静謐の神域
──魔王国東方・薄氷の森・《第二の神殿》──
風が凪いでいた。
息を呑むほど静かな森の奥、雪解けの水音すら吸い込まれたような白の世界。
そこに、古びた石階段と、白銀の苔に覆われた神殿が現れる。
「……こんな場所に、神殿が?」
アヤの声は自然と囁きになっていた。
レグニス――レイは頷きながら手を伸ばす。
「ここは、魔王国の創世と“特別な来訪者”にまつわる記録が眠る場所だ」
アヤはその手にそっと指を添える。
肌に触れる冷気すら、彼の魔力に溶かされて、どこか心地よい。
「なぜ、私をここへ?」
「君の魔力の調整には、“意志”との対話が必要だ。ここには、魂の共鳴に応える魔導具がある」
神殿内は不思議な空気に包まれていた。
白と灰の石が組まれた空間には、風も音も存在しない。
それでいて、微かな“鼓動のような共鳴”がアヤの胸に沁み込んできた。
「……懐かしいような……不思議な感覚」
祭壇奥の壁が淡く光を放つ。
レグニスが一歩進むと、石壁から六角形の水晶盤がせり出すように浮かび上がった。
「これは“魔脈共鳴石”。君の中にある魔素と意志を可視化する」
「見ても……大丈夫、よね?」
「もちろん。君の魔力は、もはや恐れるものじゃない」
アヤが水晶に触れた瞬間、柔らかな波紋のような魔素の律動が石室全体を包み込む。
それはまるで、“命の旋律”。
「これが……私の……?」
「そう。これが、君が紡いできた医術と、命に対する想いの記録だ」
アヤの目から、ひとすじの涙が零れる。
レグニスは黙ってその横顔を見つめていた。
そして、アヤは意を決し、口を開いた。
「……レイ、少し……私の話をしても、いい?」
「もちろんだ。君の言葉なら、どんなことでも聞きたい」
アヤは静かに、けれど確かな声で語り始めた。
「私……この世界で生まれた存在じゃないの」
レグニスの目が細められる。だが、驚きではなかった。
「前の世界では、“看護師”だった。人の命を守るために働いていたわ」
「……」
「ある日、交通事故に遭って……命を落として。気がついたら、この世界にいた。最初は混乱した。でも……この世界でも誰かを救えるなら、って。私が知っていること、持ってきた知識と技術で、誰かの助けになれるなら……って」
言葉を紡ぎながら、アヤは胸に手を当てた。
過去も現在も、彼女の“命を救いたい”という願いは変わっていない。
沈黙の中、レグニスが小さく息を吐いた。
「やはり、そうだったか」
「……え?」
「この場所には、“創世の記録”の一部が残されている。その中に、こうある」
レグニスは、背後の祭壇の奥にある石板へと歩み寄り、指をなぞった。
「《外より訪れし者、命を繋ぐ白の手を持ち、王と語り合う》」
アヤは思わず目を見開いた。
「それって……私のこと?」
「以前、第一の神殿で見た石板にも、似た記述があった。“白衣を纏う者、異界より来たる”と」
レグニスはアヤを見つめる。 その瞳に、恐れも、疑いも無い......ただ優しい熱があった。
「君がどこから来たか、何者か――それを知った今も、気持ちは変わらない」
「レイ……」
「俺は……“今の君”しか知らない。でも、“かつての君”を知った今、もっと“知りたい”と思った」
アヤの胸の奥が、音もなく震えた。
どこかで、孤独を感じていた。
“自分だけが違う”と。
でも、今――そのすべてを抱きとめてくれる人がいる。
アヤはそっとレグニスの胸に身を寄せた。
「ありがとう……レイ。私、前の自分も……今の私も、大事にしたい。だから、レイの隣で生きたい」
その言葉に、レグニスは深く頷いた。
「ならば、俺はそのすべてを守る」
神殿の灯が、ふたりを静かに照らしていた。
過去と今が、優しく繋がっていた。
──そして、神殿の奥に眠る古い魔導装置が、再び共鳴の音を発した。
“記録の目覚め”が始まったのだ。




