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誰にも渡せない

──地底封印遺構・最奥手前──


 地下深くに続く長い通路を、アヤとレグニスは、アデルナ王国の術師たち、そして魔王国の術師たちと共に歩いていた。通路の壁は苔むし、時折吹く風が古代の魔素の痕跡を運んでくる。


 アヤの手には感応式の魔導灯が握られており、柔らかな光が一行の顔を照らしていた。その表情には、緊張と覚悟が混じり合っていた。


「……この下に、本当にあるのですね」

 アデルナ王国の年若い術師が、抑えきれない不安を声に乗せて呟いた。


「ええ。気を抜かないで。ここから先は、一歩が命取りになる」

 アヤの返答は静かでありながら、芯の強さを孕んでいた。彼女の目は前方、まだ見ぬ最奥を見据えている。


 歩みが遅くなることなく進み続ける中で、ふと先頭にいたレグニスが立ち止まった。前方に、巨大な封印の扉が現れたのだ。


 彼は静かに振り返り、周囲を見渡した。


「ここから先は……我々二人だけで行く」


 アデルナ王国の術師団長が、すかさず進み出る。

「ですが、陛下。我々も護衛として……」


「いや、この封印の内部には、魔王の魔素にのみ反応する機構がある。余計な干渉は、封印をより不安定にする危険がある」


 レグニスの言葉に、アヤも頷く。

「私たちで十分。皆さんには、地上で封印再構築の準備をお願いします。扉の開閉に応じた再封印儀式の準備……お願いできますか?」


 術師たちは一瞬の沈黙の後、深く頭を下げた。

「承知しました。王国の名にかけて、全力で支援いたします」


 次にレグニスが魔王国の術師団へと目を向けた。

「我が側も同様だ。地上で封印魔具の展開準備に取り掛かれ。万が一に備え、増援部隊を待機させよ」


「はっ!」


 簡潔かつ的確な指示に従い、術師たちは引き返し始めた。


 そして、最奥の扉の前には、再びアヤとレグニスの二人だけが残された。

 

 

 

──地底封印遺構・最奥──


 重々しい扉が軋む音を立てながら、わずかに開かれた。レグニスが掌を封印紋に当てると、光が扉の縁を走り、古代の文様が次第に淡く輝きを帯びていく。


 だがその瞬間、奥から押し寄せるような魔素の奔流が二人を襲った。風でもなく、熱でも冷気でもない――それはまるで膨大な意識のうねりだった。


「ッ……く……アヤ、下がれ!」


 レグニスがとっさにアヤを庇い、その場に膝をつく。額に汗が浮かび、呼吸が乱れる。周囲の魔素が明らかに異常な密度で集中している。


 封印の向こうから現れたのは、巨大な魔力の核のような球体だった。その内部には、姿を持たぬ“存在”が確かにあった。


『……名を告げよ』


 空間全体に響くような、重層的な声。明確な言語ではなく、意識に直接流れ込んでくるような問いかけだった。


「魔王……レグニス・アーガイルだ」


 レグニスは意識を集中し、言葉を絞り出すように答える。


『継ぎし者か……では、試練を。過去を。その身に受け入れるか』


 次の瞬間、球体から放たれた光がレグニスを包んだ。その場に立っていた彼の体が宙に浮き、光の中に吸い込まれていく。

 封印が解かれた直後、強烈な魔素の奔流が押し寄せ、レグニスは光の中に意識をさらわれた。

 

 アヤが手を伸ばしかけた時――


「レグニス!!」


 閃光とともに、彼は意識を失い、そのまま崩れ落ちた。


 アヤが駆け寄り彼の肩に手を伸ばした。だが、レグニスの意識はすでにこの空間にはなかった。


 彼の中に、過去の記憶が雪崩のように押し寄せていた。

 

 ──孤独。捨てられた記憶。魔族でありながら異形と蔑まれ、恐れられ、信じていた者に背を向けられた。

 暗く、重く、どこまでも沈んでいく。


 “レグニス”ではなく、“レイ”でさえなかった過去。


 痛み、憎しみ、諦め──そんな感情に覆われ、彼は深い暗黒に沈もうとしていた。


「レイ!!」


 アヤの叫び声が、漆黒の世界に光を差した。


――ようやく目を開いたレグニスは、しばしアヤを見つめ、ぽつりと呟いた。


「……誰だ?」


 レグニスの声は低く静かだった。


 アヤの動きが止まった。


「……え?」


「お前……誰だ? どうして俺の名を呼んだ?」


 一瞬、空気が凍りついたように感じた。アヤの心臓がドクンと音を立て、血の気が引いていく。


「レグニス……。わからないの?」


 レグニスは眉をひそめながら身を起こし、頭を押さえた。


「ここがどこかは……わかる。俺は……レグニス・アーガイル、魔王。王国と魔王国が手を結び……感染症に立ち向かっている……そのことも……」


 そこまで言いかけて、彼は目を伏せた。


「だが……お前のことだけが、どうしても……記憶にない」


 アヤの視界がにじんだ。音のない世界に、鼓動の音だけが響く。


(――忘れられたのは、私だけ……)


