お兄様とお話 魔法と兄心
翌朝、目が覚めた体はすっきりとしていた。軽く動く体とは対照的に目は泣き腫らしていたけど。それでも、誰かに受け入れて貰えたということ。それだけで心が晴れる。
「おはようございます。お嬢様。ご機嫌はいかがですか」
メイドを従えセーラは部屋に入ってくる。デジャブである。だがあの時とは違って、一度腹を割って話した中だ。妙な緊張はない。だが昨日邪険にしてしまった自覚があるから少し気まずい。目が合わせられず布団に潜り込んだ私を見て思わずといった風体でセーラは笑った。
「ひどいわセーラ。私はこんなに気まずいのに」
「そう思うであろうことは事前に予測しておりましたよ」
そう言いながら布団を剥ぐ。セーラには泣き腫らした目の拗ねた顔が見えただろう。
「支度の時間でございます。さぁ起きてください」
「あぁもう。ひどく晴れてますね。」
そっと冷えたタオルで瞼押さえる。ひんやりと気持ちがいい。そのまま5分ほどたった後、顔を洗う。鏡で見るとある程度引いていた。
「さあ支度に参りましょう。」
昨日のように二、三人で着替えさせられ、髪を編み込む。メイドが部屋に食事を持ってくる。鶏肉中心の食事だ。だけどそこにあるのはパンで白ごはんではない。少し味付けが濃い。昨日は緊張してそれどころではなかった。だけど、いざこの世界で生きていくとなると、少し日本食が恋しい。どこかでどうにかしないとなと、頭の中で算段をつける。
「今日のご予定ですが、アルバート様がお食事の後部屋にいらっしゃるとのことです」
「お兄様が?なぜ」
「昨日の時点で見舞いに来たかったようですが、奥様がお止めになりました。故に今日いらっしゃるとのことです。」
「わかった。」
食事を終えメイドが皿を下げる。それと同時に退出するセーラに声をかける。
「何も聞かないのね。あなた」
今までとは、立ち居振る舞いが何もかもが変わった。現に動揺するメイドもいた。なのにセーラは何も変わらない。
「奥様がそれでいいとおっしゃいました。それに、何も変わっていません。」
「少し大人びられたように見えますが、中身は何も。一つ申し上げることがあるとすれば、成長過程が見れなくて残念です。」
少しおどけるような表情をみせ、軽く笑いセーラは一礼して去っていった。そうか何も変わっていないのか私は。成長しただけで私はずっと紗奈でアメリアだった。
少し緊張しながら部屋で待つ。あのあとアルバートが訪れるのをもてなすため紅茶などを揃えて持ってきたセーラも一緒だ。そういえばセーラはお母様からどこまで聞いたんだろう。あの話口調からほとんど聞いているみたいだけど。いや、屋敷全体だ。どうも、皆の目が優しい。それがまた気恥ずかしさを誘う。
コンコン
私を思考の海から連れ戻したのはノックの音だった。
「アルバートだ。入ってもいいか」
「どうぞ」
扉から顔を覗かせたのはあの日転び額をぶつけ、ギャン泣きする私の手を取り屋敷まで連れて言ってくれた人。私のお兄様だ。アルビーは、いつものように落ち着いた青い瞳をしている。その一挙手一投足は、まるで大人の貴族のように洗練され、優雅だ。その手には、母が持ってきたびわではなく、よくわからない複合的円盤のような物を持っている。セーラはアルビーの姿を見ると、静かに一礼し、給仕のために部屋に残った。
「リア。昨日、母上と話したことは、両親から聞いている。今君の目を見てわかった。確かに何も変わってないな。」
アルビーは、リアの正面の椅子に腰掛ける。その声には侯爵家の次期当主としての静かな責任感があった。
「一つ君が未熟で幼いことを理由に後回しにしていたことがある。そろそろ手をつけるべきだと思ってお父様から許可を得たんだ。」
アルビーはそう言って手に持った複合的な紋章が刻まれる円盤じみた物をテーブルへ置いた。
「これは?」
「魔力測定装置だ。君がどの魔法の素質があるかが、そして器の大きさがわかる。」
そう言ってアルビーは紅茶を一口飲む。ひとつひとつの動きが様になっていてとても優雅だ。まだ6歳なのに。
「通常、覚醒してから測る物だけど、この一族は才あるものが多いみたいで、ある程度のもの心がつくようになったら測ることになっているんだ。リア手を置いてみて」
「まほう」
あまり現実味を帯びず口の中で呟く。リアは導かれるように円盤へ手を伸ばした。
紅く染まる。円盤につく全ての宝石が紅く染め上げられる。とんでもない負荷がかかっているようだ。宝石に軽くヒビが走る。一つ、二つ、三つ。宝石が割れていく。部屋に鋭い音が走った。驚くようにアルビーを見ると軽く頷かれたため、そのまま続ける。
