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傾国の母と豆粒な娘 その願い事の末路

作者: ぷよ猫
掲載日:2026/04/29

 母ほど美しい人を、私はまだ見たことがない。

 三十代半ばを過ぎてなお、若々しく華やかで、肌は白雪のよう。サファイアをはめ込んだような青い瞳は、みっしりと長いまつ毛に縁どられ、瞬き一つで男たちの庇護欲を掻き立てる。そして、ふっくらとした唇で微笑みかけたとたん、まるで魔法のように彼らを魅了してしまうのだ。


「奥様、ジラルデ侯爵から贈り物が届いております」


「まあ、きっとドレスだわ。先日の舞踏会で、あの方のカフスボタンが、わたくしの袖のレースに引っ掛かってしまったから……」


 こんなことは日常茶飯事だ。

 昔から我が家では、母に心奪われた殿方からのプレゼントが絶えない。ダンスで足を踏みそうになったからとか、ドレスを汚しそうになったからという、こじつけの理由で宝石の散りばめられた靴や上質なシルクのドレスが贈られたり、特に理由はないのに金細工の髪飾りが届けられたりする。

 彼女が由緒ある貴族の娘であったなら、間違いなくこの国の王妃になっていたことだろう。

 事実、貴族学院に通っていたころの母は、当時の王太子である現国王と恋仲であった。しかし、田舎男爵の娘では妃になるのに身分が足りず、一方の王太子にはすでに公爵令嬢の婚約者がいたのである。

 このままでは国に混乱を招きかねないと危惧した先代の王は、王命で母をラフォン伯爵……私の父に嫁がせた。

 かねてより母に懸想していた父は、降って湧いたような幸運に感涙したという。そして、ひな鳥を世話するかのごとく花嫁を大切にし、私が生まれた。

母、カトリーヌ・ラフォンは魔性の女だった。それも「傾国」と噂されるほどの。


 不運なことに、娘の私はお世辞にも美しいとは言えなかった。

 鏡を見るたびに、本当に血が繋がっているの? と疑いたくなるほど、母にも父にも似ていない。

 彫りの浅いのっぺりとした丸顔で、暗い海のようなブルーグレイの瞳は、豆粒みたいに小さい。おまけに団子鼻である。私が母から受け継いだのは、陽光に透けるプラチナブロンドの髪だけだ。


「カトリーヌ様は光り輝くような美女なのに……娘のマリエル様は……」


 大人たちから向けられるのは、憐れみの視線。

 母と私には、それほどの差があるということなのだろう。さしずめ金の石座にきらめくダイヤモンドと、道端に転がる小石といったところか。

 幼いころの私は、美貌の母と比較され自分の容姿を貶められるたび、深く心が傷ついていた。


 私が六歳になったある日のこと。

 自分の娘が美しく成長しないと悟った母は、一流の家庭教師を何人も屋敷に連れてきて、こう言った。


「マリエル、よく聞きなさい。わたくしと違って、あなたは美しくないわ」


 清らかな声に似つかわしくない、なんとも無慈悲な言葉である。


「だけど、あなたはわたくしと同じである必要はないの。容姿がダメなら、知性を磨きなさい。立ち振る舞いに気をつけて堂々と振る舞えば、誰もあなたを粗末に扱ったりしないわ。自信がないからと卑屈になるのは、一番してはいけないことよ」


 きっと母は、自分のようになれなかった娘を不憫に思い、貴族社会を生き抜くための武器を与えようとしているのだろう。私を愛しているのだ。

 以来、母の教えを生き方の指針として、必死に勉強した。

 努力の甲斐あって、周囲から才媛として認められるようになった私は、気づけば女主人である母の代わりに、家を切り盛りするまでになっていた。

 そうして十六歳になった年、縁談難航の憂き目に遭うこともなく、すんなりと二歳年上の伯爵家嫡男、カミーユ・ペイネと婚約できたのである。

 母と比べる憐れみの視線がなくなったわけではないけれど、社交界では「あの才媛と噂のマリエル様がご婚約を……」と悪くない反応だったように思う。少なくとも「美男のカミーユ様が、あの豆粒みたいなマリエル嬢と婚約だなんてお気の毒ですわ」などと、嘲られる醜態をさらさずにすんだことだけは確かだ。

