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 放課後の校舎裏は、日が沈みかける静かな時間だった。空は茜色から深い藍へと変わりゆく中、遠くで虫の声が響き始めている。翔は約束の場所に着くと、ゆっくりと息を吐きながら腕時計を確認した。


 手のひらは冷や汗でしっとりとし、心臓は胸を叩くように高鳴っている。これまでの経験が心の奥底でざわつく。孤独に閉ざされた日々の傷が疼き、胸の内で何度も「怖い」と囁く。


「美琴は本当に待ってくれてるのか」

「もし嫌になったらどうしよう」


 幼い頃から続くこの恐怖感は、簡単に消えなかった。小学校の時、クラスで輪に入れず、休み時間はいつも一人で過ごしていた。誰かに声をかけられても、過去の裏切りが頭をよぎり、心を閉ざしてしまった。


 中学に上がっても状況は変わらず、友達作りに苦労し続けた。何度か近づこうとした相手に嘲笑されたこともあった。そんな過去の記憶が、今でも心の中で黒い影のように居座っている。


 しかし、今は違う。

 目の前には笑顔の美琴がいる。彼女の存在は、あの日々の痛みを少しずつ薄めてくれる灯火だった。


 遠くから近づく足音が聞こえ、ついに美琴が現れた。彼女は少し緊張した様子で、でも優しい笑顔を向けてくる。


「ごめんね、待たせちゃった?」


 彼女の声は、まるで春の陽だまりのように柔らかく、翔の胸の中の不安を少しだけ溶かした。


「いや、俺も今来たところだから」


 翔も自然と笑顔を返し、二人は肩を並べて歩き出す。冷たい風が頬を撫でるが、美琴の隣にいる安心感で寒さを忘れていた。


「ねえ、今日は一緒に図書館に行かない?」


 美琴の提案は、翔の胸に新たな期待を芽生えさせた。


「うん、行こう」


 二人の歩みはぎこちなくも確かで、やがて静かな図書館の扉をくぐった。


 中に入ると、静寂と本の匂いが二人を包み込む。翔はしばらく美琴を見つめ、彼女が自分に向ける純粋なまなざしに胸が熱くなるのを感じていた。


「翔くん、前に言ってたこと、もっと話してくれない?」


 その言葉に、翔の胸は一瞬不安でいっぱいになった。話したいけど、また傷つくのが怖い。


 それでも美琴の真剣な目に見つめられ、翔は覚悟を決めた。


「昔はね、誰かと仲良くなるのが怖かった。傷つくのが怖くて……」


 言葉は震え、途切れがちだった。心の奥に閉じ込めてきた孤独を吐き出すのは、思った以上に怖かった。


 けれど、美琴は黙って頷き、そっと彼の手を包み込んだ。


「翔くん、わかるよ。怖い気持ち、私も知ってる。だけど私は、翔くんのそばにいるから」


 その一言に、翔の心はじんわりと温かくなった。長く凍りついていた心が、ゆっくりと溶け始める。


 図書館の静けさに包まれながら、二人は机に向かい合って座った。

 広げたノートや教科書よりも、お互いの存在の方が気になって仕方がない。

 翔は何度も視線を下げたが、美琴の表情がふと目に入るたびに胸が熱くなる。

 美琴もまた、彼を見つめ返して微笑む。二人の間に流れる空気は、言葉がいらないほど温かかった。


 時間が経つと、翔は勇気を出して口を開いた。

「……もっと、いろんなことを一緒に経験したい。怖いけど、君とならできる気がする」


 それは、彼にとって大きな告白に等しかった。

 傷つくかもしれないという恐怖を押しのけて出した言葉だった。


 美琴は驚いた表情を見せたが、すぐに柔らかい笑みに変わり、そっと翔の手を握った。

「私も同じ気持ち。翔くんとなら、どんなことでも大丈夫だよ」


 その瞬間、翔の胸に温かな光が差し込んだ。

 今までずっと抱えてきた孤独が、少しずつ薄れていくのを感じる。


 帰り道、街灯が二人の影を長く伸ばしていた。

 風は少し冷たいが、心は不思議と温かい。

 美琴は小さな声で呟いた。

「これからも、ずっと一緒にいようね」


 翔は立ち止まり、美琴の目を真っ直ぐ見て頷いた。

「うん、約束だ」


 その返事には、過去の傷を乗り越えようとする強い決意がこもっていた。


 ⸻


 数日後、翔は放課後の帰り道を一人で歩いていた。

 美琴と過ごす時間が当たり前になりつつある自分に気づき、胸の奥で不思議な感覚が広がる。

「昔の俺なら、こんな気持ちになれなかった」

 そう思いながら歩いていると、ふいにあの孤独だった日々がよみがえった。


 教室の隅で俯いていた自分。

 話しかけてきた誰かを、疑ってしまって拒絶した自分。

「また裏切られたらどうしよう」

 そう考えて、誰も信用できなくなった日々。


 でも今は、違う。

 翔はスマホを取り出し、美琴とのメッセージを見返す。

「今日はありがとう。また会おうね」という短い言葉が画面に並ぶだけで、胸が温かくなった。

「美琴となら、もっと強くなれる」

 その確信が、翔を前に進ませていた。


 ⸻


 夜、自室の窓辺に立つと、空には無数の星が輝いていた。

 翔は深呼吸し、夜空に向かってそっと呟く。

「これからも……一緒に」


 それは誰にも聞かれていない、けれど確かな決意の言葉だった。

 過去の孤独はもう、彼を縛る鎖ではなくなりつつある。

 代わりに今、彼の中には一つの願いがある。

「美琴と過ごす未来を大切にしたい」

 その願いは夜空の星のように、静かに、そして確かに輝いていた。


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