信頼
──魔王国東方・薄氷の森・《第二の神殿》──
静まり返った空気の中、アヤとレグニスは向かい合って立っていた。
石造りの儀式場、その中央に浮かび上がるように描かれた魔法陣の輪郭が、淡く蒼白い光を放っている。
「……やってみるわね」
アヤは、わずかに強張る肩を揺らしながら、深く息を吸った。
この神殿での訓練も、すでに数日が経つ。
自身の魔力を律する方法――その答えを求め、レグニスと共に幾度も試行錯誤を重ねてきた。
「アヤならできる」
その声に、アヤは微かに目を見開いた。
命令ではない。
評価でもない。
ただ“信じる”という、確かな温度のある声だった。
「……うん、ありがとう」
アヤは胸元で両手を重ね、目を閉じる。
魔素が内から湧き上がる感覚に、呼吸を合わせる。
心臓の鼓動と同期させながら、流れを制御しようと意識を集中させた。
しかし、次の瞬間――
ぶつん、と音がした。
空気が瞬時に歪み、アヤの掌から放たれた魔力が、まるで暴走するように迸った。
蒼い閃光が一直線にレグニスの肩を貫き――
「っ……!」
鋭い爆裂音とともに、空間が波打つ。
レグニスの外套が裂け、肩口から鮮やかな赤が滲んだ。
「レイッ!」
アヤの声は震えていた。
反射的に駆け寄り、その身体を支える。
「ごめんなさい……っ、本当にごめんなさい……!」
その瞳には、明らかな恐れと動揺、そして深い後悔が滲んでいた。
「痛い? 痺れてる? 熱は? ……どうしよう、私…………」
自分の魔力で、レグニスを――大切な人を、傷つけてしまった。
かすり傷とはいえ、その事実がアヤの心を深く締めつける。
焦燥。
自己嫌悪。
そして、恐怖。
レグニスはそんな彼女を見つめながら、静かに息を吐いた。
そして、微笑む。
「大丈夫だ、アヤ」
いつも通りの声。
傷の痛みに苦悶することもなく、彼は自らの魔力で傷口に手をかざした。
淡い光が皮膚を撫で、赤い線は瞬時に消える。
「もう、これで元通り」
「……でも……っ、私……」
アヤの唇が震える。
「こんな失敗……二度としたくなかったのに……。レイにだけは……傷ついてほしくなかったのに……」
その目に、涙が滲んだ。
「アヤ」
レグニスは、そっと彼女の肩に手を添える。
「俺は、君にとって“傷つけてはいけない存在”なのか?それほど頼りないか?」
「……え?」
「確かに、魔力は刃にもなる。でも、それだけじゃない。アヤの魔力は、命を守るための力だ。それが未熟だったとしても、俺は信じてる。アヤがどんな想いで、それを扱っているのかも」
アヤは、彼の瞳を見た。
そこには怒りも困惑もなく、ただ静かな愛情と、深い理解だけがあった。
「……どうして、そんなふうに……」
「俺は、アヤが何者かを知った上で、隣にいたいと思った。過去も、魔力も、失敗も、全部含めて――アヤを知りたい」
その声が、アヤの胸の奥を揺らす。
「私は……怖かったの。もし、私の中の力が、誰かを傷つけるものだったらって……」
「ならば、それを制御するために、俺は手を貸す。何度でも、何日でも」
アヤは、崩れるように膝をつき、顔を覆った。
「……ごめん……ありがとう……」
レグニスは黙って彼女の隣に膝をつき、そっと背に手を添えた。
長い沈黙。
でも、それは不安ではなく、少しずつ癒えていく時間となった。
その後、ふたりは訓練方法を改める。
暴走を防ぐために、一度に大きな力を流すのではなく、少量ずつ、“律動”の単位を刻んでいく方式へ。
それは、アヤの“命を繋ぐ”という本質にも合っていた。
呼吸のように、心音のように。
魔力が自然と体内を巡る感覚。
日を重ねるごとに、その流れは少しずつ、しかし確実に整っていった。
レグニスは、訓練の合間にも常にアヤを見守っていた。
決して干渉しすぎず、しかし必要なときにはそばにいる。
「……だいぶ安定してきたな」
「うん。……もう、暴走しないで済みそう」
アヤがそう答えたとき、レグニスは微かに目を細めた。
「アヤなら、どこまでも進める」
その声には、かつてないほどの柔らかさと誇りがあった。
アヤは、ふと視線を落とす。
――あのとき、レグニスを傷つけた魔力も、
今は、彼を守る力、支える力へと変わりつつある。
そして、アヤの胸に芽生えた確信。
(私、もう……独りじゃない)
魔力の律動。
それは、ふたりを繋ぐ“信頼”の証となった。
そしてその夜。
ふたりは神殿の灯の下で並び立ち、同じ未来を見据えていた。




