その仮説はー
──魔王国・魔術研究特別塔──
飛竜の凍結から数日が経過していた。
アヤが設計した液化窒素生成機は今も安定して稼働を続け、塔の最奥、特別封印室では静寂と極寒の中に魔核を内包する飛竜の姿があった。
その存在は、研究者たちにとっても日々畏怖と探究の対象であり続けている。
液体窒素による保存に加え、アヤは複数の魔術結界と防振構造を組み合わせ、万一に備えた幾重もの安全措置を施していた。彼女の知識と直感が告げていた——魔核はまだ、生きているのだ。
──研究室・深部観察室──
白衣の裾を翻しながら、アヤは暗がりの中に佇む魔核の前へと歩を進めた。
装置のランプが明滅し、低音の駆動音が響く中、空気は張り詰めた緊張に包まれていた。
「システム起動。魔素構成解析、開始」
彼女の手のひらから魔素が波のように放たれ、魔核の表層を撫でる。視界の前に、淡い光のウィンドウが複数出現した。
<アヤ> <総魔力:215,800> <保持スキル:魔素視覚、医術展開、高速錬成、液化窒素生成、空気分解、真空領域生成……>
「……これだけあっても、決定打にはならないかもしれない」
独りごちたその声は、静かだが確かな決意を宿していた。
目の前の魔核は、まるで眠っているように淡く光を放っていた。
まるで深い冬に入った動物が冬眠するように——だがその内部には、確実に何かが蠢いている。
「脈動、0.0026……魔素圧、微弱。けれど消えてない……」
アヤは椅子に腰を下ろし、机上に散らばった魔素解析資料を整える。手元の端末には、飛竜から抽出した微細組織の画像が広がっていた。
「この密度……ウイルスに似てる。でも違う。魔素と共生している。いや、魔素を核として存在が安定してる……」
まるで、それは生き物のようだった。
意思なきウイルスではなく、環境に順応し、形を変えながら、より強い存在を目指していく何か。
「このまま再活性化したら……世界中に広がる。時間との戦いね」
その目に、かすかな疲労と、強い光が同居していた。
アヤは端末の横に置かれた小型の容器に目を向けた。
そこには、冷却状態を保ったまま保管された「核結晶片」がある。
「……あなたが鍵。これが“あのとき”の連鎖を引き起こした原点なのね」
アヤはそっと容器を持ち上げ、魔核の前へと戻った。
彼女の魔力が再び放たれ、静かに魔核と共鳴を始める。
アヤは魔核の前に立ちながら、深く息を吐いた。
目の前で脈打つそれは、まるで眠る獣のように静かに輝いていた。液化窒素と魔術結界の合わせ技で凍結・封印されているはずの魔核。しかし、その輝きは、どこか“生”を感じさせる。単なる魔力の残滓とは思えなかった。
アヤの手元に浮かぶウィンドウには、安定状態とされる数値が表示され続けている。それでも、彼女の胸中には拭えぬ違和感があった。
「……変ね。結晶に“開封の痕跡”はないのに……」
“語り部”から託された結晶は、確かに封印が完全なまま保たれていた。解析に用いた転写魔術も、表層に触れただけで内部に干渉してはいない。それなのに、なぜ感染源が復活したのか。
「どこか別のルート……それとも、そもそもこの魔核は“封印されたもの”じゃなかったのかしら?」
アヤは椅子に座り、机上に広げた資料に視線を移す。飛竜の体内から抽出された組織断片、魔核周辺の浸潤層、封印時の魔力痕跡——それらを比較しながら、微細な魔素構造の変異を追っていく。
「……封じられていたのではなく、“そもそも封印されていなかった”……そう考えたほうが筋が通る」
その仮説に至ったとき、アヤの背筋に冷たいものが走った。
「もしそうなら……過去の封印は“部分的”だったってこと……?」
語り部の語った歴史に、偽りはなかった。だが“全てを語った”わけでもない。レグニスが見せられた映像にも、封印の全貌は描かれていなかったはずだ。
アヤは立ち上がり、再び魔核の前に歩み寄った。
「まだ、終わっていない。これ……再封印なんて、簡単な話じゃないわ」
目の前の魔核は、淡く瞬く光を返す。それはまるで、意志を持つもののようだった。呼吸すらも静まり返る観察室で、彼女の中で仮説が確信へと変わっていく。
——これは、“生き残っていた”魔核。
かつて、すべてが封印されたと思われていたが……実は、その一部は、最初から封じられていなかった。もしくは、何者かが封印の瞬間をすり抜け、生き延びた。
「レグニス……あなたが見た記録、そこにも全てはなかったんでしょう?」
仮説を呟くアヤ。
今、必要なのは過去の再検証。
何が見落とされ、何が隠されたのか。
アヤの視線は、決意と共に魔核から端末へと移る。封印構造の解析、再構築、さらなる凍結維持——次にやるべきことは山積している。
「でも、時間は残されていない……急がないと」
そう呟いた彼女の手が、再び液体窒素制御装置に触れる。




