持ち歩いた。暇さえあればめくり、これまで読んだこなかったせいで遅い読書ペースにイライラしながら読破した。
そこには、僕の知らない世界があった。
ゴリラ。
人間ではない、けれどどこか温かみのあるその動物に、一瞬で虜になった。
***
「好きなところに旅行しておいで」
母親が差し出したのは、二センチはあろう札束だった。
僕は前から行きたいと思っていたアフリカへ旅立つことにした。
もちろん、ゴリラのためだ。
飛行機に乗ってアフリカへ。乗り継ぎを含めて約一日の長い旅も、ゴリラのためなら惜しまなかった。
普通の人が人のために動くように、僕はゴリラのためなら何だってする。
出会ったゴリラは、想像の何倍も逞しかった。
僕は思った。
「この宇宙はゴリラで満ちるべきだ」
呟いた言葉は、ジャングルのふかふかの土に染み込んでいった。
***
それから僕は、真面目に勉強をして、新たな企業を立ち上げた。
どれもこれも、ゴリラのため。宇宙をゴリラで満たすため。
そのために開発したのが、培養テーブルの上に乗せたものを倍にしていく機械だ。語るには文字数が足りないほどの技術を駆使している。
正直、ボタンを押す前には一瞬の逡巡があった。
これが、本当にゴリラにとっても幸福なのか? 自信が持てなかった。
けれど、僕はボタンを押してしまった。
もう、後戻りはできない。
***
ゴリラは順調に宇宙を満たしていった。一分間で一回複製が行われるため、一時間もあれば地球全体を埋め尽くす。
最初は生まれたゴリラたちに感謝されていた僕だが、ここ数分は命の危機を感じている。
今の僕が生かされているのは、ただ、自分たちを作り出したから生かしておいてあげようという、それだけの理由なのだ。
きっとあと五分もしたら、僕はゴリラに殺されるのだろう。
それでも良い気がした。
僕はゴリラを愛しているから。
一番最初に培養テーブルに乗せたゴリラが、悲しげな瞳をこちらに向けている気がした。




