第15章 私が選んだ最高のスパイス
「……喜んで」
涙で濡れた声で、私はカイのプロポーズに頷いた。嬉しくて、可笑しくて、幸せで、涙が止まらなかった。
苦しい時も、楽しい時も、いつも隣で私を信じ、支え、夢を応援してくれた最高のパートナー。私が一番欲しかったものは、王太子妃の地位でも名誉でもなく、この温かい手だったのだ。
カイは「やったぜ」と小さくガッツポーズをすると、私の指にそっと指輪をはめてくれた。少し不格好な銀の指輪は、どんな高価な宝石よりも、私の心に輝いて見えた。
私たちはどちらからともなく、強く抱き合った。王宮の廊下に差し込む夕日が、幸せな二人を優しく包み込んでいた。
私たちの婚約は、父であるクライネルト公爵も、心から祝福してくれた。
後日、カイが正式な挨拶のために公爵家を訪れると、父は厳格な顔で彼を値踏みするように見つめた後、深く息を吐いて言った。
「……娘を、よろしく頼む。あいつを泣かせたら、ただではおかんぞ」
それは、父なりの最大の祝福の言葉だった。
私たちは、貴族が行うような盛大な結婚式は挙げなかった。その代わりに、『スパイス・パレット』で、親しい友人たちだけを招いた、ささやかで温かいウェディングパーティーを開くことにした。
パーティー当日、店は下町の仲間たちが手伝ってくれた手作りの花やリボンで飾られ、温かい笑顔で溢れていた。パン屋の夫婦、大工のおじさん、八百屋のおばさん。そして、今ではすっかり私のことを「師匠」と呼んで慕ってくれる、王宮の宮廷料理長とその弟子たち。
皆が、私たちを祝福してくれた。
パーティーの途中、店のドアベルが鳴った。そこに立っていたのは、一人の青年だった。
「……招待状、ありがとう。来ても、よかっただろうか」
少し照れくさそうにそう言ったのは、アレクシス王太子だった。今日の彼は、王太子の正装ではなく、一人の青年としての簡素な服を着ていた。
「ええ、もちろんよ、アレクシス。来てくれて嬉しいわ」
私は笑顔で彼を迎え入れた。
アレクシスは、新郎であるカイの前に立つと、少し気まずそうに、しかし誠実な目で言った。
「シュヴァルツ殿、エリザベスを……頼む」
「ええ、お任せください、殿下」
カイとアレクシスは、固い握手を交わした。男同士、多くを語らずとも、互いの想いは通じ合ったようだった。
その後、アレクシスは私の前に来ると、祝いの言葉を贈ってくれた。
「エリザベス。君は本当に、強い女性になったな。……幸せに」
その晴れやかな笑顔に、私たちの間にあったわだかまりが、完全に消えていくのを感じた。
私は、この日のために用意した特別な料理を、皆に振る舞った。
純白のヨーグルトソースで飾り付けられた、純白のチキンカレー。ココナッツミルクをベースにした、マイルドでクリーミーな、ウェディングカレーだ。
パーティーの最後に、私は皆の前で小さなスピーチをした。
「私の人生は、かつては色のない、味気ないものでした。でも、前世の記憶を取り戻し、そしてスパイスと出会って、私の世界は鮮やかに彩られました。私の人生に最高の彩りを与えてくれたのは、様々なスパイスと、そして、ここにいる皆さんです」
私は集まってくれた友人たちの顔を一人ひとり見回し、そして、隣に立つカイの手をぎゅっと握った。
「特に、一番の隠し味は……カイ、あなたでした。私の人生を、最高に美味しくしてくれて、ありがとう」
照れくさそうに笑うカイ。温かい拍手と、祝福の声。
スパイスの香りと、愛する人々の笑顔に包まれて、私の人生で最も幸せな一日は、ゆっくりと更けていくのだった。




