―傷ついた魔族―
森の小道を外れた小さな小川のほとり。
うずくまる影に気づいた彩子は、
無意識のうちに駆け寄っていた。
近づくにつれ、異質な気配が伝わってくる。
──人間じゃない。
だが、それが何だというのだろう。
細い体は泥にまみれ、
白銀の髪は血と汗で乱れている。
額には小さな黒い角──魔族だ。
彩子は右目を細め、傷の具合を診た。
(……全身に傷。けれど、致命傷はない)
ほっと胸を撫で下ろす。
魔族について、村人たちからは散々に語られていた。
恐ろしい存在、危険な存在──
だが、目の前で苦しむこの存在を、見捨てる理由にはならなかった。
敵か、味方か。
そんな判断をする前に、彩子の中で"職業的な本能"が動いた。
(放っておけない)
そっと近づき、呼びかける。
「──動かないで。今、手当てするから」
彩子はそっと右手を伸ばす。
(……試してみよう)
静かに、少年の体に手を添え、治癒術を念じる。
──ふわり。
温かい光が掌から生まれ、少年の体を包み込む。
「練習の成果が……出てるみたい」
呟いた声は、安堵に震えていた。
傷がみるみる塞がっていく。
少年の体から、緊張がほどけるように力が抜けた。
やがて──
ゆっくりと、少年のまぶたが開いた。
深い紺色の瞳が、ぼんやりと彩子を映す。
「……名前は?」
彩子が静かに尋ねた。
少年は少しだけ躊躇ったあと、か細い声で答えた。
その瞳は、深い紺色に揺れていた。
怯えと警戒と、ほんの少しの希望。
「……レイ….......あなたは....…人間、なのに……」
かすかな声だったが、確かに、そう答えた。
手当を終えた頃、森の奥で何かが動く音がした。
──何者かが、こちらを探している。
彩子は、優しく微笑んだ。
「大丈夫、レイ。ここから一緒に帰ろう」
レイは、不思議そうな目で彩子を見上げた。
「どうして……助ける?」
彩子は、微笑みながら答えた。
「──命に、種族の違いなんてないから」
それは、彩子がずっと胸に抱いてきた信念だった。
レイは、しばらく黙っていたが、やがて小さく微笑んだ。
その笑顔は、年相応の、どこにでもいる少年のものだった。
森を揺らす微かな風の音だけが、二人を見守っていた。