【番外編2】 王太子が失ったもの(視点:アレクシス)
エリザベス・フォン・クライネルトと離縁した直後は、正直なところ、清々した気持ちだった。
政略結婚という重荷から解放され、これからは純粋に愛せるマリアと結ばれるのだと。そう、信じていた。
だが、それは全て、私の愚かな幻想に過ぎなかった。
マリアの本性を知った日、私の世界は崩壊した。彼女の企みが白日の下に晒された時、私は自分の見る目のなさに絶望した。私が聖女と崇めていた少女は、嫉妬心に駆られたただの策略家だったのだ。
それからというもの、私は常にエリザベスのことを考えていた。
収穫祭で、民衆に混じって汗を流していた、生き生きとした彼女の姿。
悪意ある噂に屈せず、自らの力で真実を証明した、彼女の強さ。
そして、国中が流行り病に苦しむ中、誰よりも早く立ち上がり、人々を救った彼女の優しさと行動力。
思い返すたびに、胸が締め付けられるような痛みに襲われた。
私が手放したのは、ただの婚約者ではなかった。王国で最も気高く、強く、そして魅力的な魂を持つ女性だったのだ。
彼女の店『スパイス・パレット』を、初めて一人で訪れた日。
出されたカレーを一口食べた瞬間、私は涙が出そうになるのを必死で堪えた。
温かかった。
ただ、ひたすらに温かい味がした。それは、私が王太子として生まれ、ずっと孤独な食卓で求めていた、人の心の温もりそのものだった。
私は、彼女が作る料理に込められた、この温もりを知ろうともしなかった。彼女という人間を、理解しようともしなかった。その事実に、今更ながら打ちのめされた。
彼女が商人風情の男と結婚すると聞いた時、嫉妬心がなかったと言えば嘘になる。だが、それ以上に、彼女が心から幸せそうな顔をしていることが、何よりの救いだった。
彼女の結婚パーティーに招かれた日。私は精一杯の祝福を贈った。
カイ・シュヴァルツという男は、胡散臭い見かけによらず、彼女のことを深く理解し、支えているのが分かった。彼ならば、エリザベスを幸せにできるだろう。私は、潔く敗北を認めなければならない。
私は今、父の跡を継ぎ、国王としてこの国を治めている。
私の治世の目標は、ただ一つ。この国を、エリザベスのような人間が、その才能を自由に発揮し、幸せに暮らせる国にすることだ。
それが、私が彼女にしてやれる、唯一の贖罪なのだから。
時折、私は家族を連れて、お忍びで下町にある『スパイス・パレット』の一号店を訪れる。活気のある店内で、子供たちが美味しそうにカレーを頬張るのを見るのが、今の私のささやかな幸せだ。
カウンターの向こうで笑う彼女の姿を見るたびに、胸の奥が、ほろ苦く痛む。
これは、私が生涯、抱えて生きていくべき痛みだ。私が失った、かけがえのない宝物の記憶なのだから。




