寄り添う手
──魔王国北方・霊峰シェルダレム麓・古神殿跡──
レグニスの転移魔法で、二人は古神殿に訪れた。
風が、白衣の端をやさしく揺らした。
霊峰シェルダレムの麓、深い森の奥にひっそりと佇む古神殿。
黒曜の石を積み上げた円形の拝殿は、かつて神々と王族が交わる場とされていたが、今は訪れる者も少ない静寂の地となっていた。
苔むした石段に差す陽光と、鳥の声がわずかに響くその空間には、時間そのものが緩やかに流れているようだった。
アヤは、その中心で静かに手を合わせた。
魔王国の信仰は“力”を核とするものが多い。しかしこの神殿には、覇気や威圧感ではなく、ただ“祈り”の気配だけが残されていた。
「……静かね」
その言葉に、黒衣の主――レグニスがうなずいた。
「ここは、かつて俺が“捨てられた場所”だ」
レグニス――今は“レイ”として帝国内に滞在する魔王は、その瞳に微かな翳りを宿しながら口を開いた。
「……あなたが、魔王になる前?」
アヤの問いに、レグニスは小さく笑う。
「そうだ。正確には“なり損ねた者”として、封じられた」
「この神殿は、古き血を持つ者の力を測る“器”とされた場所だった。
だが俺は、その器に選ばれなかった」
語られる言葉に、恨みや怒りはなかった。
ただ、それが彼の“始まり”であり、“居場所のなかった過去”であるという事実だけが、そこにあった。
「その後、俺はこの国の底を歩いた。名もなく、居場所もなく、ただ“存在しているだけ”の年月をな」
その過去を想像するだけで、胸が締めつけられる。
アヤは、そっと問いかけるように言った。
「……じゃあ、どうして今、“魔王”なの?」
レグニスは静かにアヤを見つめた。
「アヤに出会ったからだ」
その言葉に、アヤは言葉を失う。
「初めて会ったとき……あれは“偶然”じゃなかった。
《黒曜》の報告で、君が王国に現れたことを知った。
だが、俺は“自分の目で確かめたい”と思ったんだ。
君が“命を語る白衣の者”なら、それがどんな存在なのかを」
アヤの胸の奥で、何かが静かに震えた。
「ずるいわね、それ……」
小さく笑って、アヤは肩をすくめた。
「私にとっては、本当に“偶然”だったのに」
今でもレイと出会った時のことは鮮明に覚えている。
「でも……あなたがいてくれて、良かったとも思ってる」
ふと、神殿の天窓から一筋の光が差し込む。
アヤの白衣に、それが静かに反射した。
レグニスは、一歩アヤに近づき、ゆっくりと手を差し出した。
「選んでほしい。アヤが立ちたい場所を。誰の隣にいたいかを」
まるでスポットライトのように光が二人を照らし出す。
「俺は、君が立つ場所に寄り添う“手”でありたい」
アヤは、その手をしばらく見つめていた。
レグニスの掌は大きく、温かそうで、そして少しだけ震えていた。
迷いではない。それは、恐らく“希望”が宿る揺れ。
「……まだ決められない.....。でも、いまこの瞬間だけは……“隣にいたい”って思う」
そう言って、アヤはその手に自分の手を重ねた。
空気が静かに震える。
重ねられた手の温もりに、レグニスの喉がわずかに動いた。
「……ありがとう」
その一言が、彼にとってどれほどの意味を持つのか。
アヤは、まだすべてを理解しているわけではない。
けれど、いま彼の隣にいることを、自分の心は望んでいた。
「アヤ」
「……うん?」
「今日、ここに連れてきたのは、君の魔素と魔力を“完全に制御できるようにするため”だ」
アヤの表情が引き締まる。
「君は今、大きな力を抱えている。
けれどそれは、本来“人”が扱えるものではない。
だから、君自身がその力を制御し、己を壊さずに生きるための術を、学ぶ必要がある」
「それが、この場所でできるの?」
「ここには、かつて俺が……いや、王族が秘匿した“力の座標”が残されている。
君の中にある力は、それを感知し、自ら学びとるはずだ」
アヤは深く息を吐き、目を閉じた。
その胸に、“未来”の重みが静かに広がる。
「ねえ、レグニス……」
「……ああ」
「あなたは、私に“隣にいてほしい”って言ってくれたけど……
本当は“私を、傍に置いておきたい”んでしょう?」
問いかけに、レグニスは目を細め、静かにうなずいた。
「そうだ。だが、君がそれを望まないなら、俺は“見守ること”も選ぶ」
「……それは……」
アヤはそう呟いて、彼の胸に額を寄せた。
レグニスはそっと、彼女の背に手を回す。
「君がどんな道を選んでも、その先に“未来”がある限り、俺は祝福する」
光の差す神殿の中。
“自ら選び直す”未来に向かって、確かに歩み始めていた。