 カミーユは、私が世間からどう見られているのか百も承知しているはず。だけど、私の容姿を蔑まずに、いつも優しく微笑みかけてくれた。


「マリエルにはいつも助けられてばかりだね。先日もロッシュ卿へ贈った君のお勧めのワイン、とても喜ばれたよ」


「あの方は、ラフルース地方の決められた銘柄のワインしか好まれないのよ。とにかく、役に立ったのならよかったわ」


 私が言うと、カミーユは嬉しそうにヘーゼル色の瞳を細める。

 彼の笑顔が好きだった。夕陽を溶かしこんだような赤い髪も、差し出された大きな手も。


「君のように聡明な妻を持てることは、僕の誇りだよ。これからは二人で、どんな困難も乗り越えて行こう」


 その言葉を信じていた。

 家同士の縁談だから、カミーユに恋愛感情はないのかもしれない。でも、お互いを必要としているという感覚はあった。このまま彼の手を取り、少しずつ愛情を育んでいけたら……。

 私は自分を対等なパートナーとして扱ってくれる彼の誠実さを、何よりも大切に思っていたのだ。


 あの日までは――。




 婚約期間が二年目に入ると、カミーユとの結婚に向けた動きが本格化し始めた。

 私はペイネ家に嫁ぐので、今まで担ってきた家政を母に戻さなくてはならない。そのため、いつもなら一人で進めていたお茶会の準備を、今回は母主導のもとに行うことになっていた。


 初夏の日差しがまばゆい、昼下がり。

 私はお茶会の招待客について相談するため、招待者リストを持って母のいる庭へ向かった。母は庭園の東側にあるガゼボがお気に入りで、晴れた日はここで過ごすことが多い。

 ひとまずこのリストさえ母に確認してしまえば、そのあとはカミーユと会う約束がある。結婚式の打ち合わせのため、最近の彼は頻繁に屋敷を訪ねてくるのだ。

 カミーユと会えることはもちろん、私との結婚に前向きな姿勢が嬉しい。


「あら、もうこんな時間。急がなくちゃ」


 赤い薔薇のアーチから、風に乗って甘い香りが運ばれてくる。

 ちょうど薔薇が見ごろだから、庭でカミーユとお茶の時間を楽しむのもいいかもしれない。浮き立つ心を抑えきれず、私はつい小走りになった。

 アーチを抜け、母のいる白い屋根のガゼボが見えた瞬間、足を止める。そこには二人の人影があった。


「ああ……カトリーヌ、愛しています。ここへ来る間、あなたのことばかり考えていました」


 私の婚約者であるはずのカミーユが、愛おしそうに母の細い腰を抱き寄せている。


「いけないわ。あなたはマリエルの大切な婚約者よ。今日も約束があるのでしょう? それなのに……」


 そう言いつつも、母は抵抗する素振りもなく、あの美しいサファイアのような瞳を潤ませ、カミーユの赤い髪を指先で(もてあそ)ぶ。

 母が父以外の男性と情事にふけるのは、初めてではなかった。ただ母に甘い父は見て見ぬふりをしているだけで。でも、まさか……。


「あなたに会いに来ていると知っているくせに……」


 拗ねた顔をするカミーユの切なげな声。二人の唇が重なる。

 私は手に持っていた招待者リストを落としてしまった。客の名を記した紙が、カサッと風に煽られさらわれていく。

 その音に二人が気づくことはなく、徐々に口づけは深くなっていった。

 私は何も言えずに、身をひるがえした。

 嘘つき……。

 私との結婚は誇りだと言っていたじゃない。

 知性を磨き堂々と振る舞えば、粗末に扱われないのではなかったの?

 自分の娘を愛しているのではないの? なぜ婚約者を奪うの? 

 私には彼しかいなかったのに。

 所詮、母にとって私は便利な道具にすぎないのだ。耳触りのよい言葉で仕事を押しつけ、その隙に快楽をむさぼるための都合のいい駒。そうとも知らず嬉々として母の言いつけに従っていたなんて、まるで道化だ。


「ひどい……ひどいわ……」


 私は庭園の奥にある低木の茂みまで走ると、マホニアの木の下に崩れ落ちた。涙で視界は歪み、掴んだ冷たい土の感触が伝わってくる。

 憎い……。

 母が、憎い。

 激情に身を委ね、嗚咽を漏らす。

 そうして、どのくらいの時間が経ったのか。

 頭上から、パラパラと数枚の木の葉が落ちてきた。見上げると、小さな黒蛇がマホニアの細枝に体を巻きつけたまま、身動きが取れなくなっている。


「なんだか無様ね、私みたい」


 気の毒になり、恐る恐る手を伸ばした。枝を折って助け出すと、黒蛇は金色の瞳をこちらに向け、チロチロと赤い舌を出す。


『避邪の木から解放してくれた礼に、一つだけ願いを叶えてやろう』


 黒蛇はそう言うや否や、漆黒のマントを纏った妖美な男へと姿を変えた。マントのフードから黒髪と金色の瞳を覗かせ、肌は人間とは思えないほど青白い。

 男は全身から禍々しい気配を漂わせ、クツクツと喉を鳴らして嗤う。


「あなたは……」


 邪悪な存在なのだと、一目でわかった。マホニアの木は、この国では避邪の木とも呼ばれ、魔を退けると言われている。黒蛇は避邪の木に囚われていたのだろう。それを私が解き放ってしまった。

