No.1「追放」
ドン、と大きな音を立てて薄汚れた麻袋がテーブルに置かれた。結構大きな音に感じたが、この酒場の喧噪に比べればかわいいものだ。遠くのテーブルで、振り向きざまにゴブリンの首を一刀両断したという武勇伝が聞こえてくる。ゴブリン程度で楽しめているようで何より、と心の中で少し苦笑いした。
「アレックス。お疲れ様。」
「ジーク…これは?」
俺は不思議に思いその袋を見つめる。ジークは、おそらくわざと聞こえるように、大きく舌打ちをした。
「”お疲れ様”。今まで、そしてこれからの給料だよ。」
「…?どういう事?」
彼の言い回しの意図が分からず、 頭をかしげてまたも聞き返す。最初に袋を置いた時より強い、ドン、という音がテーブルで鳴った。
「まだ分かんねぇのか?お前はクビって事だよ!!」
真っすぐ俺の目を見てジークは声を荒げる。何の前触れもない敵意に、俺は怯んだ。
「そ、そんな事って…冗談だよな?」
「冗談でこんな金突き出すと思うか!?」
ジークの語調がどんどん強まる。荒くれものの集まるこの酒場ですら、静まる事は無いにしろ、俺たちを横目にチラチラ気にする奴が現れ始めた。
「お前、いつまで俺たちに寄生するつもりだよ!?」
「寄生って何だよ…俺だってちゃんと働いてるだろ?」
訳が分からなかった。何かの間違いだと思った。何かって何だよ、と思うが、そんなことを気にしていられるほど、俺は冷静ではなかった。
「働いてる!?…何言ってんだ、ヒーラーのお前が何をしてるっていうんだ?」
ジークの顔色が変わった。怒りではない、軽蔑の顔だ。
「何をしているって…毎度毎度ちゃんとバフかけてるだろ、前線に出ない代わりにできる事を探して貢献しようとしてるじゃないか!」
徐々に熱がこもり、理不尽に対する怒りがこみあげてきた。
「大体表面しか塞がっていない傷だって俺は筋線維単位で治療してるし、俺がいなければ…」
「もういい!!」
騒がしかった酒場が、シーンとなった。誰もがジークを見ている。いつも気さくな態度でクエストを斡旋してくれるマスターも、入ったばかりで慌ただしく床板に躓きながらオーダーを聞いて回る看板娘も、本当に表社会の人間なのかと疑われそうな人相の悪い戦士連中も、みんな。
「出ていけ。お前をパーティから追放する。」
ジークの目を見た。また顔色が変わっていた。こんな顔色の変わる彼は初めて見たかもしれない。怒りでも、軽蔑でもない。憎しみの色だった。
首都オデッセイ。その繁栄にも関わらず、緑が豊かな都市として有名である。俺の自宅の周りも、そんな豊かな緑と清涼な小川の流れに強く惹かれて買った家だ。Sランク冒険者パーティ”銀翼の黄金竜”の一員である事は俺にとっての誇りであり、また生活の要でもあった。Sランクパーティともなれば、家を買う事だって容易い。ローンだって二つ返事で組める。ローンは、まだ5年、残っている。
「寄生、ね。」
年甲斐もなく小川の畔に座り込み、焦点の合わない目で清らかな流れを見つめていた。今年で俺は…27だっけ。年齢すら曖昧で、自分ではハッキリ思い出せない事に気付いた。きっとジークなら、即答できるんだろう。
「…本当に、あのまま抜けてきてよかったのかな。」
たまにこうしているように、両手を投げ出して寝転がる。綺麗に刈り取った芝は、いつものように俺を優しく受け止めてはくれないように感じた。
俺はあのまま、何も言えずに席を立った。おぼつかない足取りの俺の背中へ、ジークの投げた麻袋がぶつかり、俺が倒れると同時に麻袋の中身が飛び出す。中には二束三文にしかならない銅貨が、ぎゅうぎゅうに押し込められていた。金貨どころか、銀貨2枚にすらなるかどうか怪しい。それを見て我慢できず、弾かれるように俺は走り出した。「寄生虫が」みたいなことを、背中で聞いた気がする。それはジークが放った言葉なのか、メンバーのメアリー、ルビィのどちらかが言っていたのかすら分からなかった。彼女たちは、冷めきった目で俺を見るか、あるいは興味なさげにメニューに目を通していたような気がする。だが、もうそんなことは関係ない。俺は銀翼の黄金竜を抜けたんだ。寄生という、謂れのない言いがかりで。