 彼の記憶から、自分という存在だけが抜け落ちた。その現実が、想像以上に重くのしかかってくる。


 過去の光景が脳裏に去来する。前世――病棟で出会った、記憶を失った高齢の患者と、その枕元で名前を呼び続ける娘の姿。何度名前を呼んでも、「あなたは誰ですか」と返される、あの哀しげな風景。


 (あのときの娘さんの気持ちが、今、ようやくわかった……)


 胸が張り裂けそうだった。けれど、アヤは微笑んだ。震える唇を、噛みしめて。


「そう……記憶が混乱してるのね。でも、大丈夫。あなたが無事で、本当に良かった」


 涙は、決して見せなかった。見せたくなかった。


 そして、心の奥でそっと誓う。


(思い出してくれるまで、私はそばにいる。たとえ私のことを忘れても、レグニスがレグニスである限り――私は、あなたを支える)


 彼女はそっとレグニスの背に手を当てた。かつて彼が、そうして自分を支えてくれたように。


「まずは、ここから移動しましょう。あなたの体も、まだ完全じゃない」


 アヤの声は、優しかった。


 それは医術士としてではなく、一人の人間として――愛する人に向ける慈愛に満ちた声だった。

 

「私は……アヤ。あなたの仲間よ。今は、少し休みましょう」


 何も思い出せていない――そう察した彼女は、それ以上問わなかった。今は、とにかく彼を安全な場所へ連れていくことを優先する。


 封印の部屋を出てすぐの通路、半壊した石柱の影にひっそりと設えられた古代の休憩所のような空間があった。崩れた石椅子、苔の生えた床、それでもふたりが腰を下ろすには十分だった。


「ここで少し休んで。あなたの体も、きっと負担が大きかったはず」


 レグニスは静かに頷いた。

 彼の視線は、アヤに向けられたまま動かない。


「……妙なんだ。俺は王としての責務も、王国の現状も、戦争のことも、覚えているのに……」


 レグニスはゆっくりと胸元に手を当てた。


「君のことだけが、思い出せない。それが……すごく怖い。君を見ていると、心の奥が疼くような気がして……すごく、大切な人だったはずだと、そう感じるのに」


 彼の声には戸惑いと痛みが滲んでいた。


 アヤは小さく息を呑み、そっと視線を落とす。


(大丈夫。いつか、きっと思い出してくれる)


 そう信じようとした。でも、胸の奥は鈍く静かに痛んだまま......。


 ――彼の負担になってはいけない。


「無理に思い出さなくてもいいの。私は……あなたの側にいる。ただ、それだけでいい」


 アヤの声はやさしく、けれど微かに震えていた。


 そのとき、彼女はポーチから小さな水筒を取り出し、手慣れた様子で開けようとした。だが――


「……あれ?」


 うまく開かない。小さな声で「おかしいな、昨日は大丈夫だったのに」と呟きながら、ふたを回すアヤの手元はどこか不器用で、ぎこちない。


「もう……なんでこういうときに限って……っ」


 真剣な顔つきで苦戦するその姿は、完璧な医術士というイメージからは程遠く、思わずレグニスは目を細めた。


 その瞬間、脳裏に稲妻のような映像が閃く。


 ――台所で味見に失敗して首を傾げるアヤ。

 ――鍋の取っ手に触れて「熱っ」と手を引っ込める姿。

 ――それを心配して自分が咄嗟に抱き寄せた、あの感覚。


 思わずレグニスの手が動いた。


「……貸せ」


 アヤが驚いて顔を上げるより早く、レグニスは彼女の手から水筒を取り、蓋を軽々とひねった。


「やっぱり、アヤには任せておけない……な」


 その言葉に、アヤの動きが止まった。


「レグニス……いま……」


「……ああ。思い出した。全部じゃないが……君が、どんな顔で困ってたか、何度こうして俺が手を貸したか……」


 アヤは瞳を潤ませ、肩を震わせながらも必死に笑みを作った。


「……そんなことで、思い出すなんて……私のドジがきっかけだなんて……!」


 頬を真っ赤に染め、アヤは悔しげに唇を尖らせる。


「もっとこう……感動的な何か、あったでしょうに……!」


 その姿に、レグニスはふっと笑みを漏らした。


「いいや。あの不器用な仕草が、何よりも鮮明だった」


 その言葉にアヤは顔をさらに真っ赤にし、もう一度「うぅ……!」と声を漏らしてうずくまった。


 だが、その背にはやさしい手が添えられていた。


「……君だけは、誰にも渡せないと……ずっと、思っていた気がする」


 アヤはその手の温かさに、心の底から安心し、そっとその手を握り返した。





休息を終え、レグニスが動けるまでに回復したことを確認し二人は再び最奥の封印へと向かった。


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