報告行脚
雪解け水が雨樋を伝いこぼれ落ち、ポツポツと土の上に水たまりを作っていた。
私はしゃがみ込み、そっと指先を伸ばす。
「冷たい」
いくら日差しが暖かくなっても、まだ空気は冬の名残を手放さない。手のひらに小さな炎を生み出し、水溜まりの中にそっと入れる。
「よし……」
もう一度触れると、それは人肌程度の温度に温まっていた。
魔法を制御できるようになって一週間。毎日私は“火の調律“に勤しんでいた。
今までは極端だった。
雪すら蒸発する炎を出したかと思えば、風に吹かれ一瞬で消えてしまう儚いものもあった。
(一気に起こす方が簡単だとは)
目の前で最も容易く実演してみせたお兄様の実力を改めて凄いのだと実感する。
そっと立ち上がり、後ろで控えていたセーラに目配せをした。セーラも館の出入り口に控えていた従者に視線を送る。音もなく情報が伝わっていく。その流れるような所作を眺めながら、私は静かに歩き出した。
この約半年で令嬢としての動作が板につき動きも洗練されてきたように感じる。あの様子だときっとお父様の部屋の前に着くときには、訪れる事は伝わっているだろう。
上着を脱がしてもらい室内に上がる。最初は違和感だった室内での靴ももう慣れた。ローファーの様な音が規則正しく廊下に響く。大きく作られた窓から差し込まれる光が廊下を明るく包んでいた。
――緊張している。
普段全く目に入らない壁の模様、絨毯の模様。全てが目に入るほど私は緊張してる。
そうこうしているうちにお父様の部屋の前についた。
ついてしまった。手を伸ばし、ノックをしようとかざす。
動けない。緊張しすぎて動けない。肩が固まっている。
背後でセーラは小さく笑った。おのれ
一息ついてから、改めてノックをした。
お父様付けの執事がそっと開ける。確か名前はエドワード。苗字クックだったりしないかなあ。
机に向かって書類を見ていたお父様が顔を上げた。
「入れ」
そっと室内に足を踏み入れる。低くも落ち着いた声が部屋に響く。
(ここで日和ったら負け!)
真っ直ぐお父様の目を見据えた。綺麗な青。夜明けの部分を写し込んだような、深海を流し込んだようなお兄様とお揃いの青。
普段見慣れた綺麗な青は今日は少しだけ冷たく見えた。
「お願いがあり、参りました」
口をそっと開く。大丈夫。今日のために何度も頭でデモストレーションを重ねた。
「何様だ」
お父様の声が室内に満ちる。重圧にも似た静寂が部屋を支配した。いける、大丈夫。
「冬の初めに約束したことを覚えていますでしょうか」
そっと切り出す。大丈夫声は震えていない。
「視察の件か」
軽く頷き、続きを話す。部屋に差し込む窓の灯りがお父様の肩を照らす。
「魔法の基礎ができたことをここでご報告させていただきます。またお兄様から身を守るぐらいなら十分だとお墨付きをいただきました。
「その件はアルビーから聞いている。そうか…あいつが許可を出したか」
少しお父様は思案するように俯く。そして顔を上げると穏やかな表情でこちらを見つめる。
「今、ここで出してみることはできるか」
思わぬ言葉。室内で使うのは今まで避けてきた。だがそれを言うほどに私のことを信頼してくれているのだろう。
「何を、すれば?」
「炎を。リア、君が1番得意なものを」
知ってくれている、私が1番得意なものが。
嬉しい。
そっと手を重ねそして開く。まるで蕾が開くように手のひらに炎が咲いた。お父様は手のひらをそっと炎にかざす。
思わず消そうとしてのを目で静止された。
お父様の手が私の手を包み込む。大きくて暖かい優しい手。撫でることはあっても決して叩かない手。
「……いい炎だ」
満足そうに微笑む。その笑みに私は心の奥の方の緊張が優しく解けていく様な感じがした。
「怒りでも恐怖でもない。ただ柔らかく暖かい。人を灯すための火だ」
「それがずっと優しいだけでいられたらいいんだが……」
「えっ」
最後の呟きがよく聞こえなかったけど、お父様が笑ってくれたからいいや。なんとなくそんな気がする。
手のひらをとじ炎を消す。頭をゆっくりと撫でられる。
(嬉しい)
