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慎重さと警戒心を全身に纏い、メゼキラカフが部屋に入ってくる。だが、室内の光景を認めるや、彼の表情はすぐさま困惑に変わった。
「これは……。殿、いったいどういう状況ですかな」
「……左丞相閣下!?」
「これは……!ご無沙汰しておりました、左丞相閣下!」
メゼキラカフの姿を認めた瞬間、リャチとダヒシールの背筋が、まるで鋼の弦が張られたかのように伸びた。彼らが即座に、そして寸分の迷いもなく捧げた敬礼は、セダスタに対するそれとは明らかに質の異なる、絶対的な畏怖の念に染め上げられていた。一介の兵卒にとっては、雲の上の存在である王族よりも、自らが仕え、その声に直接身を震わせた権力者の方が、よほど現実的で、そして切実な畏敬の対象だったのである。
「リャチとダヒシールだ。ふたりとも近衛軍にいたらしい。リャチの方は……俺も前から知っている」
セダスタがそう紹介すると、メゼキラカフの老練な目が、値踏みするようにダヒシールの上を滑った。やがて、彼の口元に微かな笑みが浮かぶ。それは、緊張したこの状況には似つかわしくない、遠い昔の宮廷の些事を思い出した者の笑みだった。
「なるほど、どうりで。いやわしはむしろ、このダヒシールに見覚えがありますな。この男が近衛に入った年、兵の採用を取り仕切る女官たちが、それはもう大変な騒ぎでして」
と、メゼキラカフは唐突に世間話のような口調で語り始めた。
「武技は上々、しかし、肝心の筆記の点がまるで足りぬ。それを、当時の大臣であったラジョーホイク女史が強く後押しして、ようやくねじ込んだのです。まあ、わしはそのあたりの采配は彼女に任せました。正直に申し上げれば、毎回500人以上も採用する兵士のうち、たった1人の融通で王宮に仕えるご婦人方の士気が上がるのであれば、それに越したことはないですからのう」
その言葉に、ダヒシールは彫像のごとき無表情をわずかに崩し、気まずそうに視線を逸らした。男にしては長い、青黒い髪、鋭い目元、そして人を寄せ付けないほどの冷ややかな美貌。セダスタのそれが南国の太陽を思わせる華やかさだとすれば、彼の美は、一切の無駄を削ぎ落とした、厳格な寒地の合理主義に根差していた。
「……そのような経緯が。お恥ずかしい限りです」
国が滅び、すべてを失った今になって知る合格の真相。そのやるせない響きを帯びたダヒシールの腰を、リャチが肘でいたずらっぽく小突いた。かちゃり、と硬質ながらもどこか馴染んだ甲冑の音が、狭い室内に小さく響く。
「リャチというのは、たしか外洋世界の……カタナとかいう武器を使う変わり種でしたな」
メゼキラカフはひとり頷くと、今度は2人に向けて静かに言った。
「だが、ふたりとも。もうその『左丞相』という呼び名はよしてくれ。今のわしは、ただの――よくて、このセダスタ青年の後見人か、あるいは御伽衆にすぎん。それ以上の肩書きは、すべてあの日の焼け落ちる宮殿の中に置いてきた」
その言葉は、重い錨のように部屋の空気ごと沈み込んだ。四人は、まるで合図でもしたかのように顔を見合わせ、揃って静かなため息をつく。あの日、首都にいたクドゥクシュの民だけが共有できる、色褪せることのない敗戦の記憶。
それは、今まさに眼前に上映される映画のように鮮明で、仔細たがわず、狭い室内を重い天蓋となってしばらくの間、
支配するのだった。
「同郷のよしみだ、どこにも突き出したりはしない。教えてくれないか? どうしてお前たちは、空賊なんかに……」
セダスタが痛ましげに尋ねると、リャチはきっぱりとした声でそれを遮った。
「いえ、殿下。これは強盗ではありません。テロです」
「テロ?」
「この船には、ドゥアピーズのカドローという高官が乗船しています」
ダヒシールが、硬い声で続ける。
「『ドゥアピーズ』の……!?」
セダスタの口から、呪いのようにその国の名が漏れた。彼らの故郷を、星ごと滅ぼした仇敵の名だった。
「逃亡生活を続けるうち、俺たちは、『不壊党』という悪名高いギルドがこのテロ計画を企
てていることを知りました。リャチと相談し、すぐに組織へ加わったのです。……帰る場所のない暮らしに、ふたりとも、うんざりしていた。どうせ死ぬのなら、最後くらい、できる限りの一矢を報いてからだと」
ダヒシールは、若さゆえの激情を吐露するのが恥ずかしいのか、わずかに顔を赤らめながら語った。
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、メゼキラカフの理性が焼き切れた。
「……この、阿呆どもが!!」
怒声と共に、彼はダヒシールの胸ぐらを鷲掴みにし、壁際まで突き飛ばす。そして、狭い客室にいることなど忘れたかのように、かつて練兵場で轟かせたであろう、腹の底からの号令を叩きつけた。
「――整ィ列ェツ!!」
その声は、雷鳴のように2人の身体を貫いた。長年染み付いた兵士としての条件反射が、恐怖や理性を上回る。リャチとダヒシールは、ほとんど無意識に、その場で凍り付いたように背筋を伸ばした。
次の瞬間、乾いた破裂音が響く。メゼキラカフの振り抜かれた拳が、まずダヒシールの頬を打ち据えた。彼はよろめきもせず、ただ固く唇を噛む。宰相は間髪入れずリャチに向き直ると、同じように、その白い頬に容赦のない一撃を見舞った。男女の別なく加えられた懲罰に、2人の頬がみるみるうちに赤く腫れ上がっていく。




