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ヒトミノキョウカ  作者: inasa
序章
3/4

花火の夜



 ――乱闘が始まった。


 牙と爪。

 霊気と衝撃。

 僕の身体は人のままなのに、僕の周りの力が、獣みたいに噛みついてくる。


「ヨスガ!! 抑えろ!!」


 狗神が吠える。

 僕は歯を食いしばる。


「抑えてる!! 抑えてるつもりだ!!」


 足元に血の海が広がっていく。

 一族の人間が何人も倒れていく。

 本家以外は戦の訓練など受けていない。逃げ方すら知らない。祈ることしか知らない。


 守りきれない。


 狗神の瞳が、苦しげに歪んだ。


 そのときだ。

 乱闘の中で、狗神が吐き捨てるように言った。


「……過去の当主も、同じだった。

 瞳飲に……陶酔して……正しさを捨てた。」


 僕の心臓が、嫌な音を立てた。


 過去の当主も。

 陶酔。

 瞳飲の怪異に。


 脳裏に、歴代当主の肖像がちらつく。

 どれも穏やかな顔で“守る”を語っていたはずなのに。

 その裏で、同じように――怪異に溺れた?


「……はは。」


 笑いが出た。

 笑うしかなかった。


「じゃあ、印瞳は最初から腐ってたんだ。」


 狗神の牙が、僕の脇腹を裂いた。

 熱い痛み。血が流れる。

 それも、キョウカの力ですぐさま治った。


 同時に、僕の肩の温度が――急激に薄くなった。


「……キョウカ?」


 違う。

 薄くなったのではない。

 削れている。削れているんだ。暴走のたびに。


 狗神は、それに気づいたらしい。

 息を呑み、そして――決意の目をした。


「……もう、終わらせる。」


 狗神が低く言う。


「お前を生かせば、国が滅ぶ。

 ……印瞳だけじゃない。緋月ひづき全てが、呑まれる。」


 僕は吠えた。


「黙れ!!」


 狗神は、僕ではなく、僕の“中心”を見た。

 狙いを定める瞳。

 ――僕の命を奪う決意。


 その瞬間、視界の端で、ネコマがふらりと崩れた。

 ――いや、崩れたのではない。抱えられた。

 リュウジが、足を引きずりながらネコマと逃げようとしている。


 ネコマは一瞬だけ、こちらを見た。

 涙とも汗ともつかないものが頬を濡らしている。

 口が動く。

 声は届かない。


 けれどその唇の形は、たぶん、こう言っていた。


 ――ごめんなさい。


 次の瞬間、狗神が跳んだ。


 鋭い爪が、僕の胸を裂こうとする。

 狙いは僕の心臓。

 いや、僕の“宿り”の核。


「やめろ!!」


 僕は身体を捻った。

 捻った、つもりだった。


 だが――遅かった。


 衝撃。

 視界が白く飛ぶ。

 胸の奥で、何かが“ぷつん”と切れる音。


 そして――


 背中の温度が、急激に冷えた。


「……キョウカ!!」


 返事はない。

 匂いも薄い。

 触れているはずのものが、遠い。


 狗神も、同時に大きくよろめいた。

 僕の暴走した力が、狗神の身体を裂いていたのだ。

 腹に大きな傷。呼吸が乱れ、口から血が垂れる。


「……退く。」


 狗神は低く唸り、後退した。

 守り神が、役目を捨てて逃げようとしている。


 その背に向けて

 僕は、立ち上がった。


 僕のすべてが怒りに染まる。

 キョウカが消えかけた怒り。

 八年ぶんの怒り。


「……逃がすかよ。」


 僕の声は、自分のものではないくらい低かった。

 いや、僕の声だ。これが僕だ。


 僕は狗神に飛びつき、背後から首を抱えた。

 狗神が呻く。

 でも、僕は止めない。


「わるかったよ、お前の大事なもの傷つけて。

 けれど、けれどなあ…。どうしてキョウカのことは守ってくれなかったんだ?

