始まりの場所
──アデルナ王国・前線拠点──
ワクチン接種が一段落した夜、冷えた空気が仮設テントの布をかすかに揺らしていた。夜の前線は静寂に包まれているように見えて、実際はどこか張りつめた気配が漂っていた。かすかに聞こえる咳き込み、誰かが夢の中でうなされる声、それが現実の重さを示していた。
その最奥の小さな医療テント。アヤはランタンの淡い光のもと、記録用の魔導端末を睨みつけていた。
「……どこから始まったのか。最初の感染源は、どこ?」
ワクチンは効果を上げていた。接種を受けた兵士や医術士の間では新たな発症例は見られず、既感染者の中にも、症状の進行が止まる者が増えてきた。アヤが帝国で学んだ知識と魔王国で得た魔素解析が、ようやく実を結びつつあった。
だが、アヤの顔に浮かぶのは達成感ではなかった。それは、“現象への対処”に過ぎないという認識があったからだ。問題の核心――“なぜ感染が始まったのか”には、誰もまだ触れていなかった。
アヤは魔導通信端末を手に取り、迷わず発信した。
「レグニス、レオンハルト。至急、情報共有をお願い」
彼女の声は静かだが、切迫感を帯びていた。
「感染の初出地点と時間を突き止めたい。王国、魔王国双方で最初に感染が確認された場所の記録は?」
──アデルナ王国・王城・会議室──
翌朝、レオンハルトは地図を前に報告を受けていた。騎士団の副団長、後方支援隊の統括医官、各部隊の司令官が顔を揃える。
「……報告を総合すると、初めに異変が見られたのは、東方山脈の第七採掘坑近辺と見て間違いありません」
老医術官が書簡を持ち上げる。
「この近辺に配備されていた第二遊撃隊で、最初の症状報告がありました。魔物との接触後、短期間で錯乱・興奮・咬傷が増え、魔獣の異常行動も確認されています」
「発生時期は?」
「王国記録で二十二日前。魔王国の報告では二十日前。若干の誤差はありますが、ほぼ一致しております」
レオンハルトは地図に目を落とし、険しい表情を浮かべる。
「……場所が完全に重なるな。採掘坑が境界に近いため、どちらの勢力でも見落としがあった」
彼の視線は、ある一点に注がれていた。
「だが、我々にはこの脅威を止める責任がある。王国としても、魔王国と共に動く時だ」
──魔王国・王宮──
同じころ、レグニスは王宮の執務室で、魔術通信を通じて前線からの報告を聞いていた。
「……第七採掘坑の土壌、空気、地下水、魔核反応をすべて調査しろ。千年前の記録にある“地の穢れ”と一致するかを確認せよ」
傍らに控える老魔族の科学官が頷く。
「承知しました。ただし、危険性が高いため、遠隔採取魔具を使用します」
「それで構わん。全情報をアヤにも送れ」
──ノクス=フィア・研究室──
アヤは送られてきた採掘坑のサンプルを、魔素観察顕微鏡で確認していた。血液ではない。細菌でもウイルスでもない。だが、魔素に反応し、変化する。
「……これは、細菌じゃない。ウイルスでもない。構造は……魔素の結晶?」
生物でも無機物でもない、中間の存在。
「つまりこれは……古代に“設計された”もの?」
そのとき、研究室の隅にいた老魔族の研究者が静かに口を開いた。
「この反応……過去に一度だけ、同様のものが観測されたことがある」
「いつですか?」
「およそ千五百年前。“地の裂け目”と呼ばれる断層から現れた災厄。魔物が次々と理性を失い、最終的に地下そのものが封印された」
「その場所、今も残ってますか?」
「現在の地図では……“第七採掘坑”のすぐ近くだ」
アヤは息をのんだ。すべてが繋がり始めていた。
──アデルナ王国・王城──
レオンハルトは、神聖騎士団の団長を呼び出し、作戦指示を下していた。
「即時、第七採掘坑に専門部隊を派遣。安全確保と現地封鎖を最優先にせよ。そして、地下へ続く構造があれば、慎重に調査を」
「了解。遺跡対処班を編成し、神聖術の使用許可も得ております」
「よし。アヤと魔王国側にも協力を仰ごう。共闘が必要だ」
──前線拠点・アヤの仮設司令室──
アヤはミレイとサリアからワクチン接種の進捗を受け取りつつ、地図上に赤い魔力マーカーを浮かび上がらせていった。
「この感染ルート……完全に“地下起源”だわ。地表では感染が拡がっていない。魔物と魔獣、彼らの“下”で何かが起きている」
カルヴァスが肩越しに地図をのぞき込む。
「……まさか、“地底文明”ってやつか?」
「正確には“地底遺構”ね。けど、その遺構が生きてるか、死んでるかは別」
アヤは再び通信魔具を使い、レグニスとレオンハルトに連絡を入れた。
「感染の発生源は、第七採掘坑の地下。古代封印の緩みによるものの可能性が高いです。現在、その地点を封鎖し、再封印もしくは根絶措置が必要です」
レグニスの声が応える。
「“再封印”には、当時の儀式と構造を再現せねばならない。その解析は、我が魔王文庫に残る古代技術班に任せよう」
「王国側では“神聖騎士団”が、封印構文と遺跡対処の技能を持っています。共同作戦を提案します」
アヤは深く頷いた。
「ならば、合同調査隊を。今こそ、種族を越えた対応が必要なとき」
──数日後──
第七採掘坑に合同調査隊が到着した。そこは既に腐臭を放つ魔物の死骸で満ち、異様な魔素が大地を染めていた。
裂け目からは地下深くへの冷たい風が吹き上がり、魔力反応は乱れ、機器も誤作動を起こしていた。だが、アヤの手にある魔力感応器は、確かな指針を示していた。
「この下に、“核”がある」
そう確信したアヤの目に、地下の光が揺れて見えた。
それは、かつて封印された“知恵”であり、今また世界に災厄をもたらそうとする“何か”だった。
だが、彼女は退かなかった。
「ここで止める。これ以上、誰も奪わせない」
アヤと仲間たちは、真の根源へと足を踏み入れた。