 男は、その妖美な顔を私の耳に近づけ、惑わすような甘い声で囁く。

 

『母親のように美しくなりたいか? それとも婚約者の心を取り戻したいか? 我が力をもってすれば、造作もないことだ』


 美しくなる? カミーユを取り戻す?

 いいえ、そんなことでは満足できない。たとえ、どんなに美しくなろうとも、あの母がいる限り、私はずっと比較され続けるのだから。

 でも……もし母がいなかったら?

 私は、頬に伝う涙を手の甲で拭った。


「母を……」


 自分でも驚くほど、凍てついた声が出た。

 

「母を、カトリーヌ・ラフォンを殺して」


 その瞬間、男の顔が愉悦に染まった。ニタリと赤い唇の端を持ち上げる。


『よかろう。おまえの願いは、明日までに成就するだろう』


 

 

 翌朝、母は寝室のベッドで物言わぬ骸になっていた。苦しんだ形跡のない、眠るような死に顔だった。

 最期まで母は美しかった。棺に敷き詰められた白薔薇がよく似合う。私は、あの邪悪な男のことが少し憎らしくなった。

 屋敷中が悲しみに包まれるなか、あまりにも急な妻の死に、父は茫然と立ち尽くすばかり。報せを受けて駆けつけたカミーユも、婚約者として私に寄り添うことはなく、棺を前にすすり泣いている。

 葬儀の準備を粛々と進める私に、カミーユは言った。冷たい女だ、と。


「血の繋がった親が亡くなったというのに、涙一つ零さないなんて、君には人としての情はないのか」


 涙など、とうに枯れている。私は可笑しくて、つい笑ってしまった。


「ふふ、私を裏切って母と浮気していたあなたが、人としての情を語るのね」 


 冷たく言い放つとカミーユは顔を真っ赤にして、涙に濡れたヘーゼル色の瞳を見開いた。


「君は、知って…………」


「だったら何? これ以上、みっともなく棺に泣き縋るつもりなら、帰ってちょうだい。誰かに見られて不名誉な噂を立てられたら迷惑なのよ」


「………っ」 


「まさか、このまま私と結婚するつもりじゃないでしょう? 精々、ご両親へ破談の言い訳でも考えておくことね」


 私はかつて母に教えられたとおりに背筋を伸ばし、堂々とした態度でカミーユを睨む。

 彼は言葉を失い、そのまま逃げるように去っていった。

 不意に誠実だったころのカミーユの記憶が脳裏に浮かぶ。ほんの少し胸が痛んだけれど、その背中を追いかけようとは思わなかった。


 その直後、カミーユと入れ替わるように、ラフォン家の門前に一台の馬車が停まった。母のかつての恋人、国王がお忍びで駆けつけたのだ。

 母の死を誰よりも悼んだのは、父でもカミーユでもない。国王だった。

 彼はやつれた顔で棺の前に膝をつき、人目もはばからず号泣した。震える手で母の冷たい頬をなぞる。


「ああっ、カトリーヌ、目を開けておくれ。私を置いて逝かないでくれ……! こんなことになるなら、あの時、父王に逆らってでも手放すのではなかった……」


 悲痛な叫び。

 国王は、延々と後悔の念を吐き出し続けた。為政者の威厳は消え、仄暗いブルーグレイの瞳の奥に強い執着の炎が揺らめく。

 狂気さえ感じさせるその姿に寒気を感じながらも、私は意気消沈のあまり部屋にこもる父に代わって、この場にとどまっていた。


「君は……」


 やがて国王は私に気づき、フラフラとした足取りで近づいてきた。

 社交界デビューが済んでいるとはいえ、まだ親の庇護下にある私が国王と顔を合わせる機会は、年に一度、大々的に開催される王宮舞踏会だけである。直接言葉を交わすのは、これが初めてだった。


