ログの行間
【解放と期待】
人事課長の佐藤は、社内に導入したAI「ログ・マネージャー」の成果に手応えを感じていた。 かつての職場は、形骸化した日報の督促や、実態と乖離した手入力のタイムシート、そして半年に一度訪れる「難解で苦痛な自己評価シート」に全員が疲弊していた。 「こんな事務作業ではなく、もっと本質的な仕事がしたい」 佐藤の思いから生まれたAIは、チャットやメールから日報を自動生成し、業務量を可視化した。社員からは「書く苦痛から解放された」と、マネージャーからは「フォローのタイミングが明確になった」と、これまでにない拍手をもって迎えられた。
【鏡の中の自分】
役員会議で、佐藤はさらなる一歩を提案される。日報ログを解析し、個人の得意分野や業績寄与度を数値化する「自動評価エンジン」の搭載だ。 その学習データ(教師データ)として選ばれたのは、佐藤が過去10年、心血を注いで作成してきた精緻な評価記録だった。 「君の評価眼を、そのままAIに移植するんだ」 自分のキャリアの結晶がデータとして吸い込まれていく。佐藤は、不毛な調整作業がなくなる喜びを感じる一方で、自分の「存在価値」そのものがシステムに置き換わっていくような、得体の知れない寂しさを覚える。
【データに映らないもの】
運用が始まって数ヶ月。AIによる評価は概ね正確で、かつての「社内の横並び調整」という悪習を打ち破る公平なものに見えた。 しかし、佐藤はある違和感に気づく。AIの評価が極めて高いチームで、離職者が続いたのだ。 ログを見返すと、そこには完璧な業務遂行の記録が並んでいた。だが、佐藤が直接そのチームを訪れ、雑談の中に潜む「声のトーン」や、チャットの返信がわずか数秒遅れるようになった「リズムの変化」を観察したとき、AIには見えていない事実が浮かび上がる。 AIは「記録された成果」は捉えていたが、その裏で蓄積していた「精神的な摩耗」というノイズを見落としていたのだ。
【見落としを修正する椅子】
佐藤は、AIが弾き出した評価リストを前に、ペンを走らせる。 AIは事務作業の煩わしさを消し去り、公平な土台を作ってくれた。それは間違いなく、佐藤が望んだ「可能性」だった。 しかし、その数字を鵜呑みにするのではなく、データに現れない「行間」を読み取り、AIの見落としを修正すること。それが、人事課長としての新しい、そして最も本質的な仕事になった。
「AIの分析結果は出た。さて、ここから先は僕の出番だ」 佐藤は、かつての難解な評価シートではなく、生身の人間と向き合うためのノートを手に、デスクを立った。




