雪解け
冬の空が鈍く光っていた。だが確かに、気温は日にちに上がっていて、春の吐息がすぐそこまで迫っている。
吐く息は白く、地は凍てつき、静寂の中で息をする音だけが響く。
あの日以降、ことあるごとに魔力に語りかけ、少しずつ引き出していった。すぐには終わらず、一日、一週間、1ヶ月と過ぎていった。
今日もまたお兄様にお願いし、庭へ来ていた。あの日お兄様と見たような、意思疎通する感覚は掴めず、未だにそっぽむかれているような気がする。
だが確かに少しずつ呼応してくれる実感はあって。あとはそれに応えるだけだという感が働いた。
リアの掌には、わずかな熱が宿っていた。
次に挑むは――彼女の本来の得意属性、炎。
先日の言葉が蘇る。
「水は制御。炎は衝動だ。」
アルビーが言う。
白い息を吐きながら、手袋を外した。
その指先は凍えるほど冷たいのに、眼差しは凛としていた。
「覚えておけ、リア。
炎は心そのものだ。押さえ込もうとすれば、暴れる。
けれど、恐れず受け入れれば、燃やしたいものを選べる。」
「……燃やしたいもの、ですか。」
「ああ。守りたいもののために、燃やす力だ。」
彼言葉を思い出し、リアは両手を胸の前に掲げ、ゆっくりと目を閉じた。
冷たい空気の奥に、わずかな熱の鼓動を感じ取る。
それは――小さく、でも確かに生きている。
「魔力を支配するな、息づかせろ。」
アルビーの低い声が導く。
リアは息を吸い、吐いた。
その瞬間、掌の内で光が生まれた。
小さな火の種。
震えるほどに脆い、けれど確かに命の色をしている。これを維持し、操らなければならない。
「そうだ。そのまま維持しろ。
だが、焦るな。炎は全てを喰らう――触れるだけでいい。」
リアは火を覗き込む。
橙の光が瞳に映り、風が彼女の髪を揺らす。
その光は、記憶の片隅を突く。
「私は……あなたを、壊すために燃えるんじゃない。
照らすために、燃えるの。」
小さな囁きが今日もまた風に溶ける。
炎が一瞬、嬉しそうに跳ねた。
その時――
ゴォッ!
突如、火が暴れ出した。
リアの掌から溢れ、周囲の空気を焦がす。
風が燃え、雪が蒸発する。
瞬く間に、訓練場が赤に染まった。
「リアッ!」
アルビーが駆ける。
彼の手から放たれた水が、炎を包む――が、蒸気が爆ぜて宙に散った。
リアの炎は、ただの魔法ではない。魂そのものだった。
「止めないで」
リアの声が響く。
その瞳は涙で滲み、それでも確かな意志が宿っていた。
「これは……私の心。大丈夫。あの日を受け入れた私なら!」
炎が形を変える。
爆発ではなく、舞う。
まるで花弁のように。
リアの周りを取り囲み、白い雪を金に染め上げていく。
アルビーは動きを止めた。
その光景に、目を見張る。
「……そうか。お前は――浄火か。」
呟く声が風に溶けた。
リアの炎は、ただ燃やすための火ではなかった。
破壊を越え、清める火。
雪の上に跪くようにして、リアが息を吐く。
その周りには焦げ跡ひとつなく、ただ暖かい静けさが広がっていた。
「……お兄様。」
声が震えている。疲労と、少しの恐怖。
アルビーはゆっくりと近づき、リアの肩に手を置いた。
「よくやった。
炎はお前の友となる。これからもきっと応えてくれるだろう」
リアは目を閉じ、微笑んだ。
火が消えても、そのぬくもりは胸に残っていた。
それは確かに、愛を知る炎だった。
アルビーが立ち上がり、淡く笑う。
「この世界は、凍るばかりでは生きられん。
だが――燃えすぎても、また死ぬ。
水で支え、炎で照らせ。相反するものを受け入れろ。」
「はい、お兄様。」
リアは頷く。
雪の空の下、ひとつの小さな火が風に揺れた。
その火はもう、消えない。
春の気配はもう、すぐそこに。
その春、ペンブルック領の雪は例年より早く溶けた。
まるで――リアの灯した火が、冬を焼き尽くしたかのように。
ついに春が訪れました。