「よくやった。アメリア・ペンブルック。視察の同行を許可する」
認められた。認めてもらえた。その言葉が胸に響いた瞬間、頬が自然に綻ぶ。
大輪の様な笑みをこぼしていることに、父親のライオネルは満足そうに笑った。
お父様の部屋を辞したあと、お母様の部屋へと向かう。確か、今はおやつどき。
先ぶれを出さなくても大丈夫でしょう。少し気が緩んだのか部屋に響く足音が緩む。さっき見た日差しより数段、柔らかく見えた。
もうすぐ春がくる。私がここで過ごす初めての春が来る。 桜の知らない春が来る。
(耐えられるかな、日本人として)
春の訪れを桜で実感していた私にとって桜がないと言うことは春がわからないのと同義である。
(ただでさえ、ご飯が恋しいというのに)
こちらに訪れて以降ご飯の主食は全てパン、そもそもここには主食という概念がない。たまに家畜の頭丸ごと食卓に並ぶこともある。
しかも、脂っこい。最初は見るだけで胸焼けしたものである。
(豆、切実に豆が欲しい。豆腐も味噌も醤油も作り方わかんないけど)
少し遠い目をする。きっと豆を見つけたところで、加工できるのは遠い先の話になるだろう。なんだか外の雲の形が豆腐に見えてきた。
足音が少し不貞腐れたところで、お母様の部屋の前に着く。
先ほどの緊張はない。大きく振りかぶり、ドアをノックする。
お母様の侍女が開けてくれた。確か名前はイヴリン。苗字は確かロック。
もし、エドワードと結婚したら、
「イギリスの民主政治周りの人間が集まるな」
とそっと思う。そういえばピューリタン革命みたいなものは行われたのだろうか。
「いらっしゃい、リア、どうしたんです、そんな難しい顔をして」
よっぽど気難しい顔をしていたのか、表情を指摘される。少しイギリス史に思いを侍らしていただけだ。侍女相手に雑談していただろう母の前の机には、ケーキと紅茶が並んでいた。ちなみにここに来てからはいわゆる、アフタヌーティータイプの3段になっているやつは見たことがない。全部机に置かれている。最初は少し、残念だと思った。お母様の前の椅子をイヴリンに椅子を引いてもらい座る。最初は自分で座ってお兄様によく怒られたものだ。
「何も、ありませんわお母様。それより、突然押しかけて申し訳ございません。少しご報告したいことがありますの」
とりあえず、いの一番に謝罪を告げる。見るからにイヴリンと楽しいティータイム中だった。イヴリンとは旧知の仲らしいからほんとに母の憩いの時間に押しかけていた。
「構いませんよ、可愛い娘ですもの。それより報告したいことはなんですか」
親子といえ、屋敷が広いとそれぞれするべき事を果たす場所が違う。そうなれば食事の時間以外はほとんど顔を合わさない。親より、師匠剣家庭教師のお兄様の方がよく顔を合わす。
そんなことで自ら自分の部屋に顔を出した娘が可愛くて仕方ないようで。母の顔はいつもより数段柔らかかった。イヴリンが新しく入れてくれた」紅茶に口をつける。ミルクティーだ。
「実は次の領地への視察に同行できることになって」
「あら、視察に?それは……すごく早いのではないかしら」
母の目から見ても随分と早いらしい。少し怪訝そうな顔をする。そういえばお母様には何も伝えていなかったな。確かに私も早いと思う。なんせまだまだ5歳児だ。
「多分、お母様が思っているより浅い視察になると思います。今回はさらっと見て、回数を重ねるごとによく見ていく方針になると思います」
「そうね、あなたにはまだまだ早いところも多いしそれでいいと思うわ。少しずつ慣れていけばいい」
お母様は納得したように大きく頷いた。それからはたと何かを思いついたように顔を上げた。
「ねえ、リア。あなた馬に興味はないかしら」
「馬、ですか」
馬。馬である。記憶を取り戻す一端ともなった、馬である。そう言えば、あれ以来馬を見に行っていない。
というか、記憶を取り戻して以来どこにも行っていない。屋敷の中と、庭ぐらいである。
「実は、私の愛馬が子供を産んで、その子と会ってみてはくれませんか」
「そういうのはお兄様の方がいいのではないかしら」
