―静かな夜―
──夜。
フェリア村は、昼間とは打って変わり、静まり返っていた。
遠く、虫の音だけがかすかに聞こえる。
彩子は慎重に家の裏手から回り、
村人たちの目を盗んで、レイを背負ったまま家の中へ忍び込んだ。
足音ひとつ立てないよう、そっと床を踏みしめる。
この家には、村人たちも滅多に訪れない。
特に──奥の書庫部屋は、存在すら知らない者がほとんどだった。
彩子は、古びた木製の扉を静かに開く。
「……ここなら、安心して休めるから」
囁くように呟き、レイを簡素なソファへそっと寝かせる。
部屋は、本の匂いと、わずかに湿った空気で満ちていた。
月明かりが小さな窓から差し込み、木棚に積まれた古書の影をぼんやりと映し出している。
レイは、かすかに目を開けた。
まだ怯えた表情を浮かべながら、周囲を見回す。
「ここ……?」
「私の家。大丈夫、誰にも言わない。誰にも見つからない」
「……匂いが、懐かしい」
レイは小さく頷き、再び目を閉じた。
彩子は、そっと薬草茶を一杯用意し、近くに置く。
脱水症状を防ぐためだった。
(……見かけは中学1年生くらい?レイに何があったんだろう)
改めてレイのやつれた顔を見つめた。
身体の傷は治癒術で癒すことができる。
けれど、心の傷までは──癒せるとは限らない。
根掘り葉掘り聞くつもりはなかった。
彩子は、まるで野生動物に接するように、静かに寄り添うだけにした。
夜が更けるにつれ、書庫の空気はひんやりと冷たくなっていく。
彩子はレイに古びた毛布をかけ、そっとその横に腰を下ろした。
灯りを最小限に落とし、
自分も静かに一息つく。
ふと本棚を見ると茶色い表紙の、古びた本に目がいった。
(……これ?)
あの"声"が告げた本。
ページをめくると、そこには見慣れない文字列が並んでいた。
けれど、不思議なことに、意味は自然に心に流れ込んでくる。
──《癒しの魔法基礎理論》
彩子の中に、何かが静かに、確かに流れ込んだ。
(これは……)
身体の奥が、ふわりと温かくなる。
まるで、眠っていた何かが目覚めるような感覚
耳を澄ませば、レイの静かな寝息が聞こえてきた。
──この世界に来て、初めてかもしれない。
こんなふうに、誰かのために無心で動いたのは。
気づけば、彩子も本棚にもたれかかるようにして、まどろんでいた。
月光に照らされた書庫の中で、
二つの命は、静かに寄り添いながら、夜を越えようとしていた。
--設定--
魔法と剣が支配する異世界。
医療は「神聖魔法」に依存しているが、万能ではなく、感染症や内臓疾患にはほぼ無力。
社会構造は中世ヨーロッパ風、王国(人)・帝国(人)・魔国(魔族)が対立している。
彩子は王国の辺境地に現れた。