くらりと体が揺れ円盤から手が離れる。円盤を見ると、12個中7つが割れていた。どっと体に疲れが出る。そのまま背もたれに体を預けた。
「上出来だ。7つかそれにお母様と同じ炎属性だ。さすがペンブルック家の一員だな」
歌うような軽い口調でアルビーは笑う。背もたれにもたれたままの私にセーラは追加の紅茶を入れた。二杯目はミルクティーで牛乳多めである。
「ちなみにアルバード様は10個割られたそうですよ」
「おいセーラ、今は私の話ではないだろう」
軽く咳払いをし、アルビーは話を続ける。彼の瞳から、先ほどの愉快さは消え、侯爵家の次期当主としての理性が宿る。
「…さて。魔力の測定結果は君の才覚を示した。だが、それと同時に、君の炎の素質は、いつか君を傷つけるかもしれない。やるべき事は山積みだな」
アルビーは紅茶に口をつける。その目の奥は優しさかそれとも。
「お兄様、ひとつお願いがあります。」
「なんだ」
「図書館の全館解放をお願いします」
そっと目の奥で揺らいだのが見える。お母様は私を大事に思っている。お兄様は何も変わらないと言ってくれた。なら私はそれに報いたいのだ。ペンブルック家の長女として、娘として、妹として。胸の奥にじんわりと暖かいものが広がる。私に才があるのならそれで返したいと思うのはきっと当然のことだ。
「まあ、いいが。そもそも別に、俺の許可なんていらないぞ。あれはリアのものでもある」
「そっか、そうなんだ」
「でも確かに、知識はつけた方がいい。まだ今はリアを家で守ってあげられるけど、外を出れば、守ってあげられない。知識は君の盾になるだろうし」
「リア。君の求める知識、そして君の持つ炎の力を、私が理性で支えてやる。君が強くなることは、家族全員への報いになる。君が限界を探求したいと思うなら、私は兄として、その基盤を万全に整える。」
アルビーは立ち上がり優雅な仕草でリアの頭を一撫した。
「まだ飲み込めてないものもあるだろうけど、いつか受け入れてくれよ。リアは自分のこと何もないと思ってるみたいだけど、私にとっては可愛い妹だ。それに、対外的に見れば魔法の才もある。何も自分を卑下しなくていい」
軽く笑いお兄様は部屋を辞する。心のつっかえがストンとなくなった。
(恐るべき、6歳児)
私が6歳の時あんな風に誰かを励ますことができるだろうか。
ペンブルック侯爵家の庭園には、夜が帳を下ろしていた。月の光が、広大な庭に設えられた訓練場を青白く照らしている。
侯爵家次期当主であるアルビー・ペンブルックは、庭の一角にある椅子に座り込んでいた。彼の青い瞳は、夜の闇と同じくらい深く、その奥には常に理知の光が宿っている。アルビー自身も、次期当主として水属性の魔力に恵まれている。ペンブルックの水は、全てを冷却し、流し、制御する理性の力だ。対して、母ベアトリスからリアへと継がれた炎は、全てを焼き尽くし、変化させる情熱の力。
「…アルビー様」
静かに現れたのは、リアの侍女セーラだった。アルビーはセーラのロートン子爵家としての高い知性と、妹への深い愛情を信頼している。
「セーラ。君も見ていたのだろう。リアの魔力は、私たちが幼い頃に見たそれとは全く違う。あの輝きは、『光の聖女』の再来か、あるいは……」
アルビーは言葉を切った。その先にあるのは、侯爵家が恐れる教会の介入だ。
セーラは静かに膝をついた。
「アメリアお嬢様の瞳は、ご病を境に変わりました。その瞳には、かつては無かった自らで考える知性と、何かを守ろうとする炎が宿っています。そして、その炎は、決して侯爵家を裏切る炎ではないことを、私は理解しています」
「そうか。父上と母上は、リアの『変化』を静かに受け入れようとしている。だが、私は兄として、リアの炎が暴走しないように、制御しなければならない」
アルビーは立ち上がると、空を見上げた。夜空には、穏やかな月が輝いている。
「王家が、侯爵家が、なぜ『変化』を掲げ続けるか。それは、流動しない水は腐るからだ。リアの炎は、その変化の象徴。だが、その炎は、何が燃料になるかわからない」
セーラは深く頭を下げた。
「お嬢様は、侯爵家の愛を守る盾となる決意をされました。今、お嬢様は、その知性を活かし、侯爵家が持つすべての知識を求められています。私も、亡きエリシアの愛と、ロートン子爵家としての全てを賭けて、お嬢様を支えます」
アルビーは静かに頷いた。
(リア。君の決意は、家族全員で背負う。君が炎で道を示すなら、私は水でその基盤を固めよう)
彼の青い瞳が、そっと揺れる。彼の決意は月だけがみていた。