過去との違い
魔術研究特別塔を後にし、封印の間へと向かう直前の夜。
誰もいない回廊に、月の光が差し込んでいた。
アヤとレグニスは並んで歩いていたが、ふとアヤの足が止まる。
「……レイ……」
その声は、静かで、どこか震えていた。
「ん?」
立ち止まり、レグニスが振り返る。
アヤは視線を落としたまま、そっと呟いた。
「……レグニスは……アイシャのことを……どう、思っていたの?」
その言葉に、自分でも驚いたのか、アヤははっとして頬を紅く染め、慌ててレグニスから目をそらした。
(……って、何を……聞いてるの? 私……)
彼女はそっと背を向け、肩をすぼめるように立ち尽くす。
その背後から、レグニスは静かに近づき、優しく彼女の肩に手を置いた。
「……俺が想っているのは、アヤだけだ」
その低くも穏やかな声に、アヤの肩がピクリと動く。
そして、ゆっくりと——レグニスの両腕が、アヤを後ろから包み込むように抱きしめた。
「アイシャへの想いは……前王の感情だ。……俺ではない」
アヤは驚きながらも、その腕の温かさに身を預けていった。
「記憶を受け継いだ時に、確かに感情も流れてきた。けれど……それだけだ」
レグニスはゆっくりとアヤを自分の方へと向き直らせ、彼女の目を見て、静かに微笑んだ。
「俺は……アヤしか見えていない」
その言葉と共に、そっと額に口づける。
「レ……レグ……レグニス!」
アヤは顔を真っ赤にし、思わずレグニスの胸元に顔を埋めた。
(は、恥ずかしくって……顔……見れないよ……!)
鼓動が速くなるのを感じながら、彼女は小さく深呼吸を繰り返した。
レグニスはそんな彼女を優しく抱きとめたまま、静かに夜空を見上げた。
「……大丈夫。君が望むなら、俺は何度でも誓おう」
その言葉は、月明かりよりも静かに、けれど確かに、アヤの心に届いていた。
──封印の間──
塔の奥深く、かつて封印の儀が行われた空間。
古の術式が刻まれた環状の石床、魔力の流れを導くように天井から差す淡い光。沈黙に包まれたその場に、アヤとレグニスは再び足を踏み入れた。
二人が結界の中心に立つと、空気がわずかに震え、中央の祭壇が青白く光を帯びて浮かび上がる。
「……来たか」
静かな声が響いた。
祭壇の上に姿を現したのは、語り部だった。黒と銀の衣を纏い、面差しはどこか人間離れしているが、どこか懐かしさを感じさせる穏やかな表情をしていた。
「今度は、歴史をなぞるためではないな」
レグニスが一歩前へ出て問う。
「封印の儀式について、過去の方法、そして……なぜ魔核が生き延びたのか、その真実を教えてくれ」
語り部はゆっくりと頷き、手をかざす。
空間に淡い光の帳が揺れ、かつての封印の様子が再現される。
そこには、巨大な魔核を前に、かつての魔王と、アヤの前世であるアイシャが対峙していた。
「……これは……」アヤが息をのむ。
「当時の魔王とアイシャは、互いに最も強い魔力を持っていた。しかし、どちらも『自分が犠牲になればよい』と考えていた。共に力を合わせることなく、交わることもなく、片方が凍結、もう片方が封印と役割を分断してしまった」
語り部の声音には、静かな怒りと哀しみが宿っていた。
「凍結は不完全だった。魔王の魔力では魔核の中心まで届かず、核の奥に潜んだ魔素が微かに活動を残していた。それが、長い年月の後に再び目を覚ましたのだ」
「……じゃあ…………失敗だったのね……」
アヤがつぶやく。
「いいや、それが最善だった。ただし、それは“共にあらず”の最善。だが今、君たちは違う」
語り部は二人に視線を向ける。
「その手を取り合い、力を重ねられる存在だ。二人ならば、あのとき果たせなかった真の封印が可能となる」
アヤはレグニスの方へ顔を向けた。レグニスもまた、彼女を見つめていた。
「アヤ、俺に力を貸してくれ」
その声は静かで、しかし決して揺るがない決意に満ちていた。
「えぇ……私にもあなたの力を貸して!」
二人は互いの手を強く握り合う。
結界の中心が輝き、外界に保管されていた凍結飛竜が空間転移によって現れた。
巨大な竜の姿、その体内に潜む魔核が再び目の前に現れる。
アヤとレグニスの前に設置された複合魔法陣が光を帯び始めた。
「魔核、転送完了。安定位置、封印陣中央」
レグニスが前へ出て、右手を高く掲げた。
氷の魔素が天井から降り注ぎ、床の魔方陣へと流れ込んでいく。
「〈極寒の律〉──凍結領域、発動」
空間の温度が一気に下がり、竜の体表がさらに深く凍結されていく。
アヤもその背後から、両手に魔力を込める。
「〈熱圧照射〉──対象、魔核中枢。温度上限、250度設定……照射開始」
魔核に照準が合わされ、魔術と技術の融合によって生成された熱が、魔核内部へと送り込まれていく。
「ウイルス活動指数……上昇。再活性化の兆候あり。制御中」
アヤの声が淡々と告げる。
凍結と加熱という、相反する作用が重なり、核の中枢を直接浸食していく。
「……温度、221度……継続」
アヤの額に汗が滲む。
魔力が目に見えるほど消耗し、足元がわずかにふらついたその瞬間——
「アヤ……!」
背後からレグニスが彼女を支え、抱き留める。
彼の左手がアヤの背へと添えられ、共鳴魔力が流れ込んでいく。
「俺の魔力を使え。ここから先は、共にだ」
アヤは小さく頷き、再び両手を構えた。
「制御、再開。温度、240度到達……核構造、融解の兆候」
数時間にわたり、二人は魔力の全てを注ぎ込み、核と対峙し続けた。
そして——
核の中心で、一閃の閃光が走った。
核の魔素が崩れ内包されていたウイルス構造が一気に崩壊する。
「……構造崩壊、確認。対象の再活性化可能性……0.0001未満。実質死滅と判定」
アヤの声が震える。だがその震えは、恐れではなく、達成の余波だった。
力を使い果たした二人は、その場に膝をついた。
「……終わった、の?」
アヤが囁く。
レグニスはその手をそっと取って、強く頷いた。
「……終わった。今度こそ、本当に」
二人は静かに抱き合い、かつて果たせなかった封印の完成を、その身で刻んだ。
語り部が静かに現れる。
「これが、歴史を変えた瞬間。未来は、君たちの手に託された」
そして、静寂の間に柔らかな風が吹いた。
新たな時代の幕開けを告げるように。




