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温もりに

 封印儀を終えた後、アヤはその場で力尽きるように倒れた。

 魔核の死滅を確認した直後、張り詰めていた緊張が途切れたかのように意識を手放したのだ。


 レグニスは、彼女の身体を支え抱きかかえる。


「……アヤ」


 その名を呼ぶ声は限りなく優しく、かつ苦しげだった。

 彼女の額に汗が浮かび、手のひらは魔力の枯渇により冷たくなっていた。

 レグニスはそっとその手を取り、手の甲に静かに唇を触れさせる。


 「ありがとう……君の命が……守られて、本当に……よかった」


 ぼんやりとした意識の中で、アヤはかすかにその姿を見ていた。彼女の瞳には、疲れ切ったレグニスの横顔が映っていた。


(レグニス……)


 そのままアヤは深い眠りについた。


──二日後──


 アヤが目を覚ましたのは、特別塔の回復室だった。

 天井に吊るされた魔力灯の光が揺れている。目覚めた直後の身体にはまだ力が戻っていないが、意識ははっきりとしていた。


「……ここは……」


 傍にいた王国側近の女性がほっとしたように息を吐いた。


「アヤ様……ご無事で何よりです。今はまだ.....少しでも動くのは控えてください」


「ありがとう。でも……レグニスは? 彼は?」


 その問いに、側近はわずかに目を逸らした。


「レグニス様は……現在、公務でお忙しく、しばらくお会いすることは難しいかと……」


「そう……」


 アヤは言葉を飲み込み、それ以上は聞かなかった。だが、彼女の内には微かな違和感が浮かぶ。


(……公務? 封印の直後に?)


──数日後──


 王城内では奇妙な空気が流れていた。

 アヤが廊下に姿を見せると、側近たちは会釈こそするものの、すぐに視線を逸らし、その場を離れる者すらいた。


 「……これは、変ね」


 アヤの胸に、不安が広がっていく。彼女はついに、リュシアン=ヴァルゼイルの元を訪ねた。


 書庫の奥で書類を整理していたリュシアンは、アヤの姿を見ると眉をぴくりと動かした。


「アヤ殿……お目覚めとの報せは受けていたが、随分と早く動けるようになったものだな」


「リュシアン。単刀直入に聞くわ。レグニスは、どこにいるの?」


 その声は冷静で、しかし一分の隙もなかった。


「……彼は現在、静養中だ。……だが、そのことを君に伝えないようにと、レグニス殿下から厳命されていた」


「静養……ってことは、やっぱり……! あの封印で……彼も」


 リュシアンは口をつぐむ。

 アヤの瞳がわずかに潤んでいた。


「どうして……どうして黙ってたの? 私、彼のこと……」


「それでも、彼は“君には見せたくない”と思ったのだ。君にまで心配をかけたくない、と」


「……それは、優しさじゃない。ただの独りよがりよ」


 アヤはリュシアンの制止も聞かず、その場を走り去った。

 医療のことならどの部屋でどのような処置だ出来るか熟知している。

 (きっと.....あの部屋)

 


──王宮・回復の間──特別室


 厳重な結界が張られ、誰もが立ち入りをためらうその部屋の扉の前に、アヤは立っていた。


 戸口には数人の近衛が立っていたが、アヤの気迫に押されて誰一人止めることができない。




 アヤが扉を開けると、中央の広いベッドに静かに横たわるレグニスの姿があった。

 彼の顔色は蒼白で、額にはうっすらと汗がにじんでいる。


 「……レグニス……」


 アヤは静かに彼の傍に膝をつき、その手をそっと握った。


 彼は薄く瞼を開けた。


 「……来るなと……言ったはずだ」


 その声はかすれていた。


「でも、来たわ。だって私は……あなたの隣にいたいから」


 レグニスは、かすかに笑った。


 「君には……勝てないな」


 彼の指が、アヤの手を握り返す。


 「……少しだけ、そばにいてくれ」


「ええ、いくらでも……いくらでもいるわ」


 その時、ふたりの間にあったのは言葉ではなかった。

 互いの体温と、互いを想う気持ち——それだけが、確かにそこにあった。



 (私はもう、あなたを一人にはしない……絶対に)

 

 

 アヤは、そっとレグニスの寝台の端に腰を下ろし、彼の隣に静かに身体を寄せた。

 手を握ったまま感じるその体温は、信じられないほどに低い。


 (……やっぱり。冷たい……)


 凍結魔術を極限まで使用した代償は、魔核だけではなく、彼自身の身体にも確実に及んでいた。

 封印の瞬間、彼は限界を超えて魔力を注ぎ込み、竜の魔核を完全に凍結させた——そのために、彼の体内からは、熱がほとんど奪われてしまったのだ。


 それは、アヤに予測できていた。確証はなかったが......。

 レグニスは何も言わなかった。自分を心配させまいと、あの時も、目を合わせてただ静かに「任せろ」と微笑んだだけだった。


 (でも……レイ。私は、もうあなたのそばにいるって決めたのよ……)


 アヤの指先が彼の頬に触れる。冷たく、まるで氷そのもののような肌。

 部屋の温度は、看護的に言えば「加温室」と呼ばれるほど高く保たれていたが、それでもなお、レグニスの体温は上がらない。

 彼の呼吸は浅く、唇は蒼白に染まっていた。


 (これでは、まるで……雪山で遭難した人と同じ状態。深部体温が下がりすぎて、内臓の働きも鈍ってきてる……)


 脳裏に蘇ったのは、前世での記憶。

 冬山登山で意識を失い、搬送された患者のケアをした時のこと。

 何より危険なのは、冷えた血液が再び心臓へ流れ込む“リワーミングショック”だ。

 加温の仕方を誤れば、心停止を引き起こす。慎重さが求められる。


 (温めなきゃ……急激じゃなく、ゆっくりと。……でも、確実に)


 アヤは決意すると、ゆっくりと上着に手をかけた。

 余計な遠慮をする時間など、今はない。これは医術士としての行動であり、命を守る者としての本能だ。


 衣服を脱ぎ、彼の胸にそっと自らの身体を預ける。

 肌と肌が触れた瞬間、アヤの体温が、じんわりと彼の冷え切った皮膚へ伝わっていった。


 レグニスの眉がわずかに動く。

 意識の奥で、彼は何かを感じ取った。


 (……アヤ……?)


 心の中にその名が浮かび、かすかに身体を動かそうとしたが、思うように力は入らない。

 そんな彼の耳元で、アヤが小さく囁いた。


 「人肌で温めないと……冷たい血液が、心臓を止めてしまうの。だから、レイ……少し我慢してね」


 柔らかい声。あたたかな声。

 耳の奥にその響きが残り、彼の緊張した身体から、すこしずつ力が抜けていった。


 (ああ……アヤ……君は……)


 何かを言いたかった。感謝の言葉か、それとも謝罪か。

 だが、それを言葉にする前に、彼の意識はゆるやかに眠りへと沈んでいった。




 それは、安らぎに包まれた深い眠り。

 温かさの中で、レグニスの魔力の核は静かに回復を始めていた。

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