折れた命、救いの知恵
雨脚は昼と夜の境目を失わせるほど強く、正午の強い肌を焼くような日差しを何処かへ捨て去ったかのような寒さを感じる。
山道を歩く一人の若い僧は、破れた笠を滴る雨水を払いもせず、足元を見ながら黙々とただ前へと足を運んでいた。
肩にかけた荷袋は雨に濡れ重みを増して僧の肩に項垂れているようだった。
擦り切れた法衣の裾は冷たい風に煽られその体に貼りついている。
雨が木々にぶつかる音の激しさが増す。
風は山を下り頻りに行く手を阻むかの様に笠を煽る
そんな冷たい風に乗って獣の匂いと血の匂いが微かに鼻をなぞった。
僧が足を止め、顔を上げた。
近くの村の民だろうか?
こんな天気の中で輪を囲み道端で話し込んでいる。
少々気になり歩みを早め、近づくとそこには壊れた荷車とその積み荷が散乱し、野生の獣に荒らされたような跡がある。
周辺を見渡す、鬱蒼とした森の中遠くで鳴くヒグラシの声は聞こえるがクマや野生動物の気配はない
壊れた荷車の横に血にまみれたやや品の良い服を纏った男が横たわっていた。
男を見ると右足が不自然に曲がりおそらく足が折れているのであろう。それに左肩から左胸部のあたりまで獣に引っかかれたかのような裂傷が見て取れる。
男の顔は蒼白で息をしているが「うぅ....うぅ.....」唸るだけで意識は薄い。
「すまぬがどいてはくれぬか?」
僧は倒れている男の元へ駆け寄ると膝をつき、蓙を広げ革袋と腰に掛けた木箱を下す。
革袋の紐を解くと中から小さな革袋や竹筒がここで商売を始めるかのように広げられる。
乾いた葉を詰めた布袋、米ぬかを包んだ油紙、火打石と小刀、小鍋。
「まずは清めねば」
僧は腰から赤い紐で栓をされた瓢箪を開け小鍋に水を注ぎ、油紙を火口にし火打石を鳴らし、革袋から取り出した薪をくべ、湯を沸かした。
湧いた湯に布を浸し泥と血を拭き、青い紐で栓をした瓢箪を取り出し中の液体を傷にかけた。
手慣れた僧の姿にあっけを取られた村人が声をかけた。
「その今かけてる水は酒なのかい?」
「そうだ、傷口を酒で清めねば助かるものも助からなくなる」
黙々と僧は処置を続けた。
次に取り出したのはドクダミとユキノシタという薬草
※ドクダミは雑菌などによる炎症を抑えユキノシタは患部の腫れをひかせる効能がある。
僧はその葉を先ほど沸かした湯へ一度通しアルコールで手を洗いドクダミとユキノシタをすりつぶし、汁を滲ませ傷口へ貼っていく、その上から清い布を何枚か取り出し、傷口へ重ね縛る。
その上から米ぬかを糊状に練り、押さえとした。
「よし、裂傷はこれでよい。次は足だ。」
僧は裂傷の手当を終えると男の足に目を向けた。
脛の部分が不自然に曲がり布の裂け目から白く硬いものがうっすらと突き出している。
「これは......すぐに治療せねば」
僧は低くつぶやき倒れている男の袴を短刀で剥ぎ、見物してる村人たちに声をかけた。
「すまないが手伝ってくれ。この男の体をしっかり押さえてほしい。暴れても動かぬように」
すると倒れていた男がゆっくりと目を覚ました。
「あぁ、御坊様が見える俺は死んだのか........く、熊はっ!助けてくれ、足が折れてるんだ」
男は急に錯乱し騒ぎ出す。
「大丈夫だ、落ち着け、クマはいない」
僧はゆっくりと落ち着いた口調で話し、落ち着かせる
僧は小鍋を男の口元に運びゆっくりと白湯を飲ませ落ち着かせた。
「だめだ....俺はもう....歩けないっ!死ぬんだ...俺は....くそっ!触るな!早く楽にさせてくれ!」
鳴きながら男はわめき散らす。
「今この骨を戻さねば本当に歩けなくなる、いや、命すら尽きるぞ」
僧は男を必死に言い聞かせた。
「すまない、皆さんどうか協力してくれ、この男を助けたいんだ」
僧は興奮する男を押さえつけながら村人たちに再度頭を下げた。
「御坊様がここまで一生懸命なんだ助けなけりゃ極楽へ行けなくなるな」
村人たちは怖がる男を慰めながら押さえつける
「ありがとう」
僧は感謝の言葉を伝えると男の脚を持ち上げ、呼吸の合間を狙って力を加える。
「ゆっくりでいい、息を吐け、落ち着け、大丈夫だ.....必ず歩けるように助ける.....」
「今だっ!」
骨がゴリっ音を立てて戻り、男は喉を裂くような絶叫を上げた。
僧はすぐに赤い紐で栓をした瓢箪から水を布に浸し幹部に当てる。
「これで腫れを抑える」
骨が突き出ていた幹部にも先ほどと同じように酒で消毒しドクダミとユキノシタを貼りつけ布を巻き止血する。
次に竹を割り、足の両側に添わせるように添え木とし、縄で縛るのではなく布と干し草を緩衝材とし、圧迫しないように膝から足首まできれいに編み上げた。
「指を見よ」
僧は男の足の指を押して血色を見る。
白くなったがすぐに赤みを取り戻すのを見て「ふーっ」と息をつき、頷いた。
「よし、血は通っている、これならばまた歩けるようになる。命も落とさずに済むはずだ」
男を押さえていた村人たちが歓声を上げる。
「生きれるのか?俺は....。死んだかと思った.....もう歩けぬのかとも....終わりかと思った」
言葉は途切れ途切れで声はかすれている。
「ここでは雨で体力をなくす、村人の皆様、どうかこの者が泊まる小屋をお貸しいただけぬでしょうか」
僧が村人へ頭を下げる
「えぇ、うちの納屋がちょうど空いております。どうぞ遠慮なくお使いください」
初老の優しそうな男が声を上げてくれた。
「では皆で参りましょう」
怪我をを負った男を戸に乗せて近くの村へと運んだ。
村へ向かう道中に先ほどより顔色がよくなった男が僧に声をかける。
「御坊様のお名前をお聞きしておりませんでした。よろしければお聞きしてもよろしいでしょうか?」
運んでいる村人たちも息を呑み、その返答に耳を貸す。
「........宗庵と...申す」
すこし気恥ずかしそうに名乗る
「宗庵様、この度は助かりました、私は旅商人の五郎左と申します。この御恩は決して忘れません」
五郎左は涙を流しながら声を絞り出すように話した。
ぽつぽつと和らいだ雨の中、村人たちはただ「命を拾う」瞬間を目の当たりにしたのだった。