国家の神話
アメリアお勉強中。
朝から夜まで勉強漬けの生活を始めて、半年が経った。
セーラの献身的なサポートと、お兄様の指導のおかげで、私の頭は、この世界の言語と常識を完全に吸収していた。アルビーが教える侯爵家ならではの裏の意味や、セーラが補完する庶民の視点が、私の知識の土台を強固に築き上げていった。
私は今、侯爵家の図書館の一角で、レクシア皇国の歴史書を広げていた。半年間の地道な努力を経て、ようやく皇国史の難解な文章を、辞書なしで読み解けるようになったのだ。その歴史書は、一般的に流布されているものから、あまりメジャーではない類のものも、含まれていた。
リアの緋色の瞳が、蝋燭で照らされた羊皮紙の文字を追い始める。
始まりは、神話の時代。
神々が大地に人をつくり、人は争いあうところから始まる。俗に言う自然状態である。人々が理性を持ってもその争いは止まなかった。その最中、神々ですら争いを始め、その中には人と交わるものも出てきた。神と交わった人の子が使える奇跡の力、それが魔法となった。人々は魔法を使える者に、集まり幾つもの集団が形成された。それは後に古代魔術文明時代と呼ばれた。
その混沌の時代に、初代皇帝ルシウスが現れる。
彼は、女神に見初められ、その婿として迎えられた。女神の名はレクシア。変革と希望の女神である。女神は、夫に自らの血と魔力を与え、『進化と変革』こそが世界の理であると説いた。
「進化を拒むものは消え失せる。停滞は死を意味する」
女神の血と教えを受け継いだ初代皇帝は、魔力を制御し、混沌を打ち破り、レクシア皇国を建国した。侯爵家の理念である「理性による制御と進化」の源泉であった。皇帝に初めに集った三人の魔法使い。
水ペンブルック家、
地グラニテ家、
風のヴェンタス家であった。
それが今の侯爵家となった。グラニテ家はこの国の中でも、穏健派であり急速な進化に考慮の時間を与えていた。だがグラニテ家は300年前に崩壊している。そして今ある、唯一の公爵家それがベジリア家。お母様の生家である。ベジリア家はルシウス皇帝の長女が起こした家であり代々皇后を輩出している家でもある。
(ここまで読んでの感想は……いや、現代の神話の寄せ集めかよ)
である。脳内で、前の世界で適当に流し見していた歴史ドラマやアニメの映像がフラッシュバックする。王家の始まりは「人と神のロマンス」で、権威を支えるのは血筋であり、挙句の果てに「神々の喧嘩」がこの国の始まりとなっている。リアは深く息を吐いた。神話的で、非科学的で、だが、どれほど荒唐無稽でもこの国の骨組みであった。
この時点でうんざりするが、ここで教会が出てくる。お父様の頭を煩わしているアイオーン教会である。教団の歴史は700年前海を渡って渡来してきたところから始まる。
彼らが奉じる神は、王家の女神レクシアと激しく対立する存在であり、その教えは、「永遠と安寧」であった。教会は、王家の女神を表立って否定することはしなかった。国王の権威と女神への信仰に一目置いていたからだ。しかし、彼らは古代魔術文明の魔力大災害の悲劇を盾に取り、民衆に説いた。
「変化は破滅を招く。故に、現世の理を永遠に維持せよ。魔力による進化は危険な誘惑である」
教会は、巧妙な牽制により、皇家「進化」の実行力を少しずつ削ぎ、社会全体を硬直化させていった。侯爵家が密かに知識を集め、裏で研究を続けるしかなかったのは、この教会の強大な影響力によるものだ。
一度読み終え大きな伸びをする。お兄様からの指示で歴史を学ぶのは創世記とアイオーン教会がらみだけでとどめている。それ以降は7歳になった後、家庭教師をつけて本格的に学ぶそうだ。それ以外は小学生レベルの算数やら地理やら政治やら。前世とあまり変わらない部分もあるため早々と終わったのが本当によかった。
教会の理念についてもう一度読み解く。
(なーにが永遠と安寧よ。停滞したら便利になるものもならないじゃない)
(それにあなたたちは永遠でもいいでしょ。ご飯の保証はされてるんだから)
産業革命や文明開化の恩恵を受けていた元現代人としたら鼻で笑ってしまう。だが急速な発展についていけない人もいるのも事実だ。事実、教会は庶民の子供たちの託児所兼学校となっている。まあ子供は働き手なため普及率はそこそこどまりだそうだ。
(そういえば、えーちゃん元気にしてるかな。喧嘩別れしちゃったけど)
ふと前世の友人の名前を思い出す。母親がキャバ嬢で16で売りやって19でしゃぶ漬けになってサツに捕まったえーちゃん。よく高校サボって親がロクデナシ同士よく連んでたっけ。すいちゃんが自殺してからは会わなくなったけど。
(そういえばこの世界、家庭崩壊起こしている子たちってどうなってるんだろう)
連想ゲームのように思いつく。家族が全ての子供にとって、親が悲惨だと地獄を見るのは身にしみて実感している。今のリアにはペンブルック家という味方がいる。しかしこの硬直した教会の理のもとでは、かつてのえーちゃんのような「道筋から外れた子どもたち」は、この世界でも救われないだろう。
(よし、春になったら領地を見て回らせてもらおう)
かつての私は、無力だった。だが今は違う。何かを成すための力と権力がある。高々と振り上げた拳は決意の表れだった。
書き溜めが尽きてきました。