「んー…何をしようかな。」
何だか、立ち上がる気力も無かった。こんな明るいうちに、こんなゆっくりしているのは久しぶりだ。小川のせせらぎを聴きながら、木々を飛び回る小鳥たちを眺める。こんなにも清々しい景色なのに、俺の呼吸は荒くなり、手足は震え、喉の奥が渇いた。
「アレク、さん…」
女の子の声がする。だが、それが自分を呼ぶ声だと理解するには少し時間がかかった。俺を呼んでいる事が分かっても、右、左、どちらから呼ばれたか分からない。何だか頭に致命的なラグが発生している。何だか現実感が無さ過ぎて、逆に笑えてきた。
「あの、大丈夫、ですか…?」
心配そうに彼女は問いかける。頭だけ右に向けると、そこに立っていたのはさっき酒場で忙しそうにしていた看板娘だった。えっと、名前は、何だっけ。
「あ…ローラ?」
そう、ローラだ。本当にローラで合ってるか?意識はハッキリしているはずなのに、風邪を引いた時のように頭がぼんやりとする。そっと頭に手を当て、霞みそうな意識で治癒術をかけた。…思った通り、何一つ変わらなかった。
「隣、いいですか?」
ローラは少し勇み足で、俺の倒れている横に距離を取って座った。丁寧に薄緑色のスカートを足に沿わせ、注意深く芝の上に座る。動きやすいよう後頭部にざっくりと結ばれた真紅の髪は、彼女の白い肌をより際立たせるように落ち着いた色をしていた。少々適当さを感じる結び方にも関わらず、その髪はさらさらと綺麗に風に揺れている。
「…本当に大丈夫ですか?お返事、できます?」
明るい表情を僅かに曇らせ、心配そうにこちらを振り返る。そうか。事態の認識に必死で、俺は一言もローラに返事をしていなかったんだ。
「あ、あぁ…ごめん、急に君が来たもんだから。大丈夫、だと思う。多分。」
そう話しかけ、俺は笑う。はたして俺はちゃんと笑えているのだろうか。その顔を見て、彼女は余計に不安そうな顔をしてしまった。
「大丈夫には見えないですよ。まさか、アレクさんが追放されるだなんて…」
彼女はとても悲しそうな顔をしている。この川に腰掛けたように、また俺は現実逃避をしようとしていた。川を眺めているのも、現実から目を背けるためだ。そして今彼女の悲しそうな顔を見て、こんな顔をしたローラを見たことが無い。やっぱりこれは現実じゃないんだ。そう確信…したがっていた。だから、彼女が四つ足で近付いて来たのを見て、目を背けた。知らない表情だが、間違いなく目の前のローラは、現実のものだったから。
「…大丈夫だよ。気にするなよ。」
涙は出なかった。ただただ、何で?で頭がいっぱいだった。俺は、戦闘が始まる前にパーティにできる限りのバフ、つまり身体強化の魔術をかけた。治癒術は身体の構造への理解を深める必要がある関係で、魔術的よりも身体的な増強と親和性が高い。あまり強化魔術は学習しては来なかったが、治癒術を習得する過程で自然と“治す“事と“強める“事の類似性に気付き、副次的に強化魔術を編み出すことに成功したのだ。それを惜しむことなく彼らに使った。彼らには、感謝されたことは一度も無かったな。
「気にします。誰よりも銀翼の黄金竜に貢献していたのは、アレクさんのはずなのに。」
ローラはゆっくりと、それでいて躊躇なく俺に近付く。やめてくれ。
「君には関係の無い事だろ!」
振り返り、思わず叫んでしまった。彼女は大袈裟なまでにビクッと身体を震わせ、固まってしまう。彼女は俺に手を差し伸べていた。余計彼女の意図が分からない。訳が分からず見つめていると変に冷静になり、それとはまた関係の無い違和感に気付く。
