第7章 離縁状と、新たな門出
収穫祭での一件は、当然のように王家の知るところとなった。公爵令嬢が身分を隠し、下賤な商いをした――そのニュースは瞬く間に貴族社会を駆け巡り、私はついに王宮から正式な呼び出しを受けることになった。
謁見の間には、玉座に座る国王陛下、その隣には厳しい表情のアレクシス王太子、そして少し離れた場所には、心配そうな顔を装いながらも内心ではほくそ笑んでいるであろうマリアの姿があった。クライネルト公爵である父も、私の隣で苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「エリザベス・フォン・クライネルト」
国王の威厳ある声が、静まり返った広間に響く。
「そなたの収穫祭での行い、聞き及んでおる。公爵家の令嬢として、そして何より王太子の婚約者として、あるまじき行為だ。弁明はあるか」
糾弾の言葉が、次々と私に浴びせられる。周囲の貴族たちも、好奇と侮蔑の入り混じった視線を向けてくる。普通なら、ここで泣き崩れて許しを乞う場面なのだろう。
しかし、私の心は不思議なほど穏やかだった。むしろ、待ってましたとばかりに、背筋をすっと伸ばした。
「弁明はございません。すべて事実ですわ」
私の落ち着き払った態度に、その場にいた全員が虚を突かれたように目を見開く。
「しかし、私には私の考えがございます」
私は一歩前に進み出ると、懐から一通の封筒を取り出した。そして、まっすぐにアレクシス殿下の前まで歩み寄り、その書類を彼の目の前に突きつけた。
「これは……?」
戸惑うアレクシスに、私ははっきりと告げた。
「アレクシス・フォン・ヴァインベルグ殿下との婚約を、本日をもって破棄させていただきたく存じます。すなわち、『離縁状』ですわ」
「なっ……!?」
その場が、大きくどよめいた。婚約破棄をされる側であるはずの悪役令嬢が、自ら王太子に離縁を突きつけるなど前代未聞だ。
マリアは、予想外すぎる展開に、可憐な顔を驚愕に歪ませている。彼女のシナリオでは、私が泣きわめき、アレクシスに断罪され、惨めに追放されるはずだったのだから。
国王が「何を考えておるのだ!」と声を荒げる。私は臆することなく、玉座に向き直り、堂々と宣言した。
「私は、お飾りの王太子妃になるつもりはございません。私の夢は、一人の料理人として、自分の力で生きていくことです。私の作る料理で、人々を笑顔にすることです。その幸せは、妃の地位にも勝る、私にとって何より大切なものですの」
私の言葉に、謁見の間は水を打ったように静まり返った。誰もが、私の覚悟を宿した瞳に気圧されている。
「私の幸せは、私が決めます。王太子妃の座は、それを望んでいらっしゃるマリア様にお譲りいたしますわ」
そこで初めて、アレクシスが口を開いた。その声は、今まで聞いたことがないほど感情的に揺れていた。
「君は……君は、一体何を考えているんだ、エリザベス!」
「考えていること、ですか?私はただ、正直に自分の心に従ったまでですわ、殿下」
私は彼に背を向け、父に向き直った。
「お父様、わがままをお許しください。ですが、これが私の選んだ道です」
ずっと苦い顔をしていた父が、ふっと息を吐き、そして、わずかに口元を緩めた。
「……分かった。お前の覚悟は、見届けた」
父はそう言うと、国王に向かって深く頭を下げた。
「陛下、娘の不始末、まことにお詫びの言葉もございません。この度の婚約破棄、クライネルト家として、謹んでお受けいたします。娘の意志を、尊重していただけますよう、伏してお願い申し上げます」
公爵である父の言葉は重い。国王も、これ以上何も言えなかった。
こうして、乙女ゲームのシナリオとは全く違う形で、私は自らの手で悪役令嬢の座を降りた。ゲームの強制力も、断罪イベントも、私の前では何の意味もなさなかった。
「では、これにて失礼いたします。殿下、マリア様、どうぞ末永くお幸せに」
私は最後に優雅にカーテシーをすると、誰の顔も見ずに、謁見の間を後にした。
重々しい扉が閉まる直前、複雑な表情で私を見つめるアレクシスの視線を感じたが、もう振り返ることはなかった。
王宮の長い廊下を、私は晴れやかな気持ちで歩く。しがらみも、偽りの自分も、すべて脱ぎ捨てた。手に入れたのは、何にも代えがたい『自由』。
これから始まる新しい人生に、私の胸は希望で満ち溢れていた。




