表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒトミノキョウカ  作者: inasa
序章
4/4

赤い空のほうへ


 ――辛うじて、消えなかった。


 それだけが、確かな事実だった。


 夜明け前の冷たい空気の中で、キョウカは揺れていた。

 人の形をしているはずなのに、輪郭は曖昧で、光の加減ひとつで溶けてしまいそうだった。

 そこに“いる”と認識すること自体が、すでに祈りに近い。


 ヨスガは膝をつき、視線の高さを合わせる。


「……まだ、生きたいの?」


 声が震えないことに驚いた。

 必死に縋る声でも、答えを強要する声でもない。

 ただ、確認するための言葉。


 キョウカは答えない。

 唇も動かないし、目も伏せたままだ。


 それでも、消えない。


 夜の名残を引きずった空が、ゆっくりと色を変えていく。

 流しきった血のような色合いは薄れ、代わりに淡い橙が滲んでいく。


「……そうだよね」


 ヨスガは、空を見上げた。


「僕らは、まだ知らないんだ」


 言葉を探し、選ぶ。


「あの赤い空の向こうを」


 村の空しか知らなかった。

 この場所で生まれ、この場所で閉じて、疑うことすら教えられなかった。

 だが、世界は続いている。

 この空の向こうにも、当たり前のように。


 ――行こう。


 それは希望ではなかった。

 逃避でもない。


 ただ、確かめなければならない、という衝動だった。


◆◆◇◇


 村の境を越えた直後だった。


 土の匂いと、湿った木々の気配の中に、明らかに異質な存在が入り込んでくる。


 黒塗りの車。


 光を反射しない塗装。

 無骨で、感情を拒むような形。止まる音は低く、短かった。

 扉が開く。


 降りてきた男たちは、視線を交わすことすらなく、一直線にヨスガへ向かってくる。


「――なん」


 言葉は途中で途切れた。


 右腰に走る電撃。

 視界が反転し、重力が消え、次の瞬間には闇だけがあった。


◆◆◇◇


 目を覚ましたとき、最初に感じたのは「広さ」だった。


 天井が高い。

 村の家屋ではありえない距離。


 白く、均一で、汚れ一つない。

 どこを見ても、人の生活の痕跡が削ぎ落とされている。


 柔らかすぎる寝台。

 鼻を刺す、消毒と甘い香料が混ざった匂い。


 身体を起こし、違和感を確かめる。

 拘束はない。だが、それが逆に不気味だった。


 窓に近づく。


 カーテンを引いた瞬間、視界が一気に開ける。


 都市だった。


 限りなく、空に向かって積み上げられた建物が並んでいる。僕がいる建物はかなり高いようだ。

 下を見れば、幾何学的に区切られた道路を、無数の車と人が流れている。


 村では、人は“誰か”だった。

 ここでは、人は“量”だった。


 数として扱われ、個々の重さは均される。

 誰かが倒れても、流れは止まらない。


 赤い空の向こうにあったのは、夢でも救いでもない。

 ただの、現実の続き。


 ノックの音が、背後で響いた。


◆◆◇◇


 扉を開けた、使用人と名乗る男。


 背筋は伸び、無駄な動きは一切ない。

 ガタイの良さと感情のない青い目が、威圧感を纏っている。


「ここはどこだ」


 返事はない。


「誰の差し金だ」


 無言のまま、歩くように促される。


 廊下は長く、直線的で、曲がり角の先まで見通せない。

 逃げ道を考えさせない構造。


 ヨスガは苛立ちを隠さなかった。


「ねえ、無視? 拉致しておいて説明もないんだ。」


 その瞬間、使用人の男が足を止め、鋭く睨みつけてきた。


「――主の命だから、貴方を生かしている」


 声は低く、冷たい。


「自分が大勢殺めた、人殺しであることを忘れるな」


 胸の奥が、ずしりと沈む。


「……たしかにそうだが」


 ヨスガは、視線を逸らさなかった。


「あいつらだって、人殺しだ」


 男は、わずかに口角を歪める。


「人一人のために暴走して、他の大勢を踏みにじることは、正義でもなんでもない」


 一歩、距離を詰める。


「反省しろとは言わない。だが、自分の立場を自覚しろ」


 そして、最後に。


「自分のせいで、大切な人が人殺しになって。

それで、喜ぶ奴があるか?」


 僕は何も言えなかった。


◆◆◇◇


 案内された部屋は、予想に反して私的だった。


「……あっ」


 短い声。

 次の瞬間、相手が足をもつれさせる。反射的に手を伸ばし、身体を支えた。


 そのまま、しがみつかれた。

 顔を上げた相手を見て、息が止まる。


「……モクヒ?」


 焦りと不安が、そのまま表情に出ている。なんだか縋ってるような。

 取り繕いのない、昔助けた子犬と同じ顔。


「わ、分かるんですか!?」


 驚きと、純粋な喜びが滲む声。


「分かるさ。その不安そうな顔、変わってない。

 ……君は随分変わったようだけど」

 

 空気がほっ、と緩んだ。

 あの狗神の息子、モクヒ。母親に縋るしか無かった子犬。あの頃の姿とは随分かけ離れている。


「た、たたた大して変わってないですよぉ。一応色んな方と情報やお金や呪いをやり取りしてますけど、こないだなんてすごく怖い方と取引してる間、もうずっと足が震えそうで声もうまく出せなくてぇ…。あ、これ言わない方が良かったかも?」


 使用人が呆れたように視線を逸らすのを見て、モクヒは慌てて言った。


「り、リンドウはもう下がってていいから!」


 使用人の男――リンドウが一礼して扉が閉まり、室内に静寂が戻る。


 モクヒは一度、深呼吸し、背筋を伸ばした。


◆◆◇◇


「……キョウカが、弱っているんでしょう。」


 ワントーン下がった声色に、モクヒの"今"を感じる。


「存在を保つには、生贄が必要です。」


 指先が、冷えていくような心地がした。


「生贄になるにも条件があります。」


 モクヒは、淡々と指を折っていく。


印瞳 縁(インドウ ヨスガ)、貴方はなれない。

印瞳の一族も、なれない。

 そして、自ら生贄になることを望まなければならない。」


「……なんで、そこまで知ってる。」


 訝しむヨスガに、モクヒは一瞬だけ視線を逸らした。


「母――狗神の助けです。」


 そして、続けて言う。


「監視するように言われています。

"結び"や世界、一族の生き残りに害をなすなら……始末しろ、とも」


 沈黙。


 次の瞬間、モクヒの肩が落ちた。


「で、でも……それとは別に」


「貴方に、恩返しがしたいんです。

だから……全面的に協力します。

 ヨスガさんだけが間違ってるとは、僕は思えない。」


 不器用で、必死な視線。


(守りたいなら、奪うしかない)


 その考えが、また浮かぶ。


 だが、同時に、朝焼けの中で揺れていたキョウカの姿が胸を締めつける。


(……それを)


 ヨスガは、目を伏せた。


(それを、キョウカは望むだろうか)


 赤い空の下、僕らが憧れた世界は、

 答えを与えず、選択だけを突きつけてくる場所だった。


毎週火曜更新


良いお年を!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