「小指…どうしたんだ?」
「え?」
彼女の不思議そうな顔が俺には不思議だった。彼女の小指は、不自然に垂れていた。まるで後から取ってつけたかのように、意思とは関係なく勝手に動いているかのようだ。
「あぁ、右手の小指ですか?ずっと昔からなんですよ。」
本当に、その小指の事は日常になってしまっているらしい。俺たちへのオーダーミスに気付いた時より、薄い反応だ。
「筋肉が切れちゃったみたいで、動かせないんです。切断寸前で、表面の傷だけは治ったんですけどね。…でも、今はそんな事どうでもいいんです。」
俺はどうしても気になり、その指から目を離せなくなった。確かに見た目はとても自然だ。壊死しているわけでもないし、傷跡も残っていない。だからこそ、その指には強い違和感を覚えざるを得なかった。
「…あの、アレク、さん?」
確かに彼女が配膳をしている時、違和感は感じなかった。だがそれは見た目の自然さで誤魔化しているだけだ。こんなの治療と呼んでいいのだろうか。
「アレクさん?目が怖いですよ?」
視線の先にローラが割り込んでくる。そこで彼女の小指を見て、我を忘れかけていた事に気付く。そして、彼女の言葉で、彼女の小指を繋げた治療師に対し僅かながら反感を抱いている事に気付いた。
「あ、いや、ごめん…ひどいな。こんな中途半端な繋げ方するなんて。」
「え?繋げ方?」
「君の指。こんな見た目だけ繋げても意味が無いじゃないか。」
何かまずいことを言ったのだろうか。彼女は少しだけ、俺に敵意を向ける。
「そんな事言わないでください。この指を治してくれた先生は、女の子だからせめて形だけでも綺麗に、って頑張ってくれたんです。だから…」
彼女が言い切る前に、我慢できなくなり、俺はその手を取る。
「ちょ、ちょっと!?アレクさん!?」
静かに彼女の小指をなぞる。彼女の血管が、筋繊維が、骨髄が、頭の中にイメージとして流れ込む。時間にすれば一瞬だっただろう。だが俺は膨大な集中力を使い、一本一本、丁寧に筋肉を、神経を、繋ぎ合わせる。俺としては簡単な事だった。そのヴィジョンとして浮かんだ切断された繊維が、どことどこが繋がっているのか、色分けされているようにハッキリと繋がりが分かる。だが、簡単な事と楽な事は違う。この作業はいつでも神経を使い、疲労を伴う作業である事は間違いない。
「…アレクさん?何を、したんですか?」
終わった。彼女の神経、筋繊維、全て繋いだ。さすがに長期間経過しているだけに繊維系は癒着し、一度断面を切断して接続し直す必要があり、少し骨が折れた。だが、骨も折れてないし、表面は綺麗に繋がっていたおかげで、そこまで致命的な失敗をしかねない要素は無かった。
「…治したよ、君の小指。」
「はい?いやだって、治せる傷じゃ…」
ローラは、何を言ってるか分からないといった顔で、自分の手を眺める。
「嘘…そんな事って…」
彼女の目に、少しずつ涙が浮かぶ。そんな彼女を見て、俺の目にも涙が浮かび始める。
「すごい…すごいですよ!こんなの、奇跡じゃないですか!アレクさん、こんなにすごい人だったなんて!」
「そう?やっぱ俺って、すごい?」
笑顔をたたえながら涙を我慢し、彼女に問いかける。
「こんな事できる治療師さんなんて見た事ないですよ!」
「そうだよな…俺、すごいよな?」
もう、限界だった。彼女の前で泣きたくなかった。だから来ないでほしかったのに。
「なんで!こんなに役に立つはずなのに!こんな事できる人他にいないのに!何で俺が追放されるんだよ!!」
俺は地面を拳で叩く。土に埋まった枯れ木が、石が、俺の手を傷つける。こんな些細な傷も、今は治す気になれなかった。