「娘のマリエルでございます、陛下」


 黒いドレスを摘まみカーテシーをすると、国王は私の肩に手を置く。


「かしこまらずともよい。私たちは親子なのだから」


「え……?」


「カトリーヌが王命でラフォン家に嫁いだとき、彼女はすでに私の子を身ごもっていたのだ。そのプラチナブロンドの髪と私と同じブルーグレイの瞳。これこそが愛の証し……」


 国王はそう言って、母から受け継いだ私のプラチナブロンドの髪をすくい上げた。そして、ふと何か思いついたかのように目を細め、高らかに笑う。


「そうだ、そうしよう。私はもう、自分の娘を離さない……!」


 その声は、明らかに正気を失っていた。


 母の葬儀のあと、私は強引に王宮へと連れ去られた。

 国王は、父のラフォン伯爵を始め廷臣たちの反対を押し切り、私を王女として迎え入れたのである。

 側妃のいないこの国では、王の庶子は王家の一員とは認められていない。慣例として愛人や恋人との子は、伯爵や男爵、寵愛が深ければ公爵の称号が与えられるのみ。まして王女として遇するなど前代未聞のことだ。周囲の反対は当然である。

 しかし、暴君と化した国王が自分に逆らう者を迫害し始めたため、王妃や貴族たちは恐怖にかられ何も言えなくなった。

 さらに常軌を逸したこの行為は、過去に母と関係を持った男たちにも及んだ。

 どうやら国王は、我が家に密偵を潜ませていたらしい。母が亡くなる前日まで逢瀬を重ねていたカミーユも、葬儀の数週間後に王都を流れるイミル川で死体となって発見されたのである。

 ほどなくして王都では、国王乱心の噂が流れた。


「さあ、マリエル、窓辺に立って後ろを向いていておくれ。そうだ、動かないで……。その髪の輝き、そのなだらかな肩……ああ、私のカトリーヌ…………」


 王宮の最上階。母の肖像画がいくつも飾られた豪奢な部屋で、私は一歩も外に出られず囚われるように暮らしている。

 そして国王は毎日のようにこの部屋へ訪れては、私に母のドレスを着せ、後ろ姿を愛でるのだ。

 王は私の顔を見ようとはしない。彼にとって私は血の繋がった娘ではなく、愛する女性の面影を映し出すための器にすぎないのだから。


『あの母親と比べられなくなったというのに、おまえは随分と浮かない顔だね』


 いつの間に現れたのだろうか。あの邪悪な黒蛇が体をくねらせ、窓の縁を這っている。その姿は私にしか見えないらしく、国王が黒蛇に気づく様子はない。

 ばつの悪さに金色の瞳から目を逸らすと、再び黒蛇は妖美な男に姿を変え、さも愉快そうにクツクツと嗤った。


『人は憎しみに駆られると、どうして素直に自分の幸せを願えないのだろうね。簡単なことなのに』


 言われて初めて、私の本当の願いは母の死ではなかったのではないか、という気になった。

 母と比較さえされなければ、きっといつか私自身を見てくれる人が現れる。私を愛してくれる人が。

 母なんて、いなくなればいい。

 だから、願った。

 そうか。ただ一言、幸せになりたいと望むだけでよかったのだ……。


『おまえの母親もそうだったよ。まだ幼かった彼女は、自分を蔑む周囲を憎み、寿命の半分を代償に世界で一番美しくなりたいと我に願った。おまえの顔はあのころの母親そっくりだ。おまえたちの願いは叶えてやった。その結果はどうだ?』


 よもや誰にも似ていないこの顔が、母譲りだったとは想像もつかなかった。母も私と同じように容姿を貶められ憎悪を募らせていた? 代償を払うほど、切実に美貌を求めていたというのか。

 しかし、美しさだけでは手に入らないものもある。結局、母は王妃になれず、娘に命を奪われた。

 そして、その娘は妄執に取りつかれた王のために、死ぬまで母の背中を演じ続けるのだ。


「こんなはずじゃなかった……自業自得ね……」


 窓に映る自分の顔が、後悔に歪む。背後では、国王が恍惚とした笑みを浮かべていた。

 

「カトリーヌ、愛してるよ。邪魔者はすべて消した……今度こそ、私たちは死ぬまで一緒だ…………」


 絶望しかなかった。

 私はそっと吐息する。その吐息を、邪悪な男が美味しそうに呑み込んだ。


『悲しみ、嫉妬、後悔、憎悪……なかでも、絶望ほど美味な感情はない。だから、やめられないのだよ』


 では、と最後に優雅なお辞儀をして、男は消えた。私から搾り取れるものはもう何もないから、次の願いを叶えに行くのだろう。

 私は、ただ静かに窓辺に佇む。

 終わりのない孤独を噛みしめながら、この歪んだ愛の檻の中で。

  



 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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