第10章 立ち向かう元令嬢と、味方たち
マリアが流した黒い噂は、湿った枯葉に火が燃え広がるように、じわじわと王都に浸透していった。最初は誰もが笑い飛ばしていたが、「毒草」「呪術」「平民を実験台に」という扇情的な言葉は、人々の心の奥底にある未知への恐怖を巧みに刺激した。
あれほど賑わっていた『スパイス・パレット』の客足は、目に見えて減り始めた。店の前を通りかかっても、遠巻きに見てひそひそと噂話をするだけで、中に入ってくる客はまばらになった。
「今日も、お客さん、少なかったわね……」
夜、店じまいをした後、私は空席の目立つ店内を見回して、大きなため息をついた。一生懸命作っているのに。美味しいと、身体に良いと、自信を持っているのに。どうしてこんなことに。
不安と悔しさで俯く私の肩を、カイがそっと叩いた。
「大丈夫だ。本当に美味いものは、最後には必ず勝つ」
彼のまっすぐな瞳が、私に力をくれる。
「でも、このままじゃ……」
「馬鹿な噂に、真正面から反論したって逆効果だ。今は耐える時……いや、違うな。ただ耐えるだけじゃ、あんたらしくない」
カイはニヤリと笑うと、一冊の帳面をテーブルに広げた。
「俺の情報網を使って、噂の発信源を調べてみた。どうやら、マリア・ベルンシュタインと親しい、とある子爵家周辺から広まっているらしい。黒幕は、十中八九、あの聖女様だろうな」
「やっぱり、マリア様が……」
予想はしていたが、確信に変わると怒りがこみ上げてくる。しかし、カイの言う通り、ここで感情的になってはいけない。
「ただ耐えるだけじゃ、私らしくない……。そうね、カイの言う通りだわ。黙ってやられるなんて、性に合わない!」
私は顔を上げた。私の武器は、料理と、スパイスへの知識だ。それを使って、正々堂々、この逆境に立ち向かってみせる。
翌日、心強い味方が店を訪れた。パン屋の夫婦や、大工のおじさん、八百屋のおばさんといった、店の常連客たちだ。
「姐さん、元気出せよ!」
「そうだよ、あんな馬鹿げた噂、俺たちは誰も信じちゃいねえ!」
「あんなに美味しいものが、毒なわけないじゃない!私たちは、エリザベスさんのカレーの味方だよ!」
彼らの温かい言葉に、涙が出そうになる。私には、こんなにも信じてくれる人たちがいる。もう、一人じゃない。
勇気をもらった私は、すぐに行動を開始した。
まずは、噂を逆手に取った情報発信だ。
私は大きな紙に、スパイスの絵を一つひとつ丁寧に描き、その横に効能を分かりやすく書き込んでいった。
『ターメリック(鬱金):鮮やかな黄金色のスパイス。肝臓の働きを助け、二日酔いを防ぐ効果も!』
『クミン(馬芹):食欲をそそる強い香りが特徴。消化を助け、お腹の調子を整えます!』
『コリアンダー(香菜):爽やかな香りでリラックス効果。ビタミンも豊富でお肌にも良い!』
「毒草」や「呪術の道具」ではない。スパイスは、古くから薬としても使われてきた、身体に良いものなのだと、人々に知ってもらうのだ。完成したチラシを何枚も書き写し、店の入り口に貼り出し、道行く人に配り始めた。
そして、最大の反撃は、無料の大試食会だった。
私は店の前に大きなテーブルを出し、寸胴鍋いっぱいに作ったチキンカレーを置いた。
「さあ、皆さん!百聞は一見にしかず、百見は一食にしかず、です!私のカレーを、どうぞ召し上がってみてください!食べてみれば、安全で、とっても美味しいことが分かります!」
私は声を張り上げた。最初は、黒い噂を恐れて遠巻きに見ていた人々も、抗いがたいカレーの香りと、私の真摯な姿に、足を止め始めた。
一人の少年が、おずおずと近づいてきて、小さなカップを受け取る。彼は一口食べると、ぱあっと顔を輝かせた。
「……おいしい!」
その一言が、空気を変えた。
少年につられるように、一人、また一人と人々が試食の列に並び始める。
「本当だ、ただ美味しいだけじゃないか」
「むしろ、なんだか身体がポカポカしてきたぞ」
人々の顔から、疑念や恐怖が消え、美味しいものを食べた時の純粋な笑顔が広がっていく。
その光景を見て、私は確信した。小手先の策略や悪意は、本物の味と情熱の前では、いずれ色褪せるのだと。
私の反撃は、まだ始まったばかりだ。




