雪解け
冬の空が鈍く光っていた。
だが確かに、気温は日にちに上がっていて、春の吐息がすぐそこまで迫っている。
吐く息は白く、地は凍てつき、静寂の中で息をする音だけが響く。
あの日以降、ことあるごとに魔力に語りかけ、少しずつ引き出していった。
できる。その確信を持ったはいい物の、あれ以来、魔法が発現することすらなくなっていた。お兄様に手を握ってもらった時のように、心臓の奥から滲み出る魔力を意思を持って体に巡らす感覚が消え失せてしまったのだ。冷たい雪の中に手を突っ込んでもただアカギレをするばかり。風は答えず、炎もそっぽをむいていた。
まるで補助輪付きの自転車に乗れど、補助輪を外すと一才バランスが取れないみたいになっている。
(補助がないと発現すらしないってどうにもならない!)
焦れば焦れど、魔力の流れすら掴めない。ただひたすらに感覚に縋る現状に苛立ちが積もっていく。
「もう!!」
癇癪一歩手前になっていることに慌ててベンチに座る。こういう時は深呼吸が1番だ。
ぼんやりと、空を見ていると風上に灰色の雲が見える。今日の練習はもうすぐで切り上げになりそうだ。
「どうすっかなあ」
そっと目を閉じる。確かに体に巡る魔力を感知はできる。だがそれを操る術がわからない。
ベンチで足を揺らしながら、考え込む。あまりの迷走っぷりに自分でも嫌気がさした。
「あら、リア。こんな寒い中どうしたんです?」
お母様であった。ここにはいないはずのお母様であった。微笑みながら私の横に腰掛ける。動き一つ一つがとても優雅だ。
「お母様。どうしたんです、急にいらして」
急に私の元に訪れた意味がわからず、問いかける。お母様はコテンと首を傾げながらイタズラっぽく微笑んだ。
「セーラから、あなたがすごく迷走していると聞き及びまして。何かアドバイスができればと思いましたの」
そっと手を取られる。改めて見るお母様の手は、貴族のご婦人とは思えないほどにゴツゴツしていて、ペンダコやよく分からない硬いところ、火傷跡やおそらく刃物でつけられた傷でいっぱいだった。手だけ見ればお父様の方が綺麗だ。
「一旦目を閉じてちょうだい。私があなたを引き出すから、少しずつそれを操ってみてほしいの」
軽く頷き、目を閉じる。お母様の手から魔力が伝わって行き、心臓の奥から溢れ出した魔力の道筋となる。
導かれるまま、魔力を動かす。
(この感じだ!)
全身に行き渡らせ、そのまま手のひらに集める。手のひらが軽く熱を持つ。柔らかく、暖かく、ゆっくりと花が咲くように炎が顔を覗かせだが一瞬で消えてしまった。
お母様の手はもう離れていた。
もう一度お母様が導いた場所を思い出し、ゆっくりとたどる。はぐれないように、離散しないように。
手のひらにが熱を持ちもう一度炎が咲く。再現性ができるまで、繰り返した。安定性出て、指先一つで3回咲くようになった頃には少し、体が汗で湿っていた。
「どうして、お兄様に教えてもらったときは上手くいかなかったのでしょう」
ポツリとつぶやいた私の愚痴にお母様は吹き出す。
「あの子は天才肌の感覚派ですからね。初めから無意識に理解し、一発成功させるだけで使いこなしていましたから」
苦笑しながらもお母様は話を続けた。
「まだ、あの子は人との関わりが少ない。あっても同じくらい魔力を練り、操るのに長けている人ばかりです。その環境にいると、できないのが理解できないのでしょうね」
「学園に入るまでには、矯正しなければならないのだけど」
「学園?」
頭の中を探る。あまり学園という言葉を聞いた覚えはなかった。
「あら、言っていませんでしたっけ。基本魔力が扱えるものが12で入るところなのだけれど」
「聞いてません!!」
一切聞いていない。明らかに重要そうなことなのに。