「あの子はもう自分の愛馬がいるんですもの。新しい子を紹介するわけにはいきませんわ」
馬かあ。少し考える。あまり馴染みがない生き物だ。前世に至っては生で見たことすらない。ネットに乗っていた、某金船さんのコラで大笑いしていたくらいである。目の前の二つ目のケーキに手をつける。そろそろセーブしないと太りそうだ。
(馬ねえ…少し興味はある)
期待に満ちた母の顔に大きく頷く。私も馬に乗ってみたい。
「会ってみてくれるっていうわけでいいですね」
「はい、私も馬に乗ってみたいです」
母よもし、馬に剽軽な名前をつけたらごめんなさい。完全に馬のイメージが数億を紙屑に変えた馬なんです。
そろそろお暇しようと椅子から降りて立ち上がる。
「そろそろお兄様に報告に行っていきます」
「あら、もう行っちゃうの」
頷き、セーラに扉を開けてもらう。
「またお夕飯に会いましょう、お母様」
お母様がゆっくり笑い、手を振ったのを尻目に扉を閉めた。
西の空が金色に滲み始めていた。
大きな窓から差し込む光が、廊下の壁にゆっくりと沈み込んでいく。
私は廊下を進みながら、ずっと胸の奥がふわふわと浮いていた。ケーキ美味しかったな。馬のお誘い嬉しかった。
(……お兄様になんて言おう)
報告するのが嬉しくもあり、少しだけ怖くもある。
あの冷静沈着なお兄様が、どんな顔をするのか。
そして褒めてくださるだろうか。
扉の前に立つ。
黒檀の扉には、磨かれた銀の取っ手。
その重厚さがまるで、お兄様みたいだった。
ノックを三度。少し間を置いて、中からそっとお兄様自身の手で扉が開かれた。
「いらっしゃい、リア」
そっと微笑まれ、手を引かれ机へとエスコートを受ける。まるで一枚の絵のようだった。
引かれた椅子にできる限り優雅に座る。セーラは一礼しそっと去っていった。
「お兄様」
「どうした、リア」
私の声に、向かいに座ったお兄様がこちらを見据える。
深い海の色の瞳が、まっすぐにこちらを見た。
――その目に映る自分が、ほんの少し誇らしく見える。
「お父様に、報告してまいりました」
「……そうか」
「はい。視察の同行を、お許しいただきました」
一瞬、アルビーの眉がわずかに動いた。
驚きとも、納得ともつかないその反応。
やがて口元に、ごく小さな笑みが浮かぶ。
「随分、早かったな」
「お兄様が仰った通りに、炎の制御を練習しました。今ではもう、自在にできます」
「“自在”か。……それはまた、ずいぶん大きく出たものだな。だがよくやった」
皮肉めいた言葉なのに、不思議とあたたかい。そっと椅子から立ち上がり私の前に立つ。
ふっと視線をこちらに向け、手のひらを差し出される。
「見せてくれるか」
軽く頷き、掌を開く。
小さな炎がふわりと咲く。
紅とも橙ともつかない柔らかな光。
アルビーの瞳に、その光が映り込む。綺麗だ。
「……綺麗だ」
「ええ本当に」
くすりと笑われる。お兄様には自画自賛したように見えるのだろう。伝わらなくてもいい、だがとても綺麗だった。
微かにオレンジ掛かった瞳。お父様とはまた違う瞳。私はこの人に焦がれるように憧れている。
「リア」
「はい?」
「この力は、誰かを傷つけるためのものじゃない。守るためにある」
「わかっています」
アルビーは小さく頷いた。
そして私の頭にそっと手を置く。
それは、記憶の中と同じ手。まだ記憶を取り戻していない時に撫でてくれたあの手。
「よくやった。だが慢心するな。次に俺と訓練する時、今の言葉の意味を試す」
「……手加減してくださいね」
「それは、考えておこう」
イタズラっぽく微かに笑った。
次の訓練はきっと叩きのめされるのだろう。だけどあの時見たあの美しい魔法がもう一度見れるのならそれも悪くない。
「部屋に戻りますね」
「ああ」
一礼して部屋から出る。
外の空は、もうすっかり茜色に染まっていた。
燃えるような夕焼けを見上げながら、私はそっと拳を握る。
(私も――あの背中に並ぶんだ、絶対に)
もっと上達しないと。部屋の前で待機していたセーラを連れ、足取り軽く部屋へ向かった。




