弱点
──魔術研究特別塔・深部観察室──
静寂の中、アヤは魔核の前に立ち尽くしていた。
液化窒素による保存は確実だった。しかし、根本的な「死滅」とは違う。冷却で眠らせているだけ。目を覚ました時、再び災厄は起こり得る——それがアヤの直感だった。
「……このままじゃ、また繰り返すだけ」
彼女の声は震えていた。怒りでも恐れでもなく、焦燥。終わりが見えない戦いに、医術士として、命を守る者として、何を選ぶべきか。
そして、ふと脳裏に蘇るものがあった。
──前世、看護師として働いていた頃。病院の研修室で交わした、微生物学の教授との何気ない会話。
『……ウイルスや細菌っていうのはね、基本的に“熱に弱い”のが多いんですよ。』
『でも、芽胞とか、耐熱殻を持つやつは高熱でも生き残るって聞きました』
『そのとおり。けどね、それも限界がある。200度を超える高温になれば、さすがにタンパク質も構造が破壊される。空気ごと焼き払う方法なら、まず再生はできない』
遠い過去の、記憶の奥に沈んでいた言葉が、今になってはっきりと脈打ち始める。
「……そうよ。熱には、弱い」
目の前の魔核は、凍結によって沈黙を保っている。だが、ウイルスの本質は変わらない。凍らせることは延命に過ぎず、死滅ではない。
アヤは魔核を見つめながら呟いた。
「高熱処理……対象組織に200度以上の熱を直接通すことで、魔素の構造ごと破壊する」
手元のウィンドウを操作し、魔核の物理特性と耐熱限界を解析する。
<耐熱限界:142℃〜164℃(推定)>
<再活性化限界:-100℃以下で完全停止、38℃以上で再活性化の兆候>
「つまり、極低温で保存しつつ、処理段階では200度以上の熱を直接注入する……」
アヤの中で、希望の糸が結ばれた。
それを実現するには、あらたな装置と、魔術との融合技術、そしてレグニスのような強大な魔力支援が必要だった。
「レグニス……きっとあなたの魔力が要になるわ」
すでに未来を見据えた視線で、彼女は魔核に手をかざす。
「でも、次は眠らせるんじゃない。殺すのよ——確実に」
──魔術研究特別塔・融合試験室──
深夜の塔に、静かで緊張感に満ちた空気が流れていた。
アヤは、魔核の分析室を後にし、新たに設けられた「融合試験室」へと移動していた。ここは、彼女の提案によって整備された特別区画であり、魔術と科学技術を文字通り“融合”させるための場だった。
そこには、王国から取り寄せた精密な鍛造炉、魔王国が誇る魔力変換陣、そしてアヤが設計した高温加熱装置と魔素集束装置が並んでいた。冷却と加熱、魔力と熱量、異なる原理をもつ技術が、この一室に集結している。
「……まずは理論の整合性を確認しないと」
アヤは白衣の袖をまくり、机上の制御パネルに触れた。目の前に浮かぶ魔力式のウィンドウが次々と開き、加熱装置と魔素生成機の相互作用を再確認していく。
「熱源を科学側から供給し、魔力で対象を捕捉・固定、そして空間制御によるエネルギー集中……」
彼女の声が小さく響く。
科学で言えば、レーザー照射に近い技術。しかしこの世界では、対象への魔術的拘束と空間固定が可能である分、より精密かつ瞬時の処理が期待できる。
「この温度分布なら……照射範囲を絞っても安定する。熱損失を最小限に抑えられる」
アヤは構想していた装置の試作モデルに視線を移す。高耐熱合金で囲まれた筒状の照射装置は、内部に魔素封じの紋章が刻まれていた。
「ここからが本番ね」
アヤは魔素石を1つ取り出し、装置の中心へとセットした。微細な魔力が発動し、照射対象の空間が歪むように揺れる。
その瞬間——部屋の入り口が静かに開いた。
「……進んでいるようだな」
現れたのは、レグニスだった。淡い蒼光を帯びた長衣をまとい、足音ひとつ立てずに部屋へと入ってくる。
「魔力場が安定している。科学との干渉も最小限に抑えられているようだ」
「ええ。でも、このままじゃまだ足りないの」
アヤは照射装置の横に並ぶ高出力の魔力変換炉を示した。
「この炉……あなたの魔力を中枢で使えれば、魔術的固定と科学的加熱を同時に制御できる。時間差を無くせば、組織の抵抗力を上回る熱処理が可能になる」
「つまり、同時照射か」
レグニスは静かに頷くと、装置の横に立ち、魔力の流れを確認し始めた。
「……魔術と科学の結合点を見つけることが、これほど難しいとは」
「だからこそ、意味があるわ」
アヤは振り返り、レグニスの瞳をまっすぐ見つめた。
「これは、私たちの知識と力の融合。そして未来を切り拓く手段よ」
「わかっている」
レグニスの手が魔力炉に触れた瞬間、周囲にわずかな蒼い光が走った。
装置の魔力共振が起こり、室内の空気が震えるような緊張感を持ち始める。
「魔素変換、一次安定。温度出力、180度到達……目標200」
アヤはパネルの数値を確認しながら、急速に進む過熱を冷静に観察した。
「あと10度……! いける……!」
その時、魔力の波動が突然跳ね上がった。
「抑えて、レグニス!」
「わかっている!」
彼の手から迸る魔力が一気に魔力炉の内部を包み込み、過熱による暴走を封じ込めた。
その瞬間、装置は極限の状態で安定し、200度の熱波を魔核試料に向けて照射。
——数秒。
照射が終わり、装置が冷却フェーズへと移行する。
アヤは息を詰めて、中央の試料ケースに目を向けた。
その内部にあった微小な魔核片は、黒く焦げ、内部構造が完全に破壊されていた。
「……成功、したのね」
アヤは息を吐き、そっと膝に手をついた。
レグニスが静かに彼女の隣に立つ。
「これで……希望が見えたな」
「うん。でも、これはまだ一つの試験。……本体には、もっと複雑で強固な抵抗があるかもしれない」
「ならば、それを超えてみせよう。君とならば、できる」
アヤはゆっくりと頷いた。
科学と魔術。異なる知が交差する先に、希望の未来がある——。
その融合が、新たな封印、あるいは真の死滅の鍵となる。