「なら、今のうちにちゃちゃっと言ってしまうわね。7歳になったら家庭教師をつけて、12歳で王立初等学院に入って、場合によっては15で高等学院に進学するの」
「詳しいことはおいおい教えてげるわね。さあ練習の続きに向かいましょう」
あっ逃げた。そう考えるほどに話を切り上げた、何か嫌な思い出でもあるんだろうか。
今は聞くべきではないと判断し、雪が降るまでの間、練習に心血を注いだ。
次の日、昨日の成功を糧に一つランクアップするため兄に頼み込み庭に来ていた。
リアの掌には、わずかな熱が宿る。
昨日以来から積み重ねているもの――彼女の本来の得意属性、炎。
「水は制御。炎は衝動だ。」
アルビーが言う。
白い息を吐きながら、手袋を外した。
その指先は凍えるほど冷たいのに、眼差しは凛としていた。
「覚えておけ、リア。
炎は心そのものだ。押さえ込もうとすれば、暴れる。
けれど、恐れず受け入れれば、燃やしたいものを選べる。」
「……燃やしたいもの、ですか。」
「ああ。守りたいもののために、燃やす力だ。」
彼言葉を思い出し、リアは両手を胸の前に掲げ、ゆっくりと目を閉じた。昨日と同じように心臓の奥から流れ出す魔力を操る。
冷たい空気の奥に、わずかな熱の鼓動を感じ取る。
それは――小さく、でも確かに生きている。
「魔力を支配するな、息づかせろ。」
アルビーの低い声が導く。
リアは息を吸い、吐いた。
掌の内で光が生まれた。
小さな火の種。
震えるほどに脆い、けれど確かに命の色をしている。これを維持し、操らなければならない。
「そうだ。そのまま維持しろ。
だが、焦るな。炎は全てを喰らう――触れるだけでいい。」
リアは火を覗き込む。
橙の光が瞳に映り、風が彼女の髪を揺らす。
その光は、記憶の片隅を突く。
「私は……あなたを、壊すために燃えるんじゃない。
照らすために、燃えるの。」
小さな囁きが今日もまた風に溶ける。
炎が一瞬、嬉しそうに跳ねた。
その時――
ゴォッ!
突如、火が暴れ出した。
リアの掌から溢れ、周囲の空気を焦がす。
風が燃え、雪が蒸発する。
瞬く間に、訓練場が赤に染まった。
「リアッ!」
アルビーが駆ける。
彼の手から放たれた水が、炎を包む――が、蒸気が爆ぜて宙に散った。
リアの炎は、ただの魔法ではない。魂そのものだった。
「止めないで」
リアの声が響く。
その瞳は恐怖で滲み、それでも確かな意志が宿っていた。
「これは……私の心。大丈夫。あの日を受け入れた私なら!」
炎が形を変える。
爆発ではなく、舞う。
まるで花弁のように。
リアの周りを取り囲み、白い雪を金に染め上げていく。
アルビーは動きを止めた。
その光景に、目を見張る。
「……そうか。お前は――浄火か。」
呟く声が風に溶けた。
リアの炎は、ただ燃やすための火ではなかった。
破壊を越え、清める火。
雪の上に跪くようにして、リアが息を吐く。
その周りには焦げ跡ひとつなく、ただ暖かい静けさが広がっていた。
「……お兄様。」
声が震えている。疲労と、少しの恐怖。
アルビーはゆっくりと近づき、リアの肩に手を置いた。
「よくやった。
炎はお前の友となる。これからもきっと応えてくれるだろう」
リアは目を閉じ、微笑んだ。
火が消えても、そのぬくもりは胸に残っていた。
それは確かに、愛を知る炎だった。
アルビーが立ち上がり、淡く笑う。
「この世界は、凍るばかりでは生きられん。
だが――燃えすぎても、また死ぬ。
水で支え、炎で照らせ。相反するものを受け入れろ。」
「はい、お兄様。」
リアは頷く。
雪の空の下、ひとつの小さな火が風に揺れた。
その火はもう、消えない。
春の気配はもう、すぐそこに。
その春、ペンブルック領の雪は例年より早く溶けた。
まるで――リアの灯した火が、冬を焼き尽くしたかのように。
ついに春が訪れました。
10月19日加筆修正。