 その結果、僕は――」


 最後の力を、絞り出す。


「――キョウカを、また失う。」


 とどめを刺した。

 骨が鳴る。

 狗神の身体から力が抜ける。

 巨大な獣が、石畳に崩れ落ちた。


 静寂。


 次に聞こえたのは――誰かのすすり泣きだった。

 生き残った一族の、震える呼吸。

 僕は、ゆっくりと振り返る。


 彼らの目に映っているのは、当主ではない。

 神でもない。

 怪異でもない。


 ――ただの、災厄だ。


 そして僕は、その視線を受け取って、理解した。


「……ああ。」


 キョウカの温度が、さらに薄い。

 もう、消えそうだ。


 この家が。

 この一族が。

 この掟が。


 ――またキョウカを奪う。


「許さない。」


 僕は言った。


「許さない。許さない。許さない。」


 怒りが、力を呼ぶ。

 力が、血を呼ぶ。


 地を蹴った。


 本家以外に戦闘技能はない。

 祈ることしか知らない器は、壊れることしかできない。


 倒すのは簡単だった。

 簡単すぎて、胸が空っぽになった。

 倒れていく身体。折れる骨。割れる声。


 ――これが、八年かけて育てた僕の答えだ。


 血に濡れた廊下を進み、僕は外へ出ようとした。

 そのとき。


「ヨスガ様。」


 静かな声が、立ちはだかった。


 本殿の前。

 最後のひとり。


 かつての教育係、リュウジが、そこにいた。

 衣服は乱れ、額に血が滲んでいる。

 それでも姿勢は崩れていない。

 まるで、八年前の廊下で僕を呼び止めたあの日のまま。


「……まだ、やるのか。」


 僕が笑うと、リュウジは目を細めた。

 その眼差しには――哀れみと、確信があった。


「狗神の言葉を聞きました。

 ヨスガ様を生かせば、国が滅ぶ。」


 淡々としているのに、声の奥に覚悟がある。


「……ネコマを逃がすための足止めか。」


 リュウジは何も答えない。

 答えないことが答えだった。


「あなたから戦い方を、奪い方を教わった。

 ありがとう。感謝してるよ。おかげで僕も奪える。」


 僕は一歩踏み出す。

 リュウジも一歩踏み出す。


 そして――ぶつかった。


 師匠と弟子。

 リュウジは刀、僕は丸腰。

 でも僕はもう、弟子ではない。人でもない。


 止まらない。止まれない。

 止まりたく――ない。


 リュウジは強かった。

 けれど――勝負は決まっていた。


 床に膝をつき、呼吸が血に濡れ、目の焦点が揺れている。

 それでもリュウジは、僕を見上げた。


「……ヨスガ様。

 あなたは…あの子を、救えませんでしたね。」


 その言葉が、胸を抉った。

 八年前の座敷牢が、血の匂いで蘇る。


「ですがそれは、わたしも……。」


 僕は、リュウジに背を向けた。


「……黙れ。」


 そして、外へ出た。


◆◆◇◇


 夜の山道。

 血の匂いが、風にほどけていく。

 屋敷が遠ざかるたび、身体が軽くなるはずなのに――背中の温度は、どんどん消えていく。


「キョウカ。」


 返事はない。

 声もない。

 それでも僕は、そこに“いる”と信じて話しかけた。


 山を登った。

 景色のいい場所へ。

 鳥居の上へ。


 腰掛けると、眼下に緋月の夜が広がっていた。

 都市の灯りはここからは見えない。

 山と森と、暗い雲。

 でも、その暗さが、なぜか優しかった。


「……ほら。

 綺麗だろ。」


 あのとき、約束した。

 一緒に見に行こうと。海も、街も、夕焼けも、花火も。


 全部叶わなかった。

 だから、せめて最後だけは――


「……一緒に見よう。

 今度こそ、二人で。」


 僕は懐から短刀を取り出した。

 祭具に紛れた刃。

 この家の“守り”が、最後に僕を救うなんて、笑える。


「……キョウカ。

 僕は、もう、無理だ。」


 声が震える。

 恥ずかしいくらい子供みたいに。


「君がいない世界で、僕が生きる意味はない。

 君が消えるなら、僕も消える。

 ……それだけだ。」


 短刀を胸に当てる。

 呼吸を吸う。

 刃が冷たい。


 ――そのとき。


 ドンッ。


 山の向こうで、光が咲いた。


 次の瞬間、遅れて音が来る。

 爆発音。

 そして、連鎖する火薬の破裂。


 本殿のあった方角で花火が爆ぜた。――地面の、上で。

 夜空に、赤と金の火花が散る。

 まるで、祭りが遅れて始まったみたいに。


「……はは。」


 僕は、短刀を落とした。

 落とした刃が、石の上で乾いた音を立てた。


 花火。


 八年前。

 キョウカと見損ねて。

 ――いや、見損ねたのは僕だ。


 僕が告白した夜。キョウカは逃げ出して。

 僕は帰り道、ひとりで花火を見た。

 あんなに綺麗なのに、ひとりで見る花火は、世界で一番僕を焼いた。


 でも今夜は――


 僕はそこにいるはずの温度に、語りかける。


「……ほら。

 見えるか。キョウカ。」


 返事はない。

 声はない。

 でも、花火の光が一瞬、僕の手のひらを照らしたとき。


 ――温度が、わずかに戻った気がした。


 錯覚でも良かった。

 八年分の地獄のあとに、最後の一瞬だけ、救いが欲しかった。


「……やっと。

 やっと、二人で見れた。」


 花火は、静かに、空を裂きながら散っていく。

 赤、金、青。

 まるで『響夏』の絵の中から、こぼれ落ちたみたいに。


 そして僕は、理解した。


 リュウジが。

 あいつが僕を巻き添えにするために、仕込んだのだと。

 僕が死ねば、国が救われると思ったのだと。


 ――でも、もういい。


 僕は鳥居の上で、ただ花火を見上げた。

 キョウカに話しかけながら。

 声のない返事を、勝手に受け取りながら。


 世界が終わっていく音が、遠くで鳴っていた。


 そして、その音は――

 なぜだか、とても優しかった。

 

毎週火曜更新

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― 新着の感想 ―
ヨスガが座敷牢に囚われたキョウカに、自分で描いた絵を見せながら外の世界のことを語るシーンは、読んでいて胸が熱くなりました。 宿命に縛られた立場でありながら、それでもキョウカを想い続けるヨスガの気持ちが…
一気に最新話まで読ませて頂きました。 キョウカと守りきれなかったヨスガの後悔……そして、八年後の儀式の日に起こった出来事 神や掟を否定しながらも愛に殉じていくヨスガの姿は心に来る物があり、どんどん惹…
初めから3話まで読ませていただきました。静かで残酷な世界観の中に「たった一人を想い続ける心」が鮮烈に描かれていて、胸を掴まれました。 キョウカとの座敷牢での時間は、優しくて温かく、それだけに失われた…